幕間 その6

 オミカゲ様の名の下に書かれた内容は、甲ノ七の捕縛命令だった。

 つまり、その命に代えても捕縛または拘留しろという意味だ。本気の抵抗を受けた場合、結希乃の生命すら危うい。オミカゲ様の為なら生命すら惜しくはないが、現実問題として可能かという問題があった。


 だが仮に不可能であろうとも、実現に向けて最善を尽くさねばオミカゲ様にも、御由緒家たる阿由葉家にも顔向けできない。

 兎にも角にも、結希乃は全部隊に向けて招集命令をかけた。


 即座に全員が集まるだろうと分かったが、何しろこの場では問題がある。

 それでマフィアを処理する部隊だけ残して移動し、そこで新たな作戦を展開する旨を伝えた。


 その中心には御由緒の四家が厳しい表情で直立している。

 彼らを侮るような気配はない。あの場にいた誰もが、相手の力量が自分たちの遥か上にいると実感していた。しかし、だから仕方ないと項垂れるようでは御由緒家を名乗る資格はない。


 御由緒家はオミカゲ様の矛であり盾だ。その威儀を持ち、またオミカゲ様より力を与えられたが故に、誇りを持って命令を遂行する。

 今までの歴史を振り返っても、それを出来なかった者は存在しない。それを自分の代で汚す訳にはいかない、という強い思いがあった。

 それが彼らの表情に浮かんでいる。


 結希乃もまた同様の気持ちで四人の顔を見つめた。

 これ以上の失態は許されない。それが全員の胸に刻まれた総意だった。


「これは神勅による作戦行動だ、全員気を引き締めろ」

「はいッ!!」


 予め伝えておいた事ではあるが、その一言で尚一層顔が引き締まる。集合した他の小隊員全員も、同じように使命感に燃えた表情を見せた。


「既に警察には協力要請を出している。道路封鎖と避難誘導は既に始まった。現在展開されている結界内に甲ノ七がおり、彼らの実力を考えれば、いつ結界が消滅するかも分からん状態だ。――由喜門」

「はいっ!」


 呼ばれた紫都が背筋を伸ばし返事をした。

 名を呼ばれただけで何を要求されているか理解している紫都は、その場で理術を制御して空中にディスプレイを出現させる。

 結界の中の状況が鮮明に映し出された。


 そして、そこに映し出された光景を見て、誰もが顔を顰める。誰かがポツリと、呻きにも似た声を漏らした。


「牛頭鬼か……」


 結界内にいたのは黒い体毛に覆われた、角を生やした牛頭を乗せた巨漢だった。一体だけでも厄介な相手で、御由緒家の誰でも倒せない相手ではないが苦戦は免れない。

 しかも今回は、それが四体もいる。


 異常と言っていい数だった。多くの場合、少数の弱い鬼が出てきた後に現れるのが大物と呼ばれる鬼だ。この牛頭鬼も間違いなく大物で、最初から現れるものでも複数で現れるものでもない。


 最近の孔の状況は異常の一言で、このような想定とは違う出現がよく見られる。

 これも甲ノ七が姿を見せるようになってから見えるようになった現象だが、果たして関係はあるのだろうか。オミカゲ様の勅といい、最近の不可解な命令の数々といい、全くの無関係と考えるのも難しく思えた。


 結希乃達が相対したなら絶望にも思える状況だが、しかし彼女らなら問題ないだろうという、ある種の信頼があった。

 むしろ、あの数を処理する時間の間に部隊を展開できると思えば、よい時間稼ぎになるだろう。

 結希乃は即座に指示を飛ばし、結界を中心とした包囲を作ると宣言した。


「場合によっては消耗も期待できるかもしれない。とにかく数による圧をかけて、降伏を勧告する。拒否された場合は戦闘に入る。花郁はその際、即座に結界を展開しろ」

「了解しました」

「質問を受け付けている暇はない。小隊ごとに包囲し、武器を構えて待機。――急げ!」


 その一言で全員が散開して走り出す。

 結希乃もまた自分の隊を率いて走る。そして現場に到着し、全小隊が所定の位置に着いたところで結界の消滅が始まる。

 罅が入り、そして一瞬の均衡の後、砕けて消えた。


 姿を見せる甲ノ七を視界に収めた。相変わらず帽子とサングラスで表情は読めない。

 結希乃は、努めて冷静に、と自分を諌めながら息を吐く。

 しかし相手は辺りの様子が一変している状況に、面白がってすらいるようだった。その余裕は状況を理解しても尚、それを切り抜けられるという自信から来るものなのだろう。

 それが癪ですらあった。


 結希乃は腹に力を込めて、包囲した小隊の中から一歩を踏み出す。

 睨み付けるように視線を強くして一喝した。


「神妙に願います! これより貴女方を拘束、連行します! 一切の抵抗をせず、大人しく捕縛されるよう!」


 正直なところ、これは全くの形式で、甲ノ七は決して大人しく捕まるだろうとは考えていなかった。ヤクザやマフィアにそうしたように、結希乃たちをも蹴散らして我が道を行くだろう。


 この取り囲んだ兵を上手く使えば、一国と戦争すらできると言われる程の戦力がある。しかしそれさえ、彼女らにとっては敵にすらならない。

 それを先の結界内の戦いで証明してしまった。


 しかし、それをおくびにも出してはならない。

 この戦力なら自分たちすらただでは済まない、と思わせてやらねばならない。


 ――どれ程の抵抗があろうとも、必ず捕縛してみせる。

 そう強く思った時だった。

 しかし彼女は、あまりにも呆気なく、あまりにも簡単に投降してみせた。


 お前の顔を立てよう、という本心とは思えない台詞を口にしながら。

 結希乃にとって、その台詞は欺瞞にしか聞こえなかったが、しかし抵抗のうえ全滅の憂き目に遭うよりはマシだった。


 用意された護送車に入る時も、そして運ばれる最中も抵抗もなく素直なもので、生霧会ビルで話した時のような傲慢さから、好き勝手に動くと思っていた結希乃からすれば、あまりに意外だった。

 所持していた神刀も、すぐ傍で倒れていた男から奪取したと知らされ、宣言どおりに返却に応じた。


 御影本庁まで辿り着き、護送車から降ろしても、まだ素直だった。

 どこかで動き出すと確信すらしていたので、その一挙手一投足に注意を向ける。手錠はしていない。最初は着けたが、まるで粘土細工のように指先で引き千切られてしまった。


 自由な身にしているのに不安は残るが、無理にして暴れられる方が厄介だ。

 今はまだ素直に言う事を聞く気でいる。その状態を崩したくはなかった。

 本庁の中へ隊員に取り囲まれながら入っていくのを見送っていると、妹の七生が話しかけてきた。


「姉上、お疲れさまでした」

「ええ、貴女もお疲れ様」


 不満も不安もあるが、それが七生に伝わらないよう、余裕を感じられるように表情を取り繕って笑みを見せる。


「不甲斐ないところをお見せしまして、申し訳ありません」

「いいえ、貴女は良くやってくれたわ。御由緒家に限らず、他の皆もね。私自身も多くのミスがあった、文句なんて言えないわ」


 冗談めかして言えば、七生も暗い表情の中にちらりと笑顔を見せた。


「それで……彼女らはこれからどうなるのでしょうか」

「さて、どうなるのかしらね……」


 勅の内容は捕縛する事だった。

 それ以上の事は聞いていない。拘留していれば追加の指示なりが飛んで来るのだとは思うが、確かな事は言えない。だから七生には曖昧にはぐらかすような返事をするしかなかった。


 勅による作戦への横槍から始まり、勅によって変動があった今回の事件。

 不可解な事が多すぎるような気がする。まだ終わりではない、あるいは始まりなのかもしれない、と結希乃は思った。


 とはいえ、これは結希乃の勘のようなものだ。

 いたずらに口にして妹を不安にさせる必要はない。だからその肩を叩いて、優しく笑んだ。


「今日はもう帰りなさい。報告書は五日以内に提出してくれればいいわ。お疲れ様」

「分かりました。……姉上は?」


 一緒に帰りたいという甘えのようなものが見えたが、結希乃は苦笑して首を振る。


「私にはまだ仕事があるもの。今日は帰れないわ」

「そうですか……」


 落胆しそうになった表情をすぐさま引き締め、七生は一礼して去っていく。

 遠くで待っていたと思われる他の御由緒家と合流し、全員が改めて一礼して来て、それに小さく手を振って応える。


 結希乃は本庁の中へ入って、手近なところで控えていた國貞を捕まえて甲ノ七の所在地を聞いた。


「それで、どうなの?」

「いえ、何も追加の指示もありませんので、それまでは形式通りに事を進めておこうという話になったようです」

「妥当と言えば妥当だけど、勅を持って捕縛しろという命が来た相手なのよ。形式通りにして良い相手じゃないでしょう」

「その辺は……ええ、お役所仕事なところがありますし……」


 そうね、と結希乃は力無く頷いた。

 ここで文句を言っても仕方がない。形式通りというのなら、今は取調室にでもいるのだろう。


 結希乃は國貞を連れて取調室に向かう途中で、千歳がこちらに向かっているのに気付いた。今は書類をまとめて報告書の草案作りをしている筈だが、一体どうしたのだろうか。


「結希乃様、良かった。こちらにいたんですね」

「どうしたの、千歳。急ぎの用?」

「甲ノ七が、結希乃様を呼んでいます」

「私を……?」


 御影本庁の人員においても、直接対面し、対話したのは確かに結希乃しかいない。初対面の誰かと比べればマシかもしれないが、呼ばれる程に親しい間柄という訳でもなかった。

 怪訝に思いながらも、先程形式通りにするのもどうなのだ、と物議を醸したばかりだ。正直なところ行きたくはないが、行かないわけにもいかない。


「分かったわ。時間が掛かるかもしれない。報告書の方、確認だけで済むところまでお願いできる?」

「了解です。……その、結希乃様、お気をつけて」

「別に、話をしに行くだけよ」


 千歳の不安そうな顔でそう言われてしまうと、結希乃まで不安になってくる。

 その気持を押し殺して取調室へ向かい、その隣に用意された、マジックミラーで仕切られた取り調べの様子を見られる小部屋に入る。


 入室した結希乃に待機していた職員が一礼し、結希乃もそれに返す。

 マジックミラー越しには、気楽な様子で座っている甲ノ七が見えた。優雅な佇まいで気品すら感じる様は、座っているのがパイプ椅子だと忘れてしまうような有様だった。


 姿が見えている筈もないのに、結希乃の方へと顔を向け、指先をすら向けてくる。手の甲の向きを反転させ、手招きするように指先を動かした。


「……ご指名ですね」

「何もかもが異例尽くしの状況です。頼みますよ」


 何を頼むというのだろう。

 結希乃は曖昧に笑んで小部屋を出て、改めて取調室に入っていく。一人での立会いは規則違反なので、國貞も一緒に入室した。

 結希乃が机越しの椅子に座ると、國貞は入り口近くで待ち構えるように腕を組んで待機に入る。


 帽子もサングラスも相変わらずで、本来ならこれらは取り上げられる筈なのだが、今もこうしているところを見ると、抵抗にあって奪えなかったのだろう。

 素顔くらい見せろと言いたくなるのをグッと堪え、少しでも距離を離すようにパイプ椅子の背もたれに背中を付ける。


 甲ノ七は何も言わない。

 サングラス越しに見つめられている事は分かるものの、それ以上、何の動きも見せなかった。

 沈黙に耐えかね、結希乃の方から口を開く。


「それで……貴女は何者なのです?」

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