ギルド訪問 その5
サロンへ入室してきた品の良い老紳士の手には、一冊の分厚い本が丁重な手付きで携えられていた。
その彼はまず最も近いスメラータへ目を向け、それから対面のルチアとユミルへ、そしてミレイユという順で追うと、その相好を崩した。
ミレイユの背後で立ったままでいるアヴェリンに対しても、興味深い視線を向けたが、椅子に座るように勧める事もなく、ミレイユの対面となるソファの横に立って一礼する。
「私、当ギルドの長を務めております、ガスパロ・オフレーゼと申します。当ギルドに足を運んで頂き、感謝しております。お客様にはごゆっくり寛いで御用を申し付けて頂けるよう、この様な場をご用意させて頂きました」
「うん、その気遣いには感謝したいが……しかし、そうされるだけの理由がない。私はギルドを利用した事がないし、そちらも面識などない筈だ」
「まこと、ご最もでございます。ですが
ふむ、とミレイユは視線を下へ向け、手慰みで帽子の縁を触る。
「私達を、どなたか貴い人物か血族と勘違いさせたか……?」
「いえ、決して見てくれの話ではございません。お客様程の魔力を持つ方、魔術士ギルドの長を務める者が、分かろう筈もございません。それだけの魔力を獲得するに至った方々へ、粗相があってはならないと、そう判断したのでございます」
「……分かるようで、やはり分からん理屈だな」
ミレイユは帽子から視線を上げ、ちらりとガスパロへ目を向けた。
片眼鏡の奥から見える柔和な瞳には、尊敬や感謝といった感情が伺えて、腹に一物持っているようには見えない。単純な接待として、相応しい
ミレイユは確かに大きな魔力を持っているし、それに敬意を示される事はある。エルフに置き換えると、その部分は遥かに顕著なのだが、人間社会では力自慢と変わらない扱いだ。
凄いは凄い。だが、あくまでもそれだけ。
人によっては――魔術士によっては、己より遥かな高みへ至った者への敬意を示す事はある。だが、ギルドがそれで優遇するなど聞いた事がなかった。
あるとすれば、長年ギルドに貢献した第一級の冒険者に限るだろう。人格的に優れ、多くの難題を解決してくれる冒険者は、どこであろうと大事にしようとするし、他のギルドへ拠点を移られるのを嫌う。
そういう意味でも、優遇政策を取る為に、こうしたサロンを用意しているとも言える。
だがやはり、人格も犯罪歴すら分からない者を招く所ではない。
ミレイユは警戒心を一つ上げ、ユミルの方にも視線を向ける。その動作だけで理解したユミルは、ガスパロには伝わらないよう、小さく顎を引くだけの首肯を返した。
ガスパロは慇懃に一礼した後に、背筋を伸ばしてソファに座った面々を見る。特にミレイユを中心とした四人組には、更に熱心な視線を向けて来た。その変に熱の籠もった視線が怖い。
「お客様にもご理解が深いと存じますが、昨今の魔術士には本物が居られない。刻印を使っているようで使われている、魔術士くずれと呼ぶに相応しい者で溢れています」
「随分、大胆な事を言うんだな」
「それを販売してるんだか、普及させてるのはアンタ達じゃないの」
ミレイユの控えめな非難とは逆に、ユミルから強かな追撃が飛び、ガスバロはさもありなん、と頷いた。
「既に仕方のない事と割り切っております。どのような技術にも進歩はあるものです。建造技術しかり、鍛造技術しかり、魔力技術しかりでございます。より便利で簡単、効率的な技術が取捨選択され、そして古い物は失われていく。……そういうものでございましょう」
「……それが許せないんだな」
「いえ、許せないなど僭越な」
ガスバロはゆっくりと
「刻印魔術は、間違いなく素晴らしいものです。一種の特権であった魔術行使を、望む者に手が届くようになり、広く知れ渡った昨今、金銭の取引だけで身に付けられるようになりました」
「だが、刻印はただ便利であるだけじゃない、という事だな?」
「左様でございます。人には身の丈にあった身に着け方、という物がございます。それは例えば衣服であったり装飾品であったり、あるいは武具であったりします。金銭で賄えるからと、鏡を見ずに服を着るなど有り得ましょうか」
「なるほど、言いたい事は分かりかけてきた」
ガスバロは礼儀としてスメラータへ視線を向けないようにしているが、あのようにゴテゴテと刻印を持つ者を憂いているのだろう。
それこそ、金があるからと、服の上に服を重ねて着飾るような不手際を見せられているような気分になっているのかもしれない。それがファッションとして通用する範囲ならまだしも、ドレスの上に肌着を着るような本末転倒を見せられているなら、そのような憂いも生まれるのかもしれなかった。
「己が分を弁えず、それで刻む者を認めたくないというのなら、ギルド長として何か出来る事があるのではないか?」
「そういう訳にも参りません。あくまでご助言という形で口を挟ませて頂くものの、求める者に販売しないという事は出来ません。かつては刻める個数と冒険者ランクを紐づけしていた事もございましたが、やはり不満は大きかったようです。ギルド同士の決め事として、販売抑制は撤廃されました」
「まぁ……、荒くれ者どもが一斉に不満を露わにしたとなれば、どちらのギルドも押し留める事は難しいかもしれないが……」
ガスパロは憐憫を感じさせる様子で、重たく頭を上下させた。
魔術士を志しているような者は必然的に学が身に付くが、田舎から出てきて、剣の腕一本で成り上がってきたような者には、理が通じない輩は実際多い。
その実力でのし上がって来たという自負が、ギルド職員の言う事を聞かないというのもザラだ。あまり行き過ぎた態度は破門となるので、その辺は弁えているものだが、商品としてある物を売らないとなると、それに不満を零すのは止められなかっただろう。
依頼が終われば、その報奨金で最初の晩は豪勢にやるものだし、酒が入れば歯止めが利かなくなる者も多い。自分の魔力にはまだ余裕があるのに、なぜ制限されねばならないのか、と愚痴を言い合う事など珍しくなかったろう。
そういった者達から陳情という名の鬱憤を放たれ続ければ、ギルドとしても対処せざるを得なかったに違いない。
その結果が今の冒険者の姿になると知っていれば、恐らく必死で止めていたのだろうが、誰しも先見の眼が備わっている訳ではないのだ。
「刻印を持てば魔術が使えます。あるいは常時発動の刻印が、自身を強化してくれる……。選択肢が一つ増え、戦術の幅が広がり、それが強さだと誤認いたします。無論、取れる選択肢が増える事は生存の可能性を増やしますが、しかし余りに魔力練度を蔑ろにする行いです」
「門前でも会った奴がいたな……。デカい口を叩くだけの無能かと思っていたが、今となっては印象も変わる。軽くあしらったが、きっと嘘でも大言壮語でもなく、冒険者の中では一角の人物だったのだろう」
「目に浮かぶ様でございます。貴女様がたのような本物には……、もうお目に掛かれないと思っておりました」
ガスパロは昔を懐かしむように、あるいは惜しむように眉根を寄せ、上向きのまま動きを止める。しかし、それも数秒の事、すぐに顔を戻して柔和な顔を見せた。
「魔力の練度、制御に秀でる方は分かるものございます。隠しておられようとも、分かる者には逆に目立ってしまう。
「なるほど、そういう事か……。だが、この格好はこの都市では好まれないんだろう? 可笑しく思ったのではないか?」
「些細な事でございます。その様な事より、是非お話を伺えればと思い、まことに僭越で勝手ながら、このような場を用意させていただきました。ご気分を害していなければ宜しいのですが……」
「ああ、いや……」
ガスパロは低頭平身する勢いで頭を下げたが、ミレイユは小さく手を横に振って、気にしないよう諭す。
この老紳士に言動から含むところは感じられなかったし、ユミルに視線を送っても、やはり同意見であると頷きが返って来た。本当に、本心から
それで警戒心を引き下げ、ミレイユは鷹揚に頷いた。
「そうか。では、もてなしを有り難く受け取ろう。話をするというのも、長時間でなければ構わない。だが、まずは当初の目的である刻印を見たいのだが、良いだろうか?」
「勿論でございます。こちらが、その目録となります」
ガスパロはキビキビとした動作でミレイユの傍まで近づくと、机の上に重厚な革張り装丁の本を恭しく置く。一礼したあと元の位置へ戻り、背筋を伸ばしたまま直立して待機した。
そのままにさせて置くのも落ち着かず、正しい対応かどうかは置いておいて、ソファに座るよう勧めた。
「ありがとうございます、失礼いたします」
固辞する仕草すら見せず座った事から、どうやら間違った作法ではないらしい。
内心で安堵しながら、本を丁寧に開く。
そこには一つのページに、一つの刻印と説明が記されていた。
魔術の系統別、そして等級別とで記されているので、必然的に大量のページが必要となる。この場で全て見ていたら、日を跨いで読んだとしても終わらないだろう。
やはりこれぞ、という魔術を伝え、それに近しい刻印を幾つか紹介して貰う方が、手早く確実という気がする。
ミレイユが本から手を離すと、興味津々で見つめていたユミルが、奪うかのような手付きで持っていく。ルチアも同様の気持ちだったのは今更確認するまでもなく、開いたページに顔を近付けて読み込んでいる。
そんな二人へ目を細くさせて非難の視線をぶつけてから、改めてガスパロへ顔を向けた。
「……ギルド長。私が欲しているのは、たった一つの刻印で、それをこちらのアキラへ刻もうと考えている。実力的に見ても、それが妥当と思うが、どうか」
「まさしく、仰るとおりでございます」
ミレイユの紹介でアキラへと視線を転じたガスパロは、アキラの魔力練度、それからミレイユの提案にひどく感心した様子で頷いた。
「刻む者に最も適した個数というのは、やはり魔力総量にあるもの。そしてこの方の練度から窺える能力は、近接戦闘に適しております。このよく鍛えられた練度を損なわない為にも、一つに絞るのは妥当としか言いようがなく、その慧眼には頭が下がる思いでございます」
「そこまで言われるとこそばゆいが……。うん、だがギルド長の太鼓判を貰えたというなら心強い。アキラには、この場で考えるよう言ってあるが……」
視線を向けても、未だ目を閉じて難しく眉間に皺を寄せているだけで、こちらの会話にも意識を向けていない。話している内容が耳に入らず、それだけ集中しているなら結構な事だが、どこかのタイミングで催促しなくてはならないだろう。
だが、今はまだ急かす程ではないので、どうしたものかとユミル達へ視線を向け、そうかと思うとガスパロから質問が飛んできた。
「そちらのアキラ様、貴女様がたのお弟子でいらっしゃるのでしょうか?」
渡りに船だと思い、ミレイユはこの遅れたタイミングで自己紹介させてもらう事にした。
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