努力と魔力 その8
ミレイユが片眉を上げて聞いてくる。
「どうした、突然……?」
「いえ、マナがない世界でどうやってマナを補充しているのか、それが気になって……。このままじゃ不調で倒れてしまう事になるのでは、と……」
「ああ、なるほど……」
ミレイユは薄く笑って、部屋の片隅に置かれた小箱へ指を差す。
「箱庭の中は言葉通りの別世界だ。あそこはマナが溢れているから、そこで生活している限り欠乏とは縁がない」
「ああ、そうだったんですね」
アキラはホッと胸を撫で下ろした。
ミレイユの言うことが真実なら、アキラは余計な心配をしただけという事になる。いや、真実なら、という事はない。アキラにここで嘘をいう必要はないのだから。
そして、またも思い立つ事があった。
そこでなら、そこでしかマナの補充が出来ないというのなら――。
「もしかして、今後、僕もその箱庭に入る機会があるんですか?」
「そうだな。……当然、そういう事になる」
ミレイユの返答にアキラは喜色を浮かべたが、代わりにルチアは渋面だ。どうやら彼女は反対らしい。自分の住む家へ定期的に人が出入りする事を思えば、素直に賛成できない部分があるのかもしれない。
しかし彼女は声高にそれを否定することも、反対する声を上げることもしない。唯々諾々とは言わないまでも、認めることは認めているのかもしれなかった。
以前からあの中が気になっていた身としては、機会があるなら是非入ってみたい。
アキラは敢えて藪蛇になるような事は言わないよう気を付けながら、手の中に収まり続けている原石へ視線を落とした。
「それで……、これを飲めばいいんですか?」
「そうだが、順番があるから注意しろ」
アキラは指で摘んだ青い原石を、その一言で手放した。
ミレイユがルチアに視線を移すと、一つ頷いて口を開く。
「最初に赤を。歯で砕かず、丸ごと呑み込んで下さい」
「分かりました。……えっと、水と一緒でいいですか?」
「ええ、そこはお好きに」
アキラは頭を下げて席を立つ。原石は小さく、小指の爪ほどの大きさしかなかったが、カプセル錠剤だって水なしに飲み下すのは簡単ではない。一つと思えば無理もするが、これから三つ飲まなければならないのだ。
水と一緒でいいなら、これは別に無理するところではない。
そう自分に言い訳をして、シンクの棚からコップを取り出して蛇口を捻る。
この市の水道水は不味いと言われるが、アキラは気にした事がなかった。特に気兼ねなくコップに水を注ぎ、元の席に戻ってくる。
そして改めて、赤の原石を口に含み、水とともに嚥下した。
「……ン、グ。……はぁ」
「どうだ?」
「何か……喉に引っかかってるような感じがします」
「ずっと続くようなら言え」
ミレイユの労るような声を聞くのと同時、引っかかっている感じが薄れ、下の方へ流れていく気がした。なんとなく胃の辺りを撫で回し、無事に済む事を祈る。
それから一分が経過したが、特に何が起こるという訳でもなく、飴でも丸呑みした時のような感覚が喉の奥に残るだけだった。
このまま次を飲めばいいのか、と思った時、腹の奥から熱いものが湧き出てくる。
「あ、なんか、お腹が……熱いような……」
「それで正常だ……、多分な。そうだよな?」
「今更ですけど、これ本当に使って大丈夫だったんですか?」
ミレイユが不安げにルチアに目配せしたのを見て、アキラは嫌な予感が脳裏を駆け巡っていた。
ルチアは言っていた、これはエルフの飲み薬だと。人間に使ってどうなるか分からないと。その後の説明に意識を割かれて、それを確認するのをすっかり忘れていた。
不安そうな目を向けられたルチアは、軽く肩を竦めるだけだった。
「だから言ったじゃないですか。人に使って大丈夫なものか、保障できませんって」
「そ、それ――! そんなの飲ませたんですか!」
言ってる間に腹の熱がどんどん強まっている気がした。
いや、気のせいではない。実際に熱くなっている。腹の中で燃焼を始めたと言われても、信じてしまいそうな熱さだった。
アキラは腹を抑えて、必死な顔でミレイユとルチアを交互に見つめる。
「これ、大丈夫なんですか! 凄い熱いんですけど!」
「……アキラ〜?」
必死な形相で詰問する状態だったアキラに、横から愉快げな声が掛けられた。
振り向いてみると、笑顔のユミルが顎の下を人差し指一本で掻いている。何かのジェスチャーかと思いながらそれを見つめていると、やおら指を立ててアキラを指差してきた。
「アンタのその顔、笑えるわ」
「黙っててくださいよ、役に立たないなら!」
アキラの反応に満足して、ユミルはゲラゲラと笑った。
「大丈夫よ、本当に危なかったらちゃんと助けてあげるから」
「本当でしょうね!? いや、待って。――誰が? 誰が誰を助けるの?」
「アタシが。他ならぬアタシが、アンタとかを助けるって言ってんの」
「とか!? とかって何!? ユミルさんが!? いや、ちょっとタンマ。チェンジ、チェンジで!」
「たんまとか、ちょっと意味分からないから駄目ねぇ。というわけで、アタシが続行」
「いやぁぁぁ! あ、お腹! やば! ヤバいこれ! これなんかヤバい……!」
「アンタ、どんどん語彙が面白くなってるわよ」
ユミルの指摘は問題ではなかった。
腹の熱は燃えるようというより、内側から溶かされるかのように感じる程だった。額から脂汗を垂らしながらアヴェリンに助けを求めるが、不安げな視線をルチアに向けるだけだった。
そのルチアも興味深げに、モルモットを見るような目で見つめ返すばかりで、動いてくれそうもない。
最後の砦のミレイユに顔を向けると、いつの間にやら床に落ちた原石を魔術で浮かしているところだった。
拾ってくれた事には若干の感謝の気持ちがあったものの、そんな事をしている暇があったら助けてくれという気持ちもある。
腹の熱が収まらない事に不安と絶望を感じているところに、ミレイユからの冷静な声が響く。
「ルチア……これ、次は何色だ?」
「緑ですよ」
そんなこと気にしている場合か、と口に出そうとした瞬間だった。
開いた口に何かが入り込み、喉に当たって反射的に飲み込んでしまう。
しかし無理な入り方をしたせいか、飲み込もうとしたところから吐き出そうとする動きに代わり、えづくような咳き込むような、変な苦しみを味わう事になった。
「うっ! ゲホッ! お、おぇ……っ! げほっ!」
「何とか飲み込め。――ほら、水だ」
目の前までコップが動いてきて、アキラは藁にもすがる思いでそれを掴む。未だえづく喉へ押し込むように水を飲む。
「……げほっ! えほっ!」
水が気管に入ったのか、喉が痛くて咳もひどい。
さっきより状況が悪化して、赤い顔に涙を浮かべながら咳を続ける。荒い息で呼吸を整えながら、アキラはよろよろと自分の椅子に座る。
咳を続けて、それも一分も過ぎると、ようやく呼吸も落ちついてきた。
「はぁ、はぁ、はぁ……! なに、もう……なんですか……、ひど、めに……酷い目にあった……!」
「いやぁ、苦しそうねぇ。ほら、背中さすりさすりしてあげる」
言いながら、本当に背中をさすってくるユミルに、されるがままにしていると、呼吸も正常に近いところにまで戻ってきた。
「……これ、本当に危ないところじゃなかったんですか? ユミルさん、助けてくれるって言いましたよね?」
「だから、いま助けてあげてるでしょ? いやぁ、危ないところだったわねぇ」
「つまり助ける気ないってことじゃないですか!」
手を振り払って涙目で吠えたが、ユミルはどこ吹く風でカラカラと笑う。
アキラは恨みがましい目で見つめたが、それがまたユミルを喜ばすと思い、視線を切ってミレイユに顔を戻した。
ミレイユには直接恨み言は言い辛い。それで非難めいた視線を向けるに留めたのだが、しかし直後、彼女の口から放たれた言葉にハッとした。
「それで、腹の具合はどうなった?」
「――あっ! ……そういえば、もう今は全然」
腹を擦ってみても――それに意味はないと知りつつ――あの時に感じた熱は引いている。まるで水をかけられたかのように、すっかり消えてしまっていた。
「良かったわねぇ。アタシのさすりさすりが良かったのね、きっと」
「いや、絶対それは関係ないです」
ピシャリと言い放って、アキラは最後の一つ、テーブルの上に置かれた青の原石を見つめた。
これも飲まなければならないのだろうが、飲めば次はどうなるかと思うと、口に入れるのも憚られる。しかし飲まなければ、きっと魔力を扱えるようにはならないのだろう。
これが最後の試練だ、と自分に言い聞かせながら、アキラは最後の原石を口に入れた。
その変化は今までにないものだった。
熱いとも冷たいとも感じる不思議な感覚が、身の内の上から下まで通るような、それでいて脳を突き抜けてどこまでも広がるような、表現できない何かが走る。
アキラは椅子の上で震えて、その肩を抱いた。
寒くもないのに震えが止まらない。震えは身体だけでなく足まで届いて、意味もなく震えてしまう。
何がと思う暇もなかった。
先の二つと違い、あまりに早く、あまりに短く、唐突にそれは終りを迎えた。
ピタリと震えが止まって、思わず呆然として周りを見る。
特に何かが変わったという気はしなかった。自分の手の平を見ても、やはり何か変わったようには思えない。ただ、体の中が空っぽになってしまったかのような、不思議な空虚感だけがあった。
「これ……一体、どうなったんです?」
「うん……、どうやら成功のようだ。良かったな、今この瞬間から、お前は魔力を扱えるようになった」
そう言われても、その感慨は全く沸かない。
だが嘘を言っているとも思えないので、アキラはとりあえず気のない返事で感謝を伝えた。
「ありがとう……ございます?」
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