ギルド訪問 その4

 入室してまず目に入ったのは、白い壁だった。

 それは外と変わらぬ素材に思えるが、実際にはその光沢などに違いが見える。何より自然光を多く取り入れられる工夫が施されており、室内だというのに非常に明るかった。


 それまでに暗い本棚スペースを見ていただけに、その対比で驚いてしまう。

 あるいは、この対比を楽しませる為に暗くしていたのではないかと、勘ぐってしまう程だ。


 調度品もまた白を引き立てる物を用意されていて、壺には赤い花が生けられ、自然風景が切り取られた絵画が掛けられていたりと、目を楽しませる工夫が髄所に見える。

 机は長方形の大きなもので、光沢のあるダークブラウンの材質は落ち着きを見せ、そしてそれを取り囲むように置かれたソファーは、対象的に丸みを帯びて柔らかい印象を与える。


 天井に視線を移せば、木の梁が縦に数本走っていて、そこから吊り下げられた蝋燭のシャンデリアが見えた。今は当然、火は入っていないが、蝋燭を計八本立てられたシャンデリアが三つもあれば、夜でも使用するのに不便はないだろう。


 サロンと呼ぶに相応しい広さも用意されていて、暖炉も完備された室内は、どのような季節も不便なく過ごせそうだった。

 アヴェリンが納得するように頷いて見せた仕草も、敵が潜んでいない事を確認したばかりではなく、もてなしとして用意された部屋の内容も含んでいたのだろう。


 職員に促されるまま部屋の奥へ進み、そして上座へ腰を下ろして帽子を膝の上に置く。

 アヴェリンは、やはり定位置となる右斜め後ろで立ち、ルチアとユミルはそれに合わせた窓際の席へと座った。アキラとスメラータも立っていようと、ユミルたち側のソファ背面に回ろうとしたのだが、それを止めてユミルたちの対面に座るよう指示する。


 スメラータは立っていても良いのだが、アキラに刻ませようと言うのに、その本人が立ったままでは締まらない。言葉の多くは聞き取れないだろうが、しかし説明を受ける本人が近くにいないというのも不便と思っての配置だった。


「それではお茶を持ってまいります、少々お待ち下さい」


 入り口で待機していた職員が一礼し、扉を音を立てないようにして閉めていく。

 それでアキラが肩を落とすと、大きく息を吐いて背中を丸めた。

 不安そうな視線を彷徨わせているのは相変わらずで、そういえば説明をまるでしていなかった事を思い出した。


「……アキラ、ここに来た理由だが」

「は、ハイッ」

「お前に……、いや」


 そのままアール語では理解できないと思い直し、途中から日本語に切り替えた。

 ミレイユが日本語を使ったとなれば、アキラもまた使用を認められたと思い、日本語を使って返してくる。


「お前は話に全く付いて来れていなかったと思うが、私達がこの世界を離れている間に、刻印魔術という新技法が世を席巻していた。――その、スメラータが腕にしている入れ墨みたいな奴だ」

「――それ、魔術だったんですか……」

「詳しい説明は後程するとして、つまり誰にでも簡単に魔術を使えるようにした技術、それが刻印という事らしいな」


 なるほど、と口の中で呟いて、隣に座るスメラータの腕や頬の刻印を、無遠慮と思える程に見つめた。そんなアキラの様子を、スメラータは訝しむように見ている。


「――つまり、お前にも魔術が使えるという意味だが」

「僕にも!?」

「そういう事らしい。本来は才覚が物を言う魔術だし、それ故にお前には向かないと言ったものだが、刻印という技術がそれを可能にする」


 そこまで言われて、自分がここにいる理由に思い至ったようだ。

 ここがどういう場所か、魔術士ギルドという場所で何が出来るのか、それが分かっていなかったとしても、この場で説明したからには、どういう意図があっての発言だったか分かるだろう。

 理解が広がるに連れ、その表情に期待が深まるものが見えてくる。


「それじゃあ……!?」

「うん。お前に魔術を覚えさせる為、魔術士ギルドに来たという訳だ」

「本当に……!? それが本当なら……、本当に凄い事ですよ!」


 アキラの興奮ぶりは凄まじく、まるで子供のようなはしゃぎようだ。

 今までも学園で年の頃が同じ少年少女が、魔術――この時は理術と呼ばれていたが――を使う度に、自分には無理だと言い聞かせ、忸怩たる思いをしていたと思わせた。


 人には向き不向きがある、と理解していても、使いたい、使えたらという気持ちは常に胸の何処かにあった筈だ。いつだったか、魔法や魔術と言ったものへ憧れを語っていた事を思い出す。

 諦めていたものが突然、幸運にも天から降って来たような心持ちだろうが、勿論、話はそう単純ではない。


「さて、喜ばせた上で、このような事を口にするのは心苦しいのだが……」

「あ、やっぱり何かあるんですね……」


 愚痴の様な事を口にしそうになって、アキラは咄嗟に背筋を伸ばして顔を引き締めた。


「いえ、失礼しました。機会を与えてくれた事だけでも、感謝しています」

「……そうだな。まぁ、実際の機会については、これからのお前次第だが……」


 何やら不安を感じ取って、アキラはユミルやアヴェリンへと目配せする。

 しかしアヴェリンからは視線が返って来ないし、ユミルはいつもの嫌らしい笑みを浮かべて膝の上で頬杖を突くばかりで、返答らしい返答はない。


 アキラは生唾を飲み込んで、落ち着かなく身じろぎした。


「それで……、それは一体……?」

「お前に刻む魔術は一つだ。その一つをこの場で決めろ」

「一つ……。一つ、だけ……」

「少ないと思うか?」


 意地悪な質問だと思うが、アキラは一瞬迷う仕草を見せ、すぐに顔を横に振る。


「いえ、幾つもあったところで使い切れる自信もありませんし、それが僕相応だと判断されたのなら、不満なんてありません」

「うん、殊勝な判断で嬉しい……と言いたい所だが、もっと現実的な理由がある」

「……と、申しますと?」


 アキラに伝わらなくて当然だ。困惑した表情で首を傾げるアキラへ、上下に手を振って気を落ち着かせるように言う。

 刻印という技術は、何も万能な物ではなく、誰もが身に着けやすい反面、内向術士とは決定的に相性が悪いという事実も分かっている。


 肌面積が許す限り、という制限はあるものの、その制限まで刻んでしまうと、内向術士としての強みを喪う。それが転移といった便利な魔術と引き換えに覚えたい、というならそれも有効かもしれないが、間違いなく戦士としての格は落ちる。


 それもまた戦い方一つで、幾つでもやりようはあるだろうし、単純一直線の戦い方より搦め手を多様する戦い方もまた、強さの一つだ。

 それを魔術制御という超難関技術を身に着けず使用できる、というのは強みになるのは確かなのだが、ここまで内向術士として育てた力量を失わせるのは、素直に惜しい、と思ってしまう。


 何よりアキラは小難しく戦闘を組み立てるより、間違いなく剣を振り回している方が向いている。強みを一つ捨て去って、器用貧乏に割り振れば、そもそも生き残る事を優先させたいミレイユの意志と反してしまう。

 アキラの意志を極力尊重するなら――、そして今後も付いて来たいというのなら、ここは飲み込んで貰わねばならない。


「刻印を一つ刻む度、お前は弱体化する。……あぁ、内向術士の戦士として、という意味だが。実際に刻める数は魔力総量に応じた数、という事になるのだろうが、好きに刻めば練り込める量も減る分、内向術士としての出力が低下する」

「そう……そういう。それで、僕なら一つで限界だと判断されたんですね」

「余程、魔術に精通して使いこなせるなら、話は別の可能性もあるが……。お前が自分で言うくらいだ、自覚はあるのだろう」

「……ですね。だから一つで、むしろ安心できるというものかもしれません」


 アキラが苦笑して頭を掻くと、ミレイユも口の端に小さく笑みを浮かべた。


「そこでお前には、自分が身に付けるべき、自分の戦闘スタイルに合う何か、それを考えて貰う。今の自分に付け加える、それに最も適した何か……それを思い描け」

「……それは分かりましたけど、僕にはどういう魔術があるのか分かりませんよ。それとも、学園で目にしてきた理術を参考にしろ、という事なんでしょうか?」

「そうだな、魔術は実に多岐多様に渡るし、刻印魔術として発展してきた中で、新たに注目を浴びるようになった魔術もあるかもしれない。それについては、これからカタログなんかが用意されて、そこから探せるようになっているだろう」


 アキラは最近癖になりつつある、困った顔で眉を八の字に曲げた。


「見せられても、やっぱり僕には分かりませんが」

「……そうねぇ。だったら変にカタログから探すのはお止しなさいな。今アンタが戦う中で、もしくは戦ってきた中で、こういう事が出来ていたら、と想像できるものはないの? あるいはこうした事が出来れば、と思うものとか。それを考えてご覧なさい」

「おっと……、実に的確な助言だな。黙って見ているのが不安になったか」


 ユミルが小馬鹿にするような表情ながら、実に理に適った助言をすれば、それを面白がってアヴェリンが揶揄する。

 ユミルはそれに手を振って答えなかったが、アキラは素直に助言を感謝し頭を下げ、目を瞑って戦闘を思い起こし始めた。


 即座に思いつけるのか、それとも時間が掛かるのか――。

 別に急かすつもりはないが、ここで決められないようなら、いつまでも決められない。たった一つと釘を差されたからこそ慎重になるのは当然だが、それで決められないというなら、それはそれで問題になる。


 最終的にはアヴェリンから助言、ないし指示の上で決めて貰おうと思っているが、それで決めるという話になれば、アキラの評価を一つ下げなくてはならなくなるだろう。

 そう心の底で思っていると、黙り込んだアキラを期に、訝しげな表情をしていたままのスメラータが口を開いた。


「ねぇ、さっきから何を言ってたの? 全然知らない音を出して、なんか言葉っぽいのが通じてるみたいだし。この国の人じゃないの?」

「これはまた……答え難い質問だな」

「最初はアキラが、人から離れて小さい頃から生きてきたとか、そういう理由で話せないだけかと思ってた。でも、本当は普通に話せてて、それがアタイの知らない何かだって分かった。ねぇ、もしかしてあんた達って……!」


 別にどうとでもなるが、どうしたものかな、とミレイユは心底で唸った。

 連れて来たのが失敗とまでは言わないが、一々相手にするのも面倒臭い。求めているのは、単に刻印に対する助言のみなのだ。


「あんた達、もしかして別の大陸から来たの……!? そんなの無い、お伽噺だって聞いてたけど、もしかしたら本当に……!?」

「あらぁ……」

「そう来たか……」


 ユミルが呆れたように天井へ視線を向け、そしてミレイユ重く息を吐いた。

 アヴェリンは反応しないのが正解と思っているようだし、ルチアも同様に顔を背けて言葉を発しない。

 スメラータは口に出した事で、自分の意見に更なる自信をつけたらしい。更に勢い込んで、両手を握り拳にして上下に振る。


「だって、そうじゃないと可笑しいじゃん! 刻印知らないし、変な雰囲気してるし、変な言葉使うしさ!」

「……言われてみると、そんな気がしてきた」

「ちょっと、アンタが変な意見に染まらないでよ」


 ほんの冗談のつもりだったが、本気に近い叱責が飛んできて、ミレイユは小さく謝罪した。

 ミレイユの反応を見て、スメラータは更に興奮度を増して、鼻息荒くアキラへ迫る。


「ねぇ、どっから来たの? 何て国から? アタイもいつか行けるかなぁ!?」

「……は、え、なに?」


 突然肩を揺すぶられて、瞑想状態だったアキラの身体が跳ねた。

 何事かと動揺しながらスメラータを見返し、それから助けを求めるようにミレイユ達へ顔を向けてくる。


 いつまでも好きにさせておくと、いつまでも喚いていそうなので、手っ取り早く解決する事にした。

 ミレイユはユミルに目配せすると、それだけで全てを察したユミルが、スメラータの顎を掴んで強制的に顔を向けさせ命令した。


「いま起きたコト忘れなさい。アキラは山奥で一人、早く親を亡くして生きてきた。言葉を知らないのは、その所為よ」

「は、お……」


 ユミルと目が合った途端、焦点が合わず脱力する。

 言葉にならない言葉を口にして、ソファの背もたれに身体を預け、呆けたまま天井の一点を見つめたままになった。


「催眠のついでに、自分自身の考えを刷り込ませたのか」

「そう、自分の考えから生まれたものなら、それをより信じ込むから。時間が過ぎれば催眠も解けるけど、そうした時、予てから自分で考えていた意見の方が強く表に出るでしょ。大陸云々言い出したら、何を寝言言ってんの、って恍けてやればいいんだし」

「……うん、よくやった。皆もそのつもりで」


 三人から了解の返事があると同時、ノックの後しばしの間を取って扉が開けられた。

 職員の手にはトレイがあって、最初に言っていたとおり、お茶と茶菓子が載っている。それを手慣れた手付きで、それぞれの前に配置して、一礼して去っていく。


 そうしてお茶に口を付けるより前、職員と入れ替わるようにして、一人の紳士が入室して来た。

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