神明裁判 その4

 裁判長が手元の資料らしき物に目を向け、ガベルを叩いて声を上げた。


「……これより確認する内容は、御影本庁主導による事件捜査及び作戦妨害の疑いと、理力機密保持法に関する違反についての審理。被告人はミレイユ、名字は無し。住所は石花市、東五条一丁目十七番地、コーポ石花二〇三号室」


 書類に記載されているだろう事柄を読み上げ、法廷書記がそれを必死に書き留めていく。

 ミレイユはそれをつまらなそうに聞いていた。


「尋問を務めるのは、頭師庄之助裁判長。……そして被告側に証人は無し」


 それを聞いて、アキラは思わず眉を顰めた。

 今の言い方だと、まるで証人を用意する事が出来たかのようだ。その時間も必要も、与えなかったのは向こうの方ではないだろうか。

 それともミレイユには伝えた上で、必要なしと判断したとでもいうのか。


「では、罪状を。……被告人の罪状は以下の通り。被告人は事前に警告を受けたにも関わらず、その作戦を撹乱、妨害し、被告人の行動が違法であることを十分に熟知し理解しながらも、本庁任務執行妨害を行った。そして生霧会構成員と海外のマフィアへの暴行、監禁。また、町中で結界外であるにも関わらず、人目を避ける努力を怠り、理力の存在を公にしようとした。これは理力制限法の第三項、及び機密保持法の十三条の違反に当たるものである」


 アキラはそれを聞きながら、握り締める拳の強さが増していった。

 この部分については一点の間違いもなく、妥当としか言えない罪状だった。理力というものについてはよく知らないが、その言い分からして魔力と同じような意味だろう。


 これを制限する法令があったとは知らなかったが、同時に納得もする。このような力が法治国家で何の制約も受けずに使える筈もない。


「それでは……被告人の名前、住所については間違いなかったか」

「異論を出すか悩むところだが……そうだな、形としては一応、居候という事になるから……。ああ、住所については間違いない、と答えよう」

「……質問には簡潔に応えるように」


 ミレイユは肩を竦め、それには返事をしなかった。

 そのような態度を見てしまうと、アキラはヒヤヒヤしてしまう。裁判には心象も大事だと聞く。証人も弁護人もいない尋問で、裁判長を敵に回して良いとは思えない。


「では、次に前提の確認に移る。被告人は作戦遂行中、本庁職員から警告を受け取った。間違いないか?」

「間違いない」

「その上で、被告人の行動が明らかに作戦遂行の不利益になると理解していたにも関わらず、生霧会構成員へ暴行を加えた。間違いないか?」

「間違いない」

「そして気絶させた上で拘束し、身動きできないようにした。間違いないか?」

「……まぁ、間違いない」


 裁判長の言い方は随分恣意的なものに感じたが、結局異論を唱えるのは止めたようだ。

 だが同時に、アキラは異議ありと叫びたかった。生霧会ビルでやったのはアヴェリンだし、埠頭の倉庫で行ったのはユミルだった。ミレイユは彼女たちのリーダーだが、しかしだからといって、その行いに対して罪状を述べられるものでもない筈だ。


「結構。では、最も重要な事実確認に移ろう。この日、被告人は大衆の面前で理力を行使したことを認めるか?」

「理力の事など知らない。よって認めない」


 今まで肯定を続けてきたミレイユが、明確に否定する発言をして、裁判長は瞠目した。嘘を吐いた事を咎めるように、その声が低くなる。


「知らないとはどういう事か。本件では間違いなく、その行使を認められたと報告を受けている」

「私が何かしらの力を使ったのは事実だとして、理力などという名前は初めて聞いた。だから知らないと答えた」

「では、力を使った事実は認めるか? あくまで呼び方の問題として理力を知らないのであって、人知の及ばない力を使ったと被告人は認めるか」

「認めよう」


 今度は素直に頷いて、裁判長は面食らったような顔をした。


 それを見て、アキラは歯噛みするような思いがした。そこを認めずにいれば、何か譲歩を引き出すような言質が取れたのではないか。

 あまりに呆気なく認めた事が意外だったというなら、何かしら立ち回りを考えればやり過ごせたのではないか。そういう思いがアキラの胸を締めた。


 裁判長はすぐに持ち直し、一度呼吸を整えてから続ける。


「……結構。被告人は全ての罪状に対して罪を認めた。反論はあるか? 証人の用意が間に合わなかったとしても、現段階で召喚に応じられる者がいるなら、それを喚ぶのは被告人の権利だ。証人を召喚するか?」

「いいや、用意している証人はいないし、証人を喚ぶつもりもない」

「では、今まで述べた事実について反論は?」

「ない。全て事実だと認める」


 裁判長はふむ、と小さく息を吐いて、手元の書類を何枚か捲る。そうして手の動きを止めてしばし、ミレイユに顔を向け直して言った。


「何の反証もないと言うなら、このまま判決を言い渡す事になる。その前に何か言いたい事は?」

「……何も」


 余りのやる気のなさに、アキラは大いに顔を顰めた。

 ミレイユは大丈夫だと言っていたが、このような様子を見せられては、とても安心して見守っていられない。


 アキラには彼女が全てを諦めてしまっているように感じる。全てを投げ出し、どうにでもなれと思っているように見える。

 列挙された事実は間違いないが、暴行や監禁についてミレイユは何もしていない。指示をしたかどうかという部分を争点に持っていくとか、何か言うべき事はあった筈だ。

 しかし彼女は何もしないし、何も言わない。


 それがアキラには不満だった。

 横目でアヴェリンを伺ってみれば、やはり膝の上に置いた拳が強く握られている。彼女も同じ思いなのだ。しかし被告人席にいるアキラ達は証人として動けないし、発言する自由もない。


 もどかしい気持ちでミレイユの背中を見つめ、何か言ってくれと念を送る。

 その思いが伝わったのか、ミレイユが一言声を上げた。


「ああ、一つだけ。……早くこの茶番が終わればいいと思ってる」


 この期に及んで挑発するような発言に、アキラは頭が痛くなった。思わず身体が横へ倒れそうになる。実際少し傾きかけたが、それを意思の力で捻じ伏せて、身体の位置を元に戻す。


 裁判長は明らかに面食らった顔でミレイユを見つめ、そして怒りをぶつけるようにガベルを叩いた。


「結構! ……本法廷はこれ以上の審議を認めない。全ての罪状に対して罪を認め、また反論もない。よってここに実刑と判決を言い渡すものである。被告人ミレイユを有罪とし、禁固十年を言い渡す!」

「馬鹿な!」


 アキラは思わず出してしまった言葉を飲み込むように手で蓋をした。

 視線がアキラに向けられているのを感じて冷や汗が浮かぶ。


 だが、いきなり実刑など有り得るのか、という思いが胸中を占める。執行猶予とか何とか、色々あっても良いように思うし、機密保持違反だ何だと言われても、そもそもミレイユは組織に所属している訳でもない。


 粗は探せば色々出てくる筈で、しかもこちらには弁護人すら用意されていないのだ。

 これから同じようにアキラ達も尋問されていくとして、これらを覆すような証言や証拠など提出できない。全員が同じような判決を受ける事になる。


 ミレイユの大丈夫というのは無罪を勝ち取る事ではなく、あくまで脱獄する事を言っていたのだろうか。彼女が茶番だと揶揄していたのも、判決は最初から決まっていたと知っているとか、どうせどのような判決が出ても逃げるだけだからとか考えていたせいなのかもしれない。


 そもそもが神明裁判、非公開、秘密裁判。

 有利な条件など何一つなかった。最初からミレイユは腹を括っていたのかもしれない。


 アキラは気持ちが地の底まで落ちていくように感じた。

 腹の底がズンと重い。呼吸する事すら難しい気がした。それほど強い絶望感が身体を支配している。次は自分たちの番、そして似たような判決を言い渡されるだろう。


 もしかしたら、それすらもなく一蓮托生、全員同罪として裁かれるかもしれない。

 公にされないというなら、同じグループの下っ端程度にしか思われていないアキラなど、その程度の扱いしかされないとしても、今更驚かない。


 そこへ頭上から厳かな声が降ってきた。


「頭師裁判長、大義であった」


 その一言で全員が――ミレイユ達を除く全員が一様に頭を下げる。

 アキラも例外ではなかったが、今はそうしている事が恐ろしい。自分たちはどうなってしまうのかという暗い思いが身体中に巻き付いて、身体をとにかく振り回したいような気持ちだった。


「本来ならば妥当な判決であろうが、そこに一つ考慮せねばならぬ事柄がある」


 それに対し発言する者はいない。

 神の発言は何者も遮ってはならない。頭を上げるように言われなければ、そもそも発言すら許されないというのが常識だ。だからアキラはオミカゲ様が何を言うつもりなのか、祈るような気持ちで待ち続けた。


 もしや、あるいは、という気持ちを抑えきれない。

 そしてオミカゲ様は厳かに続けた。


「この者ミレイユ、只人に非ず。よってこの者、法では裁けぬ」


 アキラは一体、それが何を意味するのか理解できなかった。言っている意味は分かる、しかしならば何故裁判など始めたのかという思いがあった。

 法で裁けぬ存在というのも意味不明なら、それがミレイユというのも意味不明だった。


 ミレイユが只者じゃないのは理解している。別世界の住人だという事もアキラは知っている。だが、もしそれをオミカゲ様も理解しているなら、日本人ではないから日本の法律では裁けないと、そう言いたいのか。


 だとしたら、この裁判を始めた事すら意味がない。そして、それを理解してない筈もなかった。混乱がアキラの頭の中を搔き乱す。

 その時、オミカゲ様が変わらぬ厳かな声音で朗々と告げた。


「被告人ミレイユ、そなたをここに無罪を言い渡す」

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