幕間 その5

 氷の牢獄が消えて、結希乃のインカムに次々と報告が上がってくる。

 捉えたつもりが実は逆だ、と言っていたのは間違いなかったらしい。あの牢獄はあらゆる干渉を跳ね除け、電波すら受信できないようになっていたようだ。

 結希乃は叩きつけるようにして、インカムのマイクに向かって叫んだ。


「――状況は!?」

「既に突破されました! 結界内にはもういません!」

「どちらもか! それぞれ御由緒二家で当たった筈――それでもか!?」


 肯定する返事が返ってきて、結希乃は歯噛みした。思わずインカムの根本を摘んでいた指にも力が入る。

 彼女らの力量の程は理解していた――していたつもりだった。しかし二家をリーダーに据えた二個小隊、そしてそれをサポートする為の三個小隊を持って足止めすら叶わないとは想像もしていない。


 氷の牢獄に囚われていた時間は、そう長いものではなかった。

 誰もが万全の状態で迎え撃つ状態になっていたのは疑いようもない。結界の境界までも距離があり、そう簡単に突破できるものでもなかった筈だった。


 結希乃は國貞に預けていた千歳の容態を確認する。


「千歳、無事? どこか動かせないところは?」

「は、はい……。結希乃様、申し訳ありません」

「そう何度も謝らなくていいわよ。それで、どこにも怪我はないのね?」

「はい、大丈夫だと思います」


 本人の自己診断と実際に結希乃から見た状態を鑑みても、怪我らしい怪我はないようだった。実際、串刺しのようには見えていたが、その全ては身体を器用に避けていた。

 手加減されていた事を喜ぶべきか、それとも愚弄されたと怒るべきか……。後者の気持ちが残るのは、武人としての矜持故だ。


 とはいえ、いつまでもここで憤ってもいられない。すぐにでも甲ノ七を追わねばならなかった。

 結希乃は全隊員を預かる指揮官として、千歳の顔を覗き込む。


「これから追跡に向かう。問題ないか?」

「はい、大丈夫です! 動けます!」


 力強い頷きを返してきて、結希乃もまた頷く。隣りにいる國貞にも顔を向ければ、やはり頷きが返ってくる。

 その二つの返事を確認するのと同時、結希乃は彼女らが逃げていった窓から、同じように飛び出す。問題なく着地し、インカムに手を添えて細かい状況を把握しながら、途中で分かれた花郁と合流した。


「それで、他の小隊で動けるのは?」

「合わせても三個小隊だけです」

「それだけ、か……。御由緒家は全て動けないのか?」

「いえ、阿由葉様と由衛様は先程意識を取り戻されました。怪我も現在治療中ですが、幾らもかからず復帰できます」


 不甲斐ないと嘆く事はできない。結希乃も似たようなものだ。怪我もなく昏倒もしていなかったのは、あくまで相手の慈悲に過ぎない。

 結希乃は悔しい気持ちを押し殺しながら続ける。


「比家由と由喜門は?」

「陣の中で拘束されていて身動きが取れない模様です。陣内の理力が失われれば自動的に解除されるとの事ですが、それ故にあと三十分は現状のままかと……」

「……そうか、残念だが仕方ない。早める方法があるのなら、それを試してみるように。解放されたら、即時報告」

「了解しました!」


 通信を終え、ならば結界の解除はまだしない方がいいか、と考えを改める。

 本来なら作戦の失敗が決まった時点で解除する予定だった。しかしあの二人が位置取った地点は交差点の真ん中だった筈。彼らの無事が確認できるまで解除は出来ない。


 結希乃は花郁をこの場に残して行く事を決め、比家由と由喜門の移動と共に結界解除の指示を出す。

 今は何より追跡を優先しなければならなかった。

 彼女らは既に埠頭へ辿り着いている可能性すらあり、そこで何が起きるかを考えて頭が痛くなる。最悪、取引も生霧会も、マフィアも全て取り逃がす事になれば、御影本庁の名にも傷がつく。


 予め決めてあった脱出ポイントに向かい、車に回して貰って埠頭へ急ぐ。

 走って行くことも出来なくはないが、これから戦闘もある事を考慮すると少しでも体力は温存しておきたい。


 埠頭に辿り着くと同時、上空に花火のように見える何かが打ち上がった。

 似ているだけで全く違う造形だったが、とにかくあの直下で何かがあったのは確かだ。倉庫が幾つも連なる部分で、取引場所がそこの何処かまでは突き止めていたものの、正確な場所までは分かっていなかった。


 ――嫌な予感がする。


 停車を待つ事すらもどかしく、未だ走行中にも関わらずドアを開けて飛び出した。

 後ろから呼び止めるような声が聞こえるも、それを無視して花火の直下へ向かう。

 そうして、辿り着いた先で目にしたのは半開きになった倉庫と、中で気絶している生霧会の組頭と護衛だった。


「終わった後か……」

「結希乃様……!」


 追いついた千歳と國貞へ彼らを拘束するよう命じ、インカムの向こうへ応援を頼む。

 そうしながら地面に落ちた麻薬と、テーブルの上にあるケースに満載されている麻薬を見る。既に取引は終了していた事の証明であり、そして神刀も既にマフィアの手に渡った事を意味した。


 甲ノ七の目的を考えれば、目の前で組頭が昏倒している事実からも、既に逃亡していると考えるのが妥当だ。やるだけやって、引っ掻き回して去っていったという訳だ。


 麻薬取引の現行犯として逮捕すること、引いては生霧会とそれに連なる暴力団へもガサ入れが出来るだろうが、一番の懸念だった神刀の行方は、これで絶望的になった。

 大いに顔を顰めている最中、インカムから通信が入る。力無い手付きでマイクに手を添えた。


「甲ノ七が暴走車両を追跡中! 目的は不明ですが、どうしますか!」

「すぐに追う! 位置知らせ!」


 結希乃は弾かれたように顔を上げ、後を任せて走り出す。

 埠頭の入り口で停車していた車を使って、今も暴走を続けているという車両を追う。予備として残していた小隊も動員して、別方向から確保に動くよう指示して、とにかく車を走らせた。


「頼むわよ、今度こそ逃さない……!」


 小隊と結希乃が、路肩に停車している車に追いついたのは、ほぼ同時だった。

 車体の側面が大きく凹んでいるのは何だろうか。まさか殴りつけた訳でもあるまいし、流石にそこまで非常識な振る舞いをするとは思えない。


 周囲には野次馬が集まりつつあり、その整理も必要になりそうだった。

 運転席側の地面には男が一人蹲るように気絶していた。日本人ではない。これが取引相手のマフィアである可能性は高かった。

 車を覗き込めば、そこにも血を流して気絶している男がいる。


「阿由葉様! 後部ドアの中に……!」

「どうした!」


 呼ばれて車両後部へと向かうと、開いたドアへと差し向ける手がある。それの差す向こうへ目を向けると、倉庫内でも発見できた麻薬のケースが見つかった。

 ならば、この男たちが取引相手となるマフィアで間違いない。


「他に見つかったものは?」

「いえ、特にこれといったものは……」

「神刀がある筈よ。ケースにしろ袋にしろ、場所を取るものなら隠すにも限度があるでしょう」

「探します」

「表面的に見るだけじゃ駄目よ。どこかに隠し場所があるかもしれない」


 それに頷いて作業に取り掛かる隊員を見ながら、結希乃は臍を噛むような思いをしていた。

 常に逃げられ、常に後手後手になっている状態だった。

 生霧会もマフィアも逮捕できたので、目的は達せられたと言う事は出来る。神刀は取り返してやるという発言を信じるなら、持ち逃げするつもりもないだろう。

 この場から見つかれば作戦成功になり、目的も完遂できた事になる。


 それは喜ばしい。それだけを考えれば。

 しかし実際は常に引っ掻き回され、弄ばれただけだ。後処理も面倒な事になるだろう。御由緒家の実力に疑問を抱く者も出てくるかもしれない。権威の失墜というほど大袈裟な話にはならないだろうが、それでもついた傷は浅いものでもない。

 暗澹たる気持ちのまま溜め息を吐くと、インカムに新たな情報が伝えられた。


「報告します。飛波大通りに結界発生!」

「誰が展開した!?」

「いえ、自動展開されたものです。目撃情報によると、付近には甲ノ七もいた模様です!」

「全く、次から次へと……!」


 本日、孔が生まれる可能性は最初から考慮されていた。その為に別働隊として即応できるように小隊も用意していたのだ。だから、それ自体は良いのだが、問題はそこにもまた甲ノ七が関わる事にあった。


 逃げられた訳ではないと喜ぶべきか、それともまだ引っ掻き回すつもりかと嘆くべきか、結希乃にも判断をつけられない。

 とにかく指示を出そうと思ったところで、横合いから掛かる声があった。


「阿由葉様、お忙しいところ大変恐縮ですが、失礼いたします」


 視線を向ければ、そこには巫女服を着た女性がいる。あまりに場違いな格好だが、時と都合に左右されず、さる御方の遣いとして直接動く場合、彼女らはその所属を誇示する為、常に衣服を巫女服と定める。


 それも只の巫女服ではない。全国の神社では共通する様式というものがあるが、同時に御影神宮所属と分かる様式もまた存在する。

 彼女が身に着けているものは、その御影神宮所属巫女であることを示していた。


 そして喫緊の状況であると理解した上で話しかけてきたというのなら、それは結希乃が知るところ一つしかなかった。


「――神勅をお持ちしました。どうか、お納め下さいますよう」


 結希乃は喉の奥が引き攣るような思いがした。

 実際、その表情は引き攣っていただろう。大社から送られてくる大宮司様からの勅も神の御名の下、下される命には違いない。時に神の意を汲み取って行われる命でもあるので、本当の意味で神からの勅であるかどうか、受け取る者には判断できない。


 しかし、神勅となれば話が別だ。

 正真正銘、神の意志より下される命令。それを受け取る事が出来ることすら名誉とされるほど威のある命令なのだ。

 結希乃は震えそうになる手を抑えながら、差し出される勅書を受け取った。


「確かに、お渡しいたしました。お忙しいところを快く応じてくださり、大変恐縮でございました。用向きだけで御前去る無礼をお許し頂けたらと存じます。それではこれで、失礼致します」


 巫女はやんわりと笑って一礼し、そしてその場を離れていく。

 野次馬の幾人もが、その後姿をスマホで撮っては興奮した声を上げているのが聞こえた。徒歩で来たのか、それとも車か、そんな事を気にしても仕方がないのに思考が横滑りするのは、神勅を受け取ったという現実味を感じ取れなかったからだ。


 あるいは現実逃避をしたかったからか。

 結希乃は両手で持った勅書を他人の目に触れぬよう、車に戻って丁寧な手つきで封を切る。

 中に書かれた内容へ目を通し、それから引き攣っていた筈の顔を更に引き攣らせる事になった。

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