努力と魔力 その7

「――話は終わりましたか?」


 アキラが涙を拭っている間に、箱庭からルチアが出てきた。

 晴れやかな笑顔をしているユミル、誇らしげなアヴェリン、泣き顔のアキラと、それぞれ順に見渡して、得心したように頷く。

 泣き顔に関しては大いなる誤解が含まれていそうだったが、敢えて訂正するような余裕もない。


「どうやら、準備したものは無駄にならずに済んだようですね」

「準備、ですか?」


 見てみれば、ルチアの手には小さな麻袋が握られていた。手の平よりも更に小さな袋で、重量のある物が入っているようには見えない。指先で摘むように持ち替えると、それをテーブルの上に置いた。

 ユミルがそれに注釈を加えるように言った。


「ルチアがここにいなかったのはね、これを準備していたからよ」

「その……袋の中身を、ですか?」


 ユミルは頷いて肯定する。

 それには多少の意外性があった。ルチアはこのメンバーの中で最もアキラに興味がない人、という認識だったからだ。あからさまに遠ざけるような真似はしてこなかったが、さりとて積極的に関わらない。

 そもそも関心がない、という表現が、ルチアから見たアキラへの印象のように思われた。

 それを、袋の中身が何であれ、時間を掛けて用意するような――面倒な作業をアキラの為に行っていたというのは、意外であると共に感謝の気持が湧いてくる。


「あ、ありがとうございます。僕のために……!」

「ミレイさんに頼むと言われれば、断る選択肢はないので」


 ルチアの言葉には多少の棘があった。本人としては、不本意な事だったのかもしれない。それでもアキラは感謝の気持ちは変わらなかったし、それを指示してくれたミレイユには、更なる感謝の気持ちが湧いてくる。


「ありがとうございます、ミレイユ様!」


 アキラが頭を下げると、ミレイユは気にするな、という風に手を振る。

 そうして改めて袋に目をやった。ルチアの小さな手の平よりも、更に小さな袋である。入っているとしたら、ルチアが得意とする細工品だろうか。

 ピアスとか指輪とか、そういう小物が入っているなら適切な大きさに思えた。


「それで……、これは何なんです?」

「エルフの飲み薬です」


 突然飛び出してきたファンタジーな単語に、アキラは目を輝かせると共に疑問にも思う。この粗末な麻袋に入っているのが薬だとして、何故薬を用意されたのか理解できなかった。


「飲み薬……ですか?」

「エルフの……というか、より正確に言うと、エルフの為の飲み薬なので、あなたに使って大丈夫なのかまでは知りませんけどね」


 アキラはぎょっとして、麻袋に伸ばしかけていた手を止めた。

 そしてルチアの澄ました横顔を見つめる。そこには何の感情も読み取れなかったが、同時にその耳へ視線を向けて形を確認する。

 しかし耳は髪に隠れてよく分からない。思えば、今までも耳の形を気にした事がなかったのは、そもそも髪に隠れて見えなかったからだ。


 用意したのがエルフの飲み薬だというなら、彼女はエルフという認識でよいのだろうか。

 眉目秀麗、容姿端麗というのがアキラの知るエルフの特徴だが、あちらの世界でも同じだとすると彼女がエルフと名乗っても何ら違和感がない。初めて見た時は、まるで妖精のようだと思ったものだ。


 その思いが顔に出ていたのだろう、ルチアは不快そうに顔を歪めて、その視線を振り払うように手を振った。


「あまり見ないで貰えます? そういうの、嫌われますよ」

「す、すみません……!」


 アキラは慌てて視線を逸して頭を下げた。

 言われてしまうのも当然で、例え彼女がどういう種族でも、不躾に顔を見つめられて愉快に思う筈がない。


 アキラは改めて麻袋に目を移し、それからミレイユへ伺うように顔を向ける。

 ミレイユは頷き、組んでいた手を解いて麻袋に手を向けた。


「その話は置いといて、まず麻袋を持って中身を確認しろ」

「は、はい。すみません……」


 アキラは言われたとおり、麻袋を手に取った。

 チャラ、と小さく固いものがぶつかるような音がして、中身に入っているものが予想していたものとそう違いがないと思った。

 しかし袋の口を開けて見ると、実際に出てきたのは色の違う三つの石だった。


 ミレイユにまた視線を向けて指示を乞うと、中身を取り出せという身振りをされて、言われるままに手の平の中に中身を落とした。


 出てきたのは三つの宝石――ではなく、原石のようだった。

 まだ磨かれず、カットもされていない、表面に白いものが浮かんだ色とりどりの原石。緑、青、赤の小さな原石が手の平の上で転がっている。


 そして疑問は更に大きくなった。

 これは石であって薬ではない。


「これ……飲み薬なんですか?」


 アキラが想像する薬とは錠剤であるか、あるいはカプセル状になっているものだ。せめて粉状であるものが、アキラが薬と認識する最低限の形だ。

 しかし目の前にあるのは加工前の宝石であって、薬の形状としては全く想像の埒外だった。


 アキラがルチアに顔を向ければ、彼女は顔を向けぬまま頷く。

 それ以上の説明はなく、待っていても応えてくれない。

 世界の常識の違いか、とアキラは自分を納得させた。錠剤やカプセルで薬を用意できないのは別段気にしてないが、ここまで形が違うと面食らったというだけの話だ。


 だがもう一つ、確認しなくてはならない事がある。

 何故ここで薬を飲まされなくてはならないのか、という事だった。


「えぇと……、なぜ薬を用意してくれたんでしょうか?」

「必要だと言われたからです」


 ルチアの返答は簡潔で、しかもそれ以上の説明がない。

 アキラは困ってミレイユの方を見てみれば、困った顔で笑いながら彼女に代わって解説してくれた。


「お前に、さっき話をしたとき、魔力のことについて言及したな?」


 魔力の、というより、その事を主題として話していたような気がするが、アキラはとりあえず頷く。


「そして、お前には魔力がないと言う話になった。より正確に言うのなら、絶望的なまでの魔力の欠乏だ」

「ええ、はい……。そうでしたっけ」


 何しろ色んな事が立て続けに置きたもので、アキラとしても細かい部分について記憶が曖昧だった。だが、ミレイユがそう言うからには、きっとそうなのだろう。

 ――しかし、欠乏とは。

 その言い方だと、まるで最初はあったかのようではないか。


「いいか、欠乏だ。不足し、乏しく、満たされていない……魔力の欠乏が起こる原因は何か? お前には――お前たちにはマナの供給が圧倒的に足りていない」

「それは……えぇ? どういう意味ですか? マナが足りないって、そんなのこの世界にはないのでは? それに……お前たち?」


 突然の情報の氾濫に、アキラは目を白黒とさせる。

 言っている事は分かっても、言っている意味は分からない。アキラはまさに混乱した。


「順に話そう。まず、お前たち――日本人だけか、あるいは世界人類全体の話かは分からないが、とにかくその身には魔力がある」

「そんな……本当なんですか!?」


 その発言は衝撃の事実だった。

 時に海外では人体発火現象だとか、サイコキネシスだとかいうオカルトが顔を出すが、もしかしたらそれは本当の話だったのだろうか。


「ただし、それがつまり魔術を使えるという話にはならない。どれほど陳腐に見える魔術でも、自然に目覚め使えるものじゃないからだ。数学を学んでない身で、地頭の良さから数式を使えるような者は実際いるが、魔術はそれとは全くの別物だ」


 ミレイユは一時言葉を止めて、考えるような仕草を見せる。


「魔術の行使は一種の契約だ。魔術書を読み解き、その行程で儀式を経て行使に至る。……説明としては適切ではないかもしれないが、電話回線のようなものだ。電話だけ用意しても、契約しなければ繋がらない」

「なるほど、その電話がつまり、魔力だと?」

「魔力であり、術者であり、媒介でもある。細かい説明は面倒臭い、そこは置いておけ。言いたいのは、単なる偶然で魔術は使えないし、使うには魔力も必要だと言うことだ」


 ぞんざいに手を振ったあと、ミレイユは難しそうに眉を寄せる。


「そして、その魔力が私の知る限り、どの日本人も持っている。……持っているというのは適切ではないな。欠乏しているのだから。ああ、つまり、なんと言えばいいのか……」

「つまり、枯れ井戸の底に残った一掬いの水溜り、それが貴方たちが持つ魔力です」


 どう表現したものか迷うミレイユに、ルチアが引き継いで言葉を放った。

 歯に衣着せぬ表現というべきか、ルチアの言葉に遠慮も気遣いもない。淡々とした声に批判めいた色は感じられないが、どこか同情している風でもある。

 ルチアはミレイユへ労るような表情を見せた。


「私に遠慮しての事なら構いませんよ。気にしないでください」

「しかし、そうは言ってもな……」

「では、私の方から説明しましょうか?」

「……そうだな、頼む」


 そう言って、ミレイユは思い出したかのように、もう一脚椅子を作り出す。作り出すというより、突然目の前に現れたという風にしか見えなかったが、ともかくルチアは礼を言ってその椅子に座った。

 アキラの横に座ったルチアは、軽く視線だけ向けて語りだした。


「本来なら、自然界の何処にでもマナが溢れているから魔力が欠乏するなんて事はありません。もちろん短時間で一気に使い過ぎて、一時的に足りなくなる事はあります。でも、これはまた別の問題です。理由は二つ。そもそもマナがない、そして一度も扱った事がない為に、蓋をしてしまっている事にあります」

「それってつまり身体構造上、魔力を扱える素養が最初から備わっているという事ですか?」

「ですね、別にあなたが特別という事ではないです。ただ不思議と……、他の人よりは多い気がしますけど」


 ルチアが本当に不思議そうに首を傾げた。

 それは単に運が良いと言うような、個人差で片付く問題ではないというニュアンスに感じられた。魔力の過多は身長の遺伝のように、多い人からは多い子供が生まれやすい等と言うことはないのだろうか。

 不意に湧いた疑問だったが、何か言う前にルチアが更に言葉を続けた。


「でもマナがないから魔力を作る事が出来ず、その結果、自己防衛の本能めいた機能が働いて、現在のような形になってしまっているんじゃないのかと」

「井戸の底にある、ほんの一掬いを守る為、井戸の口に蓋をした状態、って事ですか?」

「そうですね。魔力の欠乏は不調を来す筈ですが、生まれてからずっとその状態なら、むしろそれに慣れてしまった状態、だと予想しています」

「不調の形が、むしろ自然体になってしまっていると……」


 ですね、とルチアは頷いた。

 改めて自分の身体を見下ろしてみても、特別な不調を感じる事はない。心が浮足立って、むしろ身体まで軽いくらいだった。自分の腕を見てみても、肌の色ツヤ、張りも問題ない。

 この状態が不調だというなら、本来の状態を呼び起こしたら、一体どうなってしまうのだろうか。


「今のまま、単にマナを与えたところで、蓋があるので意味がありません。蓋をどけるのと同時に、底にも穴を空ける必要がある。そして、その風通しよい井戸穴にマナを通して慣らします」

「な、なるほど……。脱水症状の人に急に水分取らせてもいけない、というような事ですかね?」

「そうですね、近いかもしれません」


 ルチアが頷き返したのを見て、アキラはふと疑問に思った。

 マナの欠乏が不調を来すのなら、ルチア達は大丈夫なのだろうか。この世界にマナはないと言ったのはルチアであり、ミレイユだった。ならば、体内の魔力はいずれ尽き、マナの補充も出来ず欠乏してしまうのではないか。


 そう思ってミレイユを見つめたが、その表情には突然視線を向けられた事に困惑するものしか浮かんでいなかった。

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