御影の意思 その4

 そういう反応が返ってくると分かっていたからこそ、ミレイユは結希乃が気に入っていた。

 明らかな敵意を漲らせる訳ではないが、腹の奥底に隠して燃やしている。それを隠せていると思っているからこそ、尚のこと面白い。


 おちょくって遊びたいという嗜虐心からではない。

 単にミレイユの周りにいなかったタイプだから、傍で見たいと思っただけだった。

 結希乃は微笑の奥に本心を隠しながら、次を催促してくる。


「……光栄ですわ。それで、他に理由があるならお聞かせ願います」

「あとは、私が唯一接触できた御由緒家だったから、だな」


 ミレイユが御由緒家の名前を出した途端、結希乃の瞳が剣呑な眼差しに変わった。

 御由緒家はオミカゲ様に最も近しい家系だとミレイユは聞いた。勿論、その家に対して歴史上様々な輩から接触もあった事だろう。

 少しでも権力欲や名誉欲があれば、オミカゲ様に近づきたいと思うのは必定。そして、その渡りを付けられる人物は、と考えるとその存在は限られてくる。


 多くの誘惑や、袖の下を渡そうとして来た者たちがいた事は容易に想像がつく。

 結希乃も当然、家の者から多くの教訓を学んできた筈だ。

 ミレイユの発した一言で気配が変わるのも当然と言えた。


「我が阿由葉家にどのような用向きがございましょうとも、一見さんに私から当主に渡りを付ける事はございません。お力にはなれないかと」

「用があるのは当主ではないが……。そうか、話を通して貰おうと思うと、当主から話して貰うしかないのか……?」


 言いながら、ミレイユは顎先を摘んで考え込む。

 ミレイユにとって用があるのは当主ではない、オミカゲ様だ。だが、そこに話を通して貰おうとすると、幾ら御由緒家とはいえ当主でもない者が直接渡りをつけようとしても無理なのかも。


 だから結希乃を説得した上で当主に話をしてもらい、その当主から奥宮の誰かに話しをして、そこから更に経由してオミカゲ様の耳に入れるかどうかを判断する、そういう流れが必要になる。


 一国の王とてその程度、それ以上の経由を果たさねば外からの声など耳に入らぬものだ。

 それが権力はまだしも崇敬として最上位にいるこの国の神に対して、そう易々と部外者――それも犯罪者扱いの者の声など届ける筈がない。


 ――だが、こうも思うのだ。

 同時にあちらはミレイユの事を把握している。

 ミレイユという異質な存在という人物に対してではなく、もっと深く個人としてのミレイユを知っていると感じるのだ。


 そしてそれは、結希乃に対し不興を買うな、という警告を残した事からも窺える。

 大宮司と呼ばれる何者かは、明らかにミレイユを知っていた。渡りを付けるというなら、まずそちらへ付けてもらった方が話も早いかもしれない。


「あの……?」


 一人呟くようにして言ってから黙考を始めたミレイユに、結希乃は困惑した表情を隠さず顔を向けてきた。

 ミレイユはそれに応えるように顔を上げた。


「……そうだな。阿由葉の当主にというより、むしろ大宮司と呼ばれる人物と話がしたい。そちらに渡りを付けられないか?」

「馬鹿な……!」


 結希乃はここで初めて感情を顕にした。椅子を引き、拒絶するように手を前に突き出す。

 部屋の隅で控えている男にさえ動揺が見えた。


「大宮司様は単なる神社の宮司様とは違います。御由緒家と言えども、そう簡単に接触できる御方では有りません……! ましてや私が口利きなど……あまりに不敬です」

「それほどの人物なのか……」


 結希乃は無言で首肯する。

 あるいは神に次ぐ地位にある人物、そう考えて良いのかもしれない。結希乃の態度は、そう思えるほど畏敬の念が窺えた。


 だがそうすると、分からない事が出てくる。


「お前は勅を受け取ったと言っていた。そして警告を受けたというような事も言っていた、そうだな?」

「そうですが……」

「その大宮司は――」

「失礼を」


 言いかけたミレイユの台詞を、結希乃は断固とした表情で差し止めた。


「役職の名であろうとも、必ず敬称をお付け下さい。あまりに無礼な振る舞いは看過できかねます」

「ああ、そうだな……。すまなかった」


 ミレイユは素直に謝罪した。

 いつだったかアキラにも似たような事を言われたものだ。自分が敬意を向ける相手をぞんざいに扱われて面白く思う者はいない。


 しかも相手は神職だ。ミレイユが先程考えたように、あるいは神に次ぐ地位の役職なのだ。相手を恐ろしいと思っても、看過できない問題というものもある。


「それで、その大宮司サマから警告を受けたというなら、その人物は私を知っているという事になるな……?」

「それは……はい、そうかもしれません」

「内容は何だったか……。不興を買うな、だったか」


 結希乃の表情が固くなる。口元も引き締められ、先程まで浮かべていた微笑は全く見えなくなっていた。

 ミレイユは敢えて両手を胸の前まで持ち上げ、そこに何もない事をアピールする。そして手首同士を、上下へ打ち付けるように振ってみせた。


「手錠を改めて着けようとしないのも、その一環か? 護送車内で好きにさせていたのは? 忠実に守るだけの価値が、私にはあるのか?」

「貴女は……、何者なのです」

「それは私が知りたい」


 ミレイユは再び胸の下で腕を組み、帽子のツバを摘んで下げた。

 いま言った事は本心だった。

 ミレイユは明らかに自分が日本人としてこの世界で生きていたという記憶を持つが、同時にこの日本は明らかにミレイユが知っている世界とは違う。


 何より気になるのがオミカゲ様の存在で、これが全ての齟齬の核、特異点となっているのではないか、とミレイユは疑っている。

 その事で何か知る事ができないかと動き、そして期待とは違うものの反応はあった。


 魔力や魔術を扱っているとしか思えない者たち、その者たちに指示を出せる地位にいる者が、ミレイユを知っていると思わせる動きを見せた。

 ならば、あちらもまた接触を望んでいると考えて良いように思えた。

 だからこそ、こうして大人しく捕まってみたのだが、果たしてこれが吉と出るか凶と出るか……。

 それはまだ分からない。


 向こうから足を運んでくるとは思っていない。

 だからミレイユの方から出向く意思あり、と伝えることが出来れば、と思ったのだ。それには近しい立場である筈の御由緒家を利用するのが近道だと思った。

 しかし結希乃の反応を見るに、どうも簡単には行きそうもなかった。


 ――さて、どうしたものか。

 数日、ここで拘留でもされていれば、あちらから動きがあるものか。それとも大宮司の所在を突き止め、そこ目掛けて突貫した方が早いのか。


 ミレイユが考えあぐねていると、スマホの着信音が鳴った。

 結希乃か、それとも後ろの男のものか。ミレイユがちらりと視線を向けると、結希乃が懐からスマホを抜き取ったところだった。


 画面を見て怪訝な顔をし、ミレイユに目線を向けてくる。

 どうぞ、という風に手の平を向ければ、頭を下げて椅子から立ち上がり、ドアの方へ向かった。


「……はい、私です。……そうです、第二取調室に。……ええ、完全に形式に則った形ですが」


 結希乃はドアを開けるよりも先に話し始め、歯切れ悪く応答している。ドアの前に立って、そのノブに手を掛けようとして動きが止まる。


「……いえ、違います。……そのような事、何も聞いておりません。……はい。……いいえ、指示はなかったと思いますが」


 何やら電話の向こうと齟齬が発生しているようだった。話の雲行きが怪しくなってきたと見え、大人しく待機していた男も怪訝な表情を見せている。


「……こちらに来ている? お待ちを……ここというのは? こことは、本庁という意味ですか?」


 結希乃の声は逼迫していた。焦りも顕に男へ目配せして、次いでミレイユにも目を向けてくる。

 そのような目を向けられても、ミレイユには意味が分からないし助けようもない。


 スマホのスピーカーからは、微かに怒声のようなものが聞こえてきた。怒声というより悲鳴かもしれない。とにかく、状況に困惑しているのは結希乃だけではない、という事らしかった。


 結希乃がドアノブに手を掛け、そしてノブを回そうとしたところで、ドアが向こうから開けられる。ノックもなしに開いたので、結希乃も面食らって後ろに二歩下がった。


 扉の奥から姿を現したのは、巫女服を着た清廉そうな女性だった。

 室内に一歩踏み入り、そして結希乃と隅に控えた男へ一瞥する。しかし巫女は二人に声をかける事なく、更に足を踏み出した。


 結希乃のスマホからは未だ何かを言う声が聞こえていたが、既に耳から離して巫女を目で追っている。まるで信じられないものを見るかのような目をしていた。

 結希乃も男も、この場で声を掛けて止めるべきと分かっているだろうに、巫女の背中を黙って見送っている。


 ミレイユにしても、全く現実味のない光景に困惑していた。

 ここは警察とは違う場所だろうが、そのような組織であるのは想像がつく。そこに巫女というのはあまりにチグハグだったが、ミレイユはそこでようやくもしや、と思った。


 先程まで望み、どうすれば大宮司と接触できるかを考えていた。向こうから接触も望んでいた。そして、その遣いが或いはこの巫女なのではないか。


 ミレイユは期待を込めて巫女を見る。

 巫女はミレイユの対面の椅子に座ることなく、その二歩手前で立ち止まり、両手を臍の上辺りで重ね、その場で深々と礼をする。四十五度より幾らか深い、完璧な姿勢で腰を折った。


 じっくりと五秒の間、最敬礼を見せた後、ゆっくりとした動作で元に戻る。静寂な室内で、その僅かな衣擦れの音がやけに響いた。

 顔を上げた後、もう一度、今度は浅い角度で礼をする。その後、凛とした声音で口を開いた。


「お初にお目にかかり、恐悦至極に存じます。連絡の不備、及び勅の内容不備により、このような不自由をおかけしてしまった事、誠に申し訳有りません」


 巫女はもう一度、深く腰を折り、そして頭を上げて続ける。


「此度、御影豊布都大己貴神みかげとよふつおおなむちのかみ様の御神命により、お迎えに参りました」

「神……? 大宮司サマから接触があるかと思っていたが……。それに、何だって……迎え?」

「はい、大宮司様も大層お気になさっておいでと伺っております。お会いになる機会もありましょうが、まず御影神宮は奥御殿までご足労願いたく存じます」


 そう言って、巫女はまたも最敬礼をして腰を折る。

 結希乃の手からスマホが滑り落ち、硬質な音が部屋の中に響いた。呆けた口から、喘ぐように声が漏れた。


「貴女は……、一体何者なのです」

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