決闘演舞 その5

 魔術士ギルドからスメラータが帰って来た頃になっても、アキラの手続きはまだ終わっていなかった。今はもう自身の名前を書き、後は発行されるギルドエンブレムを待つばかりとなって、ユミルもミレイユ達の元へ帰って来ている。


 この待ち時間が予想よりも長いという理由もあったが、そもそもスメラータが帰って来た方が遥かに早いという事情もあった。刻印を刻む施術は時間が掛かっても、外すとなれば簡単なものらしい。


 施術師によって掛かる時間の違いはあるようだが、刻印の解除となれば大抵どの施術師でも変わらないのだとか。手隙の者が行ってくれたので、順番待ちも殆ど無かったという。

 そのスメラータが興奮気味に、ミレイユの傍で捲し立てて言った。


「それでさ、乱闘騒ぎはやっぱり魔術士ギルドの方でも話題になってたみたいでさ! そっから来たアタイはもう、大人気だった。話を聞きたくて、立候補が三人もいたくらいなんだ」

「……よほど娯楽に飢えていたのか?」


 そうじゃなくて、とスメラータは肩を落とした。

 しかし即座に気を取り直して、両手を胸の前で握り、声高に語り出す。


「昨日、施術されたアキラの事は、あのギルドで話題になってたって事だよ! 只でさえサロンで施術されるなんて滅多にない事なのに、ギルド長まで絶賛していた人が、いきなり冒険者ギルドでやらかしたんだよ? 気になる人が多いのも当然じゃない」

「なるほど、……そうかもな。吹き飛んでいった先も、魔術士ギルドの目の前だった筈だし」


 ミレイユが同意すると、スメラータは途端に上機嫌になって詰め寄ろうとして、それをアヴェリンが事前に防いだ。不満そうに唇を尖らせたが、しかしすぐに気分を切り替えて、続きを話し出す。


 スメラータは喜怒哀楽が表出し易く、また切り替えも早い。見ている分には飽きないが、付き合う方は疲れる。今更ながらに、そんな感想を抱いた。


「実際、話題の新人である事に違いないしさ。話題だけじゃなくて、期待だって大きいよ。それに一級冒険者と戦って、腹に三つも穴を開けても、なお戦い続けるなんて、誰にだって出来る事じゃないんだから!」

「だが、出来て貰わねば困る。痛いから、死にそうだから、と武器を手放す戦士に価値などない」


 アヴェリンがきっぱりと断言すると、スメラータは痛いものを堪えるように顔を歪めた。


「いやぁ……、そりゃそうだけどさぁ。それで戦意を維持できる戦士が、一体どれだけいるのかって話……。だから、理想を体現する様な戦士が新人で現れたから、こうして話題になってる訳で……。歴戦の戦士が戦い続けられるのは当然でも、二級冒険者でも同じ事できる奴は少ないもんだよ」

「それは自分に対する言い訳か? 早い段階で実力以上の力を手に入れ、その所為で他が蔑ろになっていては意味もないだろう。単に強い武器を手にしただけの者を、戦士と呼ばないのと同じ理屈だ」

「いやはや……、耳が痛いよ。アタイはきっと、その武器を使いこなしているつもりだった、戦士未満の能無しでしかなかったんだろうね。だから、アキラの姿が鮮烈に映った。一級者に対し、折れず挑み続ける姿が眩しかった……!」


 スメラータが見た光景は未だ新しい。

 目を細めて遠くへ視線を向ける様子を見るに、その時の姿を脳裏に思い浮かべているのだろう。数秒、全く動きを見せないでいると、電気を流されたかにように身震いして我に返った。


「――ま、まぁ、そういう訳で、アタイの条件を呑んでくれて、本当に嬉しいよ。断られたら、一体どうしようかと思ってたもん……。付き纏って頭下げ続けても、きっと頷いてくれないだろうって思ってたし……」

「弟子の育成なんて考えてないのに、頼まれたぐらいで受け入れる理由がない。そのアキラだって、まだ戦士として完成とは程遠い段階だ。そこから何を、どれだけ汲み取れるかはお前次第だ」


 だよね、と今度は打って変わって、静かに頷く。

 今後を思って真剣な面持ちで自身を――かつてはあった刻印部分を見下ろし、重い息を吐いている。


 アキラには言語も文字も覚えて欲しいが、必須技能という訳ではない。

 日本語を使う事で奇異な目で見られるだろうし、変な注目を浴びてしまうから、やり取りには不便が強いられるが、それは街の中にいるだけの話だ。


 アキラにひたすら疎外感を与えるという以外、差し迫った問題が起こる訳でもない。

 とりあえずアキラを預ける形になるものの、それが如何なる形だろうと、時が来れば連れて行くつもりだった。その時点で師弟関係は終了させ、スメラータとは引き離すし、付いて来たいと言っても、こればかりは同意する訳にいかない。


 そこで関係は終了となる。

 その間にスメラータが戦士として一端の者になれるかどうかは、彼女の努力に掛かっている。


 どれだけの時間、冒険者として過ごさせるかも未定だし、下手をすると一月に満たない可能性すらあるが、そこも含んで飲み込んでもらうしかないのだ。

 ミレイユには、何より優先しなければならない命題がある。


 ――命題。

 ミレイユは心の中で呟いて、そして今はもう、逢う事の出来ないオミカゲ様を思う。

 己の命や立場すら踏み台として捉え、次に託す事のみを考え生きていた。己の使命、己の責務と考え、まさしく命題を為すべく立ち向かっていた。


 それを思うと、本当に自分にも出来るのかと不安になる。

 それだけの覚悟があるのか、と自分に問いかけても、何かが答えとして返って来る事はなかった。ただ、私怨に近いものが胸の奥で渦巻いているだけだ。


 こうなってしまった事に対する不満や慨嘆、怒りや鬱憤が澱のように溜まっている。

 その全てをぶつけてやれば、命題を果たした事になるのだろうか、と心中でごちる。それで神々を弑し、計画が止まるなら、あるいは正しいと言えるのかもしれない。


 だが、その感情に振り回されるようでは達せられないという自制も、また同時に働くのだ。

 神々は小狡く、小賢しい。奸計に関して、ミレイユ達より遥か上を行くだろう。軽率な行動は奴らを利する事になり、そして思うように転がされてしまう結果になりかねない。


 それが歯痒い。

 ミレイユは腕を組んだまま、指に力を入れて二の腕を握る。万力のように、徐々に力を込めたところでアヴェリンから声が掛かり、それで一人思考に没頭していると気付いた。


「……ミレイ様? 大丈夫ですか、恐ろしい顔をしておりましたが」

「いや、すまない。……多分、酒のせいだ。つい悪い方にばかり、物事を考えてしまう」

「まぁ、無理もないって話でしょ。前途多難、五里霧中、何一つ目標達成の道筋が見えていない現状ではね……」


 ユミルが労るように声を掛ければ、それに伴いルチアも頷く。


「今はまだ、あまり難しく考えるべきではないと思いますよ。貴女が楽観するなんて思ってませんけど、だからって好転する材料がない今、何を考えても後ろ向きになってしまうでしょうし」

「……そうだな。お前達には苦労をかける」

「何よ、随分しおらしいわね。……何か、前より弱くなった、アンタ?」


 その言葉が、侮辱に思えたのだろう。

 アヴェリンが憤怒の表情で掴み掛かろうとしたのを、ミレイユは咄嗟に止める。

 片腕を横に出してアヴェリンを止め、そしてその怒りを労うように肩を叩いた。


「確かに私は弱くなった」

「――いえ、決してそんな事は……! 我らはほんの少し前に、たった二人でエルクセスを……!」

「心持ちの話だ。……だろう?」


 ミレイユがユミルに顔を向ければ、直接の返答は避けて肩を竦めた。

 アヴェリンへと顔を向け直して、ミレイユは続ける。


「以前この地にいた時は、仲間を使っていても、頼りにしていたのは自分自身だった。そして汎ゆる事に対する自信があった。――今は違う。私は弱くなったが、その弱さの分だけ強くなった。お前達を頼りにすると決めたからだ」


 そう言ってからルチアとユミル、アヴェリンへと順に視線を合わせ、頷く程の小さな礼をして見せる。


「私には、これだけ頼りになる仲間がいる。そして、これほど頼りになる仲間もいない。だからきっと、この弱さは正しい弱さだ。……私は、この弱さを誇りに思う」

「み、ミレイ様……!」


 アヴェリンの目には感涙で溢れたものが、今にも流れ出そうとしている。

 ルチアは嬉しそうに微笑み、ユミルは顔を背けて腕を組んでいるが、その表情には満更でもない笑みが浮かんでいた。


 アヴェリンの涙腺は遂に決壊し、肩に置かれた手を両手で包み込むようにして握る。


「ほ、誇りなどと……! その様に思って頂けて、私は……!」

「あぁ、私に自慢できるものがあるとしたら、それはお前達以外有り得ない」

「お、おぅっ……! うっ……う!」


 アヴェリンは捧げ持つようにしていた手を、跪いて自身の額に押し当てた。

 感涙で咽び泣くアヴェリンとは対照的に、冷めた視線を向けているのはルチアとユミルだ。


「何でそういう事を、ここで言うんですかね。周囲の視線を見てくださいよ、完全に可笑しな奴らを見る目ですよ」

「時と場所を考えてモノを言いなさいな。……どうすんのよ、この空気」

「何故だろうな……。ポロリと言葉が口を出てしまって……」


 弁明もそこそこに、言われた通り見渡して見れば、奇異の目をした冒険者たちが、一定の距離より外から見つめている。誰も近寄ろうとしないのはある意味当然だが、そこに含まれる視線に見つめられていると、非常に居た堪れない。


 近くに居た筈のスメラータまで、いつの間にやら遠巻きにしている連中の中に紛れている。

 その顔には、同類と思われたくない、という表情が如実に語られていた。


 何とも言えない気持ちで立ち尽くしていると、アヴェリンの涙が止まらない内に、間の悪いアキラが、手続きを終えて帰って来た。

 やはり周辺の空気とアヴェリンの泣き顔を見て、困惑したまま歩み寄ってくる。


「どうしたんですか。いったい何があったんです、これ……?」

「この子がちょっと、場も弁えずに馬鹿しただけよ。気にしないで」

「ミレイユ様が……?」


 アキラが信じられないと言うように顔を向けてくるが、ミレイユとは別に、何事も完璧に失敗も犯さぬ超人という訳ではない。

 他者から見れば、とんでもない馬鹿げた事をやらかす場合だってある。


 この状況を馬鹿だと言われるのは腑に落ちないが、変な空気を作り出してしまったのは間違いない事実だ。

 苦い顔のまま甘んじて受けて、アヴェリンを立ち上がらせながら、アキラに問う。


「……それで、どうだった? あと、使う言葉に気を付けろ」

「あ、う……貰えた、……ました」


 ぎこちない言葉遣いで頷きながら、受け取ったエンブレムを胸の前で掲げる。

 冒険者ギルドを象徴する、ひし形の中に線が斜めに交差する物で、銅製であるそれは剣と盾を表しているのだと言う。


 裏面には持ち主の名前と等級が特殊なインクで書かれていて、昇級する度に裏面が書き直されていく事になっている。大抵はリングを後付けして鎖を通し、それを首から下げるのだが、紛失さえしないのならどういう形で持つかは自由だ。


 ベルドのバックルに括り付ける者もいて、身分の証明を求められた時、即座に取り出せる形になっていれば咎められる事はない。

 どちらにしても加工は必要で、革細工ギルドを頼らねばならなかった。ここでもやはり、横の繋がり――ギルド同士の互助が働く。


 登録が完了されれば、その日の内から依頼を受ける事は可能だ。

 初日から受けられる依頼というのは、取るに足らない物しかない、というのが相場ではある。そしてアキラは、刻印の使用回数を使い果たしているし、少量とはいえ酒も入っている。


 ならば、今日はもうスメラータに魔力制御を教えるなり、宿をどこにするかを決めた方が建設的に思えた。

 スメラータへそのように聞いてみれば、彼女も同意して頷く。


「……うん、だね! アタシは昨日の宿を使えば良いけど、アキラもどうせなら同じ所の方がいいじゃん? これから一緒の依頼を受けたりする事もあるだろうしさ、その方がムダもないし」

「私達は昨日の宿を使うから、そっちは良いようにしろ。食料を買い溜めたり、こちらはこちらでしたい事がある。明日、また同じ時間、この場所で落ち合おう」

「いいよ、そうしよう。アキラにも、少し使えそうな言葉とか教えておこうかな……」

「冒険者なりに、よく使う言葉や単語とかあるだろう。そういうのを教えてやれ。じゃあ、私達は行く」


 アキラの肩を叩いて労いと励ましを告げ、その場を離れる。

 別れを惜しむ視線は感じたが、さっき言ったとおり、明日また会う。その時になっても、ミレイユにとっては別れを惜しむような感情は湧いて来ないだろうが、形ばかりの手向けの言葉は贈ってやるつもりだった。


 ミレイユ達は、一先ず保存食の買付に南地区へと足を運ぼうと、アキラ達へ背を向けて冒険者ギルドを後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る