招待 その1

「それで……何か特別な訓練を、これからやっていくんですか?」

「魔術を使うなら座学、魔力を扱うなら鍛練だな」

「どう違うんです?」


 アキラの問いにミレイユは応えず、ただ淡く笑んだ。

 それから箱庭が仕舞われている小箱を示す。


「詳しい話をする前に、場所を移そう。お前を箱庭に招待する」

「――本当ですか!」


 アキラは満面の笑みを浮かべて拳を握った。

 ユミルにも微笑ましいものを見るような表情をされて、アキラは気恥ずかしくなり、努めて眉に眉間を寄せて表情を隠そうとする。

 しかしそうしても、顔がニヤけるのを止める事が出来ず、結果なんとも言えない表情を晒すことになった。


 アヴェリンは以前、アキラが箱庭に入ることに対し難色を示していたが、今は特に何も言わない。手放しで歓迎している訳でもないようだが、その地に踏み入る事なら承諾しているという感じだった。


 対してルチアは難色を示している側だった。

 アキラがというより、他の誰であっても納得しないという雰囲気を発している。

 敢えて声高に否定こそしないが、しかしミレイユが招待するというのなら、それに異議を唱えない、と言っている気がした。


 アキラはミレイユが手を動かして示すとおりに立ち上がり、箱庭の近くに寄る。

 ミレイユもその直ぐ傍に立って、支え棒で開いたままだった蓋を閉じ、それから小箱に触れるように言った。


「その蓋の上に付いている石に触れるんだ。それから、いいと言うまで離すな」

「分かりました」


 アキラが宝石の中心にピンと伸ばした指で触れる。主に中指が触れるような感じだが、特に指示もなく訂正もないので、これで問題はないらしい。


 ミレイユがアキラの肩に手を当てて来て、それで胸がどきりと跳ねる。

 もう片方の手を小箱の側面に当て、目を閉じて黙ってしまう。その手から白い光が淡く発せられ、そのまま小箱に当て続けてから数秒経った。


 光も消えて、肩から手を離すと目を開く。

 名残惜しい気持ちでミレイユを見返すと、ゆっくり頷いて手を離すような身振りをされた。


「もう離していいぞ」


 言われるままに指を離し、ミレイユの顔を見る。

 思えば、ここまで接近して見つめた事なんてなかったかもしれない。


 整った顔立ちと、凛々しい瞳、何の化粧品も使っていない筈なのに瑞々しい肌と、塗れたように輝く唇。造形美というものについて詳しくないアキラでも、芸術品とも思える美貌に目が眩みそうになる。

 日本中の女性が目指す完成された美貌という認識は、間違いではないと再認識したところで、その肩を乱暴に引かれた。

 思わず転びそうになって、たたらを踏んだ。


「いつまでそうしているつもりだ。近過ぎる、不敬だぞ」

「す、すみません……!」


 今日は何だか謝ってばかりな気がした。

 だが、ミレイユの容姿についてはさて置いても、不敬というのは分かる。オミカゲ様とは別人だと分かっていても、同じ顔をしている人だからと不躾に見るのは失礼な話だ。


 ミレイユはちらりと笑って蓋の石を二回指先で叩いた。それから再び小箱の蓋を開けて、支え棒をかませる。

 それから場所を譲って手で示した。


「後は中に入りたいと思いながら、手を入れればいい。急激に引っ張られるような感覚があるだろうが、そこは慣れろ」

「分かりました……!」


 アキラは意気込んで小箱の前に立ち、指をそろりと小箱の中へ差し込む。それから中に入れて下さい、と念じた。それと同時、するりという感触と共に指先から頭へ、頭から爪先へ、身体が伸びるような感覚がして、次いでジェットコースターに乗ったかのような急激なGを感じた。

 声に出して叫びたかったが声は出ず、目の前が真っ暗になった。何があったと感じる前に目の前が明るくなり、そして自分がどこかに立っている事に気がついた。


 地面は芝生で、少し離れた場所には木製の邸宅がある。その邸宅を囲むように見たことのない樹木が辺りを囲み、空には眩しいばかりの青い空が広がる。遠くには雲が流れているのも見え、長閑な世界が広がっている。


 ミレイユが別の世界と言っていたのは嘘ではなかった。

 まさしく別世界と言ってよく、樹木に遮られた外側には、ひたすら何もない、地平線まで草原が広がっている。どこまでも果てしなく何もない世界の中心に、この邸宅がポツンと建っているのだ。


 アキラが呆然としてそれを見つめていると、アキラの後ろに誰かが立つ気配がした。

 後続の誰かがやって来たのだと察し、慌ててその場から距離を取る。

 それは間違いではなかったらしく、ユミルが入ってきた後にルチアが来て、その次にミレイユ、最後にアヴェリンが姿を現した。


 アキラはこの箱庭の世界に対する興奮を、どう説明したらよいか悩んだが、それより先にミレイユが歩き出してしまった。他の面々もその後に着いて行くので、アキラも最後尾でそれらに続く。


 邸宅の正面玄関を前に左へ横切って行くので、おや、と思いながらも着いて行く。どうやら中庭でもあって、そこへ行くつもりのようだった。

 果たして予想は正解で、そこには二組の椅子とテーブルがあり、風景でも見ながらお茶を楽しめるスペースが広がっている。


 色とりどりの花や植物が咲いていて、小さな植物園のような様子だった。

 入り口には蔓上の植物で作られたアーチがあり、花壇に植えられた花や、植木鉢に生えた見たこともない植物が整然と並んでいる。

 蜂によく似た虫が花の間を飛んでいて、花と虫の共生関係もあるようだった。


 太陽は高い位置にあるのに、不思議と日差しを感じない空間で、大変過ごしやすい。

 用意された椅子とテーブルも白で統一されていて、また作りも上品で高級感がある。鉄製でも木製でもなさそうだったが、とんでもない値打ち物だと言うことだけは分かった。


 そして、そこに座れば植物達を一望できる。

 ここで育つ花を愛でながら談笑できるスペース、それがこの場所のようだった。


 一つのテーブルに椅子は四脚あるので、普段は一つのテーブルに全員が座っているのかもしれない。しかし今日はアキラがいるので、二つに分かれなければならない筈だ。

 どういう組み合わせで、と思ったところで、アヴェリンはさっさとミレイユの為に椅子を引く。ミレイユはそれに目線だけで礼を示して、椅子に浅く腰掛けた。


 アヴェリンも同じテーブルに着くと、ルチアとユミルは別のテーブルに着いてしまう。

 アキラは自分がどっちに座るべきか迷い、それで二つのテーブルを行き来していると、ミレイユの方から声が掛かった。


「こっちに座れ。空いてる席、どっちでもいい」

「はい……!」


 アキラは素直に頷いたが、同時にこれはどちらと対面して座りたいかという問題でもあった。

 これからの話を聞くなら、主人であるミレイユの対面である方が望ましい。しかし、ここまで近い距離で対面に座るというのは気が引ける思いがある。


 そしてアヴェリンの対面となれば、物理的によりミレイユと近い格好になるのだ。普段から師匠として何かと接触の多いアヴェリンであるから、その対面に座る事に躊躇いはない。


 どうしたものかと迷っていると、ミレイユはさっさと自分の対面を手で示してしまった。


「早く座れ。話が進められない」

「はい……」


 言われる前に決断できなかった自分を不甲斐なく思いながら、ミレイユの対面に腰を下ろす。

 それを見て、ミレイユはさて、とテーブルの上に絡めるよう握った両手を置いた。


「まず最初に言っておく。お前は自由に箱庭へ出入り出来るようになったが、許可なく入る事は認めない。……説明は必要か?」

「いえ、大丈夫です」


 ミレイユ達は自由にアキラの部屋へ出入りするのに、と思うが、これとそれは全く別の話だろう。この世界は確かに広いが、同時に女性たちだけが住む世界でもある。

 広いし家もあるが、同時に彼女達のパーソナルスペースだ。鍵が開いているからといって、女性の家に自由に出入りするようなもので、それに忌避感を覚えるのは当然だろう。

 アキラはそのように説明したのだが、返ってきた答えは少し違っていた。


「そうやって意識してくれるのは有り難いが、それとはまた違う話だ。ここにある全てのものには価値がある。日本では無価値に近いが、我々にとっては有用なものがな。お前が盗み出しても意味がないものだから、そこは気にしていないが、意図せず破損させる危険はある。私はそれを憂いている」

「な、なるほど……。それじゃ、ここから見える花畑も、もしかして……?」


 アキラが示す植物園内部の植物は、アキラからすれば見たこともないものばかりだ。

 これが希少植物で、例えば触れただけで枯れるような繊細な花だったりしたら、ミレイユの危惧は最もだった。


「そうだ。ここに見える植物はユミルが責任を持って管理している、錬金素材に使われるものだ。葉の触れ方、蕾への触れ方で、その内包するマナが変異するものもある。もしもお前がマナを持たないままであったら、それを無視しても良かった。しかし、今のお前なら意図せず花を枯らす危険がある。だから禁じた」

「はい、よく分かりました」


 その植生も現実世界と違う部分があるのは当然で、それに無知な自分が近づくなというのは納得する理由だった。飲むだけで体力が回復する水薬が、あの植物たちから採取する素材から出来ているなら、確かに興味本位で近付いて欲しくないというのも当然だ。


 あれは良し、これは駄目、と多く注意された上で、忘れて駄目にするようなら、最初から近づかない方が懸命だ。それに、そうした注意すべきものは、何も植物だけではないのだろう。


 アキラにとっては全てが未知であり無知だ。

 ミレイユ達が安心できるまで、自分たちの目が届く範囲に置いておきたいというのも分かる話だった。


 何よりも、女性だけが住む家に、無断で入る勇気はアキラにもなかった。

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