試練 その8

 夕暮れが迫る中、アキラは草原の上で今日何度目かになる転倒で背中を打っていた。

 アヴェリンのやる気は十分で、漲る力を持て余しているようにも見えた。

 追撃が来る前に起き上がり、素早く上段に構え、刀を打ち付けるように振り下ろす。アヴェリンは多くの場合、斬撃を避けない。避ける努力を怠るというよりは、打ち付ける感触、打ち付け防がれた後の反撃とその対処法を教える為に、敢えてそうしていると思われる。

 それ以外に考えられる要素として、アキラが躱せない程の一撃を繰り出せていない、という部分もあるかもしれない。


 今度の一撃に対しては、反撃してくる事なく、続いて攻撃する事を許可してくれたようだ。視線でそれが分かる。

 アキラもそれに視線で返して、更に連撃を繰り出す。時に実直に、時に虚実を交え、持てる力の限りに振るうも、それがアヴェリンの身体に触れる事はない。


 大振りな一撃を防がれた事で動きが止まり、拙いと思った時には遅かった。

 吹き飛ばされ、またも地面に転がされる。

 寝たままでいると躾の為に容赦のない追撃――大抵は腹に一撃――が来るので、とにかく横に転がって起き上がる。


 肩で息をしながら重たく感じ始めた刀を構え、アヴェリンを見つめる。

 アヴェリンは相変わらず息を乱していない。その身に詰まった力は、今にも膨れ上がって破裂しそうにさえ見えた。

 アヴェリンは大きく息を吸い、歯の間から絞り出すように吐いた。

 そうして鉄の棒を肩に担ぐと、その表情を緩める。


「三分、休憩だ。息を整えろ」


 言われると同時、アキラは肩を落として身体中を弛緩させ、息を整える。短時間で復調させ、万全の状態に戻すのも一つの鍛錬だと、最初の頃に教わっている。

 その為の方法も伝授されたが、まったく上手くいかず、アヴェリンの反感を買う始末だ。最近は息を整えるだけで三分かかる事を見越して、その時間を告げてくれている。


 最初は十秒と言われて目を剥いたものだ。

 アキラは息を整えながら、少しでも身体を休めようと横になる。本来なら立ったまま、戦闘状態を維持したまま休憩を取るのが合格ラインらしいが、アキラではまだその領域には達していない。

 少しでも休憩時間を伸ばせないかと、アキラは予てより気になっていた事を聞いてみようと思った。


「師匠、ミレイユ様が魔王を殺したっていう話、聞いてもいいですか?」

「……なんだ、突然」


 アヴェリンは不快げに眉を顰めたが、話題を止めるようとは言わない。だからアキラは重ねて問うた。


「あの時から気になっていたんです。どういう事なのか……魔王討伐っていうのは、こっちではちょっとした英雄譚として有名というか……とにかく気になるものでして」

「ミレイ様が話すのを渋るような内容だぞ。私が勝手に……」

「――でもミレイユ様は、聞きたければ師匠にって言ってましたよ。これって話す許可は与えてるって事じゃないですか?」


 そう言われてしまえば、アヴェリンも返す言葉がないらしい。

 渋い顔をしたまま、顔を外に向ける。腕を組んで地面の草を蹴りつけ、不貞腐れたように振る舞う。このようなアヴェリンの様子を見た事がないアキラは、聞く内容を間違えたかと思った。

 しかし、アヴェリンが再び顔を向けてきた時、そこには渋い顔が残っていたが、それでも話す意志がないとは伺えなかった。


「ミレイ様も言っていただろう、つまらん話だ。それでも聞きたいと言うんだな?」

「……はい。というか、そこまで言われてしまうと、逆に気になります」

「嫌な性分をしているな、貴様」


 アヴェリンの呆れた声にアキラが苦い笑みを返していると、ようやく話す気になったようだ。腕を組んだまま、顔も向けずに話し始めたのを見て、アキラはとりあえず身を起こして座り直した。


「旅の途中、一人の男が道を塞いでいてな……。そいつが言ってくる訳だ、自分は魔王だ、我が配下に加えてやろう、とな」

「うゎ、道端で魔王とエンカウントしちゃったんですか」

「なんだ、その、エン……?」

「いえ、すみません。話の腰を折りました、どうぞ続きを」


 アヴェリンは胡乱げな視線で見つめるまま、言われた通りに続きを話した。


「ミレイ様は元より、私も同様、その話を信じなかった。春先には馬鹿が出てくるなと思いながら素通りしようとし、そして襲い掛かってきたから返り討ちにした。話はそれで終わりだ」

「――え!? 終わり? それだけですか!?」

「だから言ったろう、別に面白い話じゃないんだよ」

「でもそれじゃあ、魔王を殺したなんて言っても、インチキみたいな話にしかならないじゃないですか。単に不審者を殺したっていう話であって……!」


 アキラは必死で言い募るが、アヴェリンの返答はにべもなかった。


「最初に言った筈だぞ。面白い話にでもなると思ったか?」

「それは……確かに言ってましたけど」


 それにしても、あまりに簡潔に話し過ぎると思う。大体、それで魔王を殺したなんて法螺もいいところだ。そんな大言壮語をミレイユが言うとも思えない。

 これには語っていない部分が多いように思え、それでアキラは一つの事を思い出した。


「でもほら! ユミルさんが魔王だって、本物だって忠告したって言ってたじゃないですか。その辺り、どうなんですか?」

「変なところ覚えてるな……」


 アヴェリンが嫌そうに顔を顰め、それで渋々ながら語ってくれた。


「それについては、確かにアイツは言っていた。男が魔王だと語り、それを私達は騙りだと思った。……当然の反応だ、しかしユミルだけはそれを否定し、男が本物だと言い出した。そして殺した。話はそれで終わりだ」

「いやいやいや! 明らかにばっさりカットしてる部分ありますよね!? 殺すところまで行った過程を教えて下さいよ!」


 アヴェリンは面倒くさそうな顔して溜め息をついた。

 正直、つきたいのはこちらの方だと言いたかったが、話をせびる相手が相手である以上、下手に出るしか選択肢はない。

 なんとか話してくれないものかと思っていたら、渋い顔はそのままに語り始める。


「ユミルの発言に気を良くした男は名を名乗ったが――、これについては本当に覚えていない」

「え、あ、そうなんですか?」

「覚える価値もない男というのも本音だが、長ったらしい名前でな……。一度聞いただけでは耳が滑って内容が入ってこない有様だった」

「なるほど。それで、どうしたんです?」


 真面目に語る気になったらしいからこそ、これからの内容に期待が持てる。アキラとて年頃の男として、こういう話は大好物なのだ。それも本物のファンタジー世界の住人の話なら、機会があれば絶対聞きたいと思うのが自然というものだ。


「男は自慢げに語りだしたよ。なぜ自分がここにいるのか、なぜ現代に蘇ったのかをな」

「以前に討伐されてるんでしたっけ?」

「伝聞の上では、二百年前だと言われてる。正確な日数ではないかもしれんが、ユミルもそのぐらいだと言っていた。そして、自分は自分に不死の呪いを掛けたと言い、それこそ自分がここにいる理由だと語った」

「不死……呪い……、アンデッドと言うことですか? つまり、ゾンビとかそういう?」


 アキラが思いつく一般的な思い付きを口にしてみると、アヴェリンは難しい顔で否定した。言葉にしようと何度か口を開け、そして閉じる。あまり単純な内容ではないらしい。


「肌の色は青かったが、ゾンビというような腐り落ちた死体という訳でも、骨が見えるような欠損の身体という訳でもなかった。……見た目だけなら健康な成人男性という事になるのか」再び考え込む仕草を見せ、そして顔を上げた。「ユミルが言うには、馬鹿な手法だと。死なないという意味の不死ではなく、死ねない類いの不死であると。肉体は滅んでも魂は残り、そして百年以上の時間を経て再び肉体を得るらしい」

「それは……どうなんです? 蘇るのは確かに自然な事じゃないですけど、馬鹿な手法だと言われるような事なんですか?」


 アキラは別に、不死に憧れを抱いていない。

 両親の蘇生が叶うなら願ったのかもしれないが、それが百年以上の時間を使って蘇るというなら、あまりに意味がない。願った本人は当に死に、そして蘇った本人は長い時の果て、知り合いもなく独りで世界に放り出される事になる。


 そういう意味なら、確かに馬鹿な方法と思えるが、この場合本人が自分の為にかけた呪いだ。このままで終われないと思ったからこそ、再起を図れる手段として使ったのだろう。

 それがそこまで悪い手段だったのだろうか。


「そうだな……、この呪いの恐ろしいところは、死ぬ度に魂が矮小化すること……らしい」

「はぁ……つまり、どういうことです?」

「私もよく知らんが、簡単に言うと弱体化、のようなものだと。最初の一回はいいが、二回目となると顕著で、三回目からは再起不可能となるまで弱くなる。肉体的、精神的、そして魂の器も同様に。人としての肉体を維持できなくなり、それよりもより単純で弱い生物に形を変えて生まれてくることになる」

「つまり、犬とか鳥とか、そういう動物に……?」

「そのようだ」


 それはとても恐ろしいことに思われた。自我を維持できているかも分からないが、自分が且つて人であった事すら忘れ、動物として行きていくのは幸せな事なのだろうか。


「最初に話したとおり、魔王は私達にも破れた。これは肉体的不死を意味していないのは分かるだろう? だからまた次に生まれ直しても来るわけだが、そうするとこれが更に弱くなる。仮に善人として過ごしても余命は短い。動物に生まれても寿命は十年程度と短く、魂が小さくなれば次は虫だ。虫の寿命は更に短い。そして、その時には後悔する知能すらないだろう。だが魂がすり切れなくなるまで、それが延々と続く」


 アキラは顔を青くして引きつらせた。

 確かにこれは馬鹿な手法だ。たった一度やり直すつもりで取った行動でも、やり直す機会を得られなければ意味がない。そしてもし、それを成したとしても、寿命が尽きれば、生まれ直しを強制され、後悔しながら魂が擦り切れていくのを見ていくのだ。


 呪いと言われるのも頷ける。

 更に救えないのが、それを自分にかけたということだ。それ程の無念、それ程の後悔があったからこそやり直しへ臨んだのだろうが、既に一度ミレイユ達に破れてしまった以上、次の再起は相当苦労する事になるだろう。


 そして短い余命が更なる障害となって立ち塞がる。

 これは、あまりにも憐れだ……。

 そう思って、アキラは顔を上げてアヴェリンの苦々しい横顔を見つめた。

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