幕間 その2

 デルン王国の兵とは反対に、多種多様の獣人族、鬼族は両手を掲げて喜びと喝采を挙げる。

 隣り合った者同士で、肩を叩き、抱き合っている姿がそこかしこで見られた。

 そこへ王城の最も高い位置にある尖塔の旗が降ろされ、代わりに別の旗へと差し替えられる。


 それは今の宣言よりも尚、戦争の勝利を雄弁に語っており、誰もがそれを見上げて勝鬨を上げた。

 涙ながらに見上げる者達の勝利の雄叫びが、森の葉を揺らすように城内にこだまする。


 城内の様子は分からぬとも、戦闘音が止み、旗の差し替えがあった事は、都市内の者にも分かる事だ。

 そこから更に波及して、雨戸を締め切り、閉じ籠もっていた者達も窓を開けて顔を出し始める。


 あまりに早い決着に、戸惑っている者も散見されるが、それも嘘ではないと、すぐさま伝わる事になるだろう。

 テオは兵達の興奮と感涙を受け、自らの興奮も増大させて声を張り上げる。


「特と聞け! 我が誉れ高き名は、テオフラストゥス・フィップロス・アウレオール・ボンスバトス・レォン・ホルエイハム! これから全ての弾圧と差別を失くし、平和の世を約束する者の名だ!」


 テオは万感の思いで空を見上げ、王冠を掲げた。

 諦めなくて良かった、折れずに進んで来て良かった、と胸の奥を熱くさせる。


 かつて頭の中で思い描いた、実現不可能、空想とも思った夢物語。

 それが今、この手の中にある。


 動かくなった幼い子供を、その胸の中に抱き留め涙する母親――。

 不当に虐げられ、屍を晒す戦友――。


 理不尽な暴力で奪われずに済むかもしれない世界を、これから作れるかもしれない。

 ――ここからが、スタートなんだ。


 テオはその機会を……機会となり得る位置に、立っただけに過ぎない。

 そこから本当に平和な世界を作っていけるかどうかは、これからの治世に掛かっている。


 テオが決意を新たにしていると、見つめる空の一点から、暗雲が立ち込めようとしているのが見えた。

 空はそれまで快晴で、雲の一つも見えていなかったというのに、この戦勝にケチを付けられたみたいで気分が悪くなる。


 だが、よくよく見ると、それは暗雲ではなかった。

 それどころか、雲ですらない。


 何かヘドロ状の物が、空から落ちて来ようとしているのだ。

 そして、それは方向からして大瀑布だと分かる。まるで流水が、別の何かにすり変わってしまったようにも見えた。


「何だ、あれは……?」


 呟くような声は、誰の耳にも届かなかっただろうが、そのすぐ側で控えていたらしいヴァレネオには聞こえていたようだ。

 テオの横に立って、同じ様に空を見つめる。

 そうしている内に、眉間に皺を寄せ、その形相を困惑と共に激しくさせていく。


「……よくない物が迫っている。それだけは理解できますな」

「同感だ。これが、もしかしてミレイユから聞いていた、大きな変革ってヤツなのか?」

「……その一部、という気はしますが……あれが迫って来るというなら、対策は必要でしょう」

「とはいえ、どうする? この場合、結界を張って様子を見る位しか出来なくないか?」

「空から……大瀑布の向こうからやって来る、というのが如何にも拙い。ミレイユ様の方で何かあったのやも……」


 テオの提案を無視して、ヴァレネオは空の向こうにいる、ミレイユの身を心配して視線を向けた。

 その気持ちは分からなくも無い。


 テオはヴァレネオの様に信奉している訳ではないが、彼女らの失敗は、こちらと無関係でいられないのだ。

 ミレイユと結託していたからこそ、神に歯向かう者として断罪されるかしれないし、仮に表立ったものがなくても、やはり玉座を取り上げる尖兵を送って来るだろう。


 そういう意味ではテオも心配するのだが、まずは目先の脅威に対策するのが先決だ。

 それを促していると、玉座の方からフレンがやって来て、同じ様に異変に気付いては険しい顔を向ける。


「何か小難しく言い合いしてると思って来てみれば……、あれは何だ? 危険なのか?」

「分からん。何も分からん……が、危険と分かってから対策するんじゃ遅いだろ」

「ミレイユ様から、何か聞いてないのか?」

「いや……」


 テオは一時口籠り、それから忙しなく首と視線を動かして、再び口を開く。


「神を弑する事で、異変が起きる事は知らされていた。それが何なのか、具体的な事までは本人も分からなかった様だが……」

「ミレイユ様にも予想外な事が起きてるっていうなら、警戒しない訳にもいかないだろうさ」


 ヴァレネオをフレンも、強くミレイユを慕っているが、そこに万能性を求めているのは危うい、と思う。

 超常の存在であるのは事実で、そして神の卵でもあるらしいが、テオが話して感じた事は、案外普通の人という印象だった。


 居丈高で、言う事も考える事も鋭いものを持っているが、考え方に超常性はない。

 神の視点を持って何かを語る姿を見た事がなく、そして常に不安を感じていて、それを常に胸の内に抱え耐えていた。

 それを跳ね除け進める強さがあるのも事実だが、この二人は、その強さを拡大解釈している気がする。


 何れにせよ、対処に関して誰も異論はないのだから、そこは進めておくべきだった。

 単なる暗雲で、害がないというなら笑い話にすれば良い。

 そう指示しようと声を上げる寸前、足元が大きく揺れて、たたらを踏む。


「まだ反抗してくるヤツがいたか……!?」

「攻撃? 城を揺らす程の……?」


 フレンが武器を構えて警戒したが、それが単に一度、城を揺らすものではなく、もっと長く続くものだと、すぐに分かった。

 揺れは継続的で、そして城だけを揺らすものではない。


 この震動は、オズロワーナ全体に及んでいるものらしかった。

 ――あるいは、もっと遠大に、広い範囲で。


「警戒すべきは、あの黒い何かだけじゃ足りない! この揺れ、何とか抑えられないか!」

「無理です! エルフが束になったところで、収められる範囲を越えている!」


 戦闘中も、微細な揺れは感じ取っていた。

 しかしそれは、戦士たちが地を踏みしめ、怒号を打ち鳴らし、そうしたものが震動として伝わって来ているのだと思っていた。


 それまで感じた断続的な震動とは、その程度でしかなかったのだ。

 しかし、今では既に、立ち上がって歩く事すら困難な程、強い振動になっている。


 その大地を震わす動きは恐怖呼び、城下に居る者は、軒並み混乱して悲鳴も上がっていた。

 テラス下にいる兵達はまだそうでもないが、城下町となれば、それは更に顕著だった。


 城壁や、区画を仕切る壁は付与されたものでもあるので頑丈だが、民家などはそうもいかない。

 石造りの壁は震動に弱く、貧しい故に粗末な家しか建てていなかったところから、既に崩壊は始まっている。

 それが混乱と恐怖、恐慌の引き金となっていた。


「どうされます。まずは結界を張らせますか。エルフが総出で行使しようとも、扱える人数は少なく、城を護る程度が精々でしょう。建物を守るというなら、即興の防護魔術で固める事も出来るかと思いますが……やはり、全ては不可能です」

「勝利宣言した王が、いきなり民を見捨てる命令をする訳にもいくまいよ」

「では、民家を優先する事に? 商人の大店など、文句を付けてくる者もいそうですが」

「好きに言わせろ。今は弱者を守る、決して見捨てないと見せる事の方が重要だ」

「……その様に」


 ヴァレネオが大きく頷いて踵を返す。

 エルフ達の指揮を取りに行き、早速目に付いたエルフ兵へ、何かを指示し始めた。

 それを見たフレンが、挑発するような笑みで、大剣を肩に担ぎ直して尋ねる。


「いきなり王の風格、見せるじゃないか。戦闘じゃあ、まるで役に立たなかったが……。ふぅん? ミレイユ様が任せただけはあるのかもね」

「王冠を握った瞬間から、俺は王だ。即席の王とて、王になった瞬間から責任が生まれる。不甲斐ない所は見せられまい」

「ハン……! いいじゃないか。こっちはどうして欲しい?」


 挑発的な笑みのまま、フレンは背後に自らが率いていた兵達を見つめる。

 戦闘には大層頼らせてもらった精兵だが、こうした状況では、余りやって貰いたい事はない。

 いや、とテオは思い直す。


「兵を率いて、崩れた民家に取り残された者がいないか確認してきてくれ。状況次第だが、瓦礫をどかしたりするのに力自慢が必要だ。鬼族は数が少ないし、上手く使ってくれ。後からデルンの兵も寄越す」

「……言うこと聞くかね?」

「今だけ限定なら。エルフが瓦礫に埋もれても助けないだろうが、都市の住人なら話は別だろう。命令には従わずとも、目の前の危機には助けてくれると思いたい。それを焚き付けるつもりだし、無理なら洗脳してでも動かす」

「了解だ。こっから見て、被害が大きそうなところに向かえば良いかね? その後は……、適当に探して対処するか?」


 フレンはテラスから見える崩れた家屋を見ながら言い、テオも同じく見つめ、とりあえず頷いてから背後を見渡す。


「ここに臨時の指揮所を作る。獣人達に駆けずり回ってもらって、被害状況を逐一報告して貰おう。指示は追って出すから、それまでは好きに動いて救出してくれ」

「何だい、いきなり頼もしくなっちゃって。まぁ、頼りがいがあるってとこに、文句はないがね」

「兵士は当然だが、民衆からも必ず歓迎されると思うなよ。石を投げられながら救うとでも思ってれば、気も楽だぞ」

「あぁ、そりゃキツいね。獣人達も、何で助けなきゃならないって言いそうなもんだ。恨みはデルンに向いてるが、都市に住む全員と混同してるヤツもいるしね」

「今だけは助け合いに徹して貰わねば。助けを求める者を見捨てて、何が融和と共生だ。何とか飲み込ませてくれ」

「あいよ」


 気軽に返事し、腕を一振りして踵を返す。

 テオもそれに続いて玉座の間に戻り、何でもいいから机と椅子を持ち込ませるよう指示した。


 どうせなら、伝令の行き来しやすい場所を選び直すか、とヴァレネオに相談する。

 一度この城を所持した事があるからこそ、そうした場合に適した部屋など知っているだろう。


 今は震動が一度収まったが、未だに地面が揺れている感じはするし、何よりあれ一つだけで終わるとも思えない。

 神々との戦闘ともなれば、それほど激しい衝突が起きていると考える事も出来た。


 テオは一度テラスの方を振り返り、大瀑布の向こう、今は黒い何かに覆われた天界を思う。

 ――無事に帰って来い。


 それ一つだけ強く念じると、改めてヴァレネオへ向かい歩を進める。

 これからは、テオにとって武器を取って戦う争いよりも、更に険しい戦闘が始まろうとしていた。

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