試練 その6

「いいかい、莉子。いま君に、一回だけ魔法を使えるように力を分け与えた」

「ほんと!?」

「そうとも。スプーンをよーく見て……そして消えるように念じる」

「ねんじる……」


 ミレイユがスプーンの頭を指差し、その部分を二度ほど叩く。


「そう、ここを良く見て、消えろって頭の中で思うんだ。そうすると、3、2、1で消えるだろう」

「うん! やってみる!」


 そうして真剣な目をしてスプーンを見つめ始める。ミレイユは指揮者がタクトを振るように指を揺らし、カウントを始める。


「そら、行くぞ。3、2、1……!」


 ミレイユが一言ずつ数字を言う度、莉子の手に力が籠もるのが分かった。ミレイユは人差し指をスプーンの頭に当て、そして最後の一言を放つ。


「――ゼロ!」


 ミレイユの宣言どおり、スプーンは莉子の手の中から消えた。

 確かに握っていた筈のスプーンが手の中から消え、莉子は歓喜の声を上げながら両手を広げて自分が持ってないことをアピールする。


「やった! きえた! ママ、みてみて! ないよ、スプーンない!」

「あら本当。莉子ちゃん凄いわ、可愛い魔法使いさん」

「うん! でも……」


 喜色満面の笑みだったのも束の間、莉子の顔はすぐ曇る。手を二度、試しに上下へ振ってみもスプーンは出てこない。悲しげな顔をして手を握ってしまった。


「スプーン、もうでてこない」

「あらぁ……」


 母親も悲しげに眉を寄せたが、彼女に出来ることはない。これはショーでパフォーマンスと理解しているから、どう声をかけたものか迷っているのだ。


 ミレイユは再び莉子の手を取りながら、自分の席に戻る。

 そして大事な事を言い含めるように、ゆっくりと言葉を発しながら、その小さな手を広げてやった。


「いいかい、莉子。私が君に与えた魔法は一回きりなんだ。消してしまえば、勝手に出て来てくれない。どうして一回だけか分かるかい?」

「……わかんない」

「好きに使えてしまうと、色んなものが消えていくからだ。勝手に使うと、とても怖いことになる」

「うん……なる」


 ミレイユはその頭を撫でながら、諭すように言った。


「だから一回だけなんだ。でも、莉子が望むなら、もう一度だけ……スプーンを呼び戻すのに魔法を使わせてあげよう。どうする?」

「つかう! もういっかいやって、スプーンもとにもどす!」

「よし、いいだろう」


 ミレイユは頭をもう一度撫でて、莉子の広げた手に人差し指を当てる。もう片方の手も広げさせ、両手で水を掬うような形にさせた。


「いいかい、莉子。もう一度念じるんだ。スプーンが戻って来るように、今度はもっと強く。消した時より、ずっと強くね。……出来るか?」

「うん! りこ、やる!」

「いい返事だ。それじゃあ、もう一度。3、2、1……!」


 ミレイユが莉子の指先に自分の指を当てる。莉子の目は真剣そのもので、口の中で唱えるように出てこいと念じていた。


「――ゼロ!」


 ミレイユの一声と同時に、莉子の両手の中にスプーンが現れる。

 莉子は悲鳴のような歓声を上げて、母親の元に駆け出す。戦利品のようにスプーンを掲げて、顔を真赤にさせて興奮していた。

 母親もまた喜んで頭を撫でくり回し、莉子の誇らしげな顔を優しい顔で見つめていた。

 その光景とミレイユ達両方を見ていた店員も、感嘆の息を吐く。


「いやぁ、凄いですね……! 全然分かりませんでした。貴女は何かを握り込んでいるように見えなかったのに、本当に突然消えては突然出てきて! 自分の手の中ならどうにでも出来そうですけど、他人の手の中だなんて! どうやったんですか?」

「それを教える魔術士マジシャンはいないだろうな」


 ミレイユは帽子のツバを摘んで顎を下げた。

 店員も口に手を当てて、困った顔をして笑った。


「そうですよね! すみません、私ったら。生のマジックなんて私、初めてで。テレビなんかであっても冷めた目で見てたりして。本当のマジックって、こんなに分からないものなんですね」

「楽しんでもらったようで何よりだ。……でも、今日はあと一つで最後だな」

「あらぁ……、残念です。また見れますか?」

「どうかな」


 心底残念そうにする店員に、ミレイユは傾げるように首を動かし、言葉を濁す。そうしたところに、ふと気付いて帽子のツバで見えない店員に向けて注文した。


「――知人を見つけた。こちらに招きたい。席をもう一つ用意してもらえるか?」

「えっ、はい、勿論です。席はすぐにご用意できます」


 ミレイユは言いながら、道の向こうへ手招きしているユミルを見る。

 ユミルが見ている方向にはアキラと、もう一人誰かいて、恐らく学友と下校途中なのだろう。必死に目を合わせないよう他人の振りをしていたが、それを無視してアキラを指差す。


 アキラが硬直したのを確認すると、腕の向きを反転させて指先で手招きした。

 それで渋々と、あるいは嫌々と歩き出した姿を見て、ミレイユは新たなマジックの披露を始めた。



 ◆◇◆◇◆◇



 アキラは下校しながら秀馬に捕まった事を、早々に後悔し始めていた。

 朝の会話が不完全燃焼だったのか、しつこく同じ話題を振ってくる。女子生徒に追い払われた後、その話題を他の男子グループにも話していただろうに、そこまで同じ話題を繰り返す意味はあるのだろうか。


 もしかしたら、あちらでも似たような扱いを受けたのかもしれない。それに顔写真を持っている訳でもないから、説得力にかけるだけなのか。

 それとも単に、己の興奮を分かち合いたいだけなのかもしれない。

 しかし何れにしても、どんなに美人がいたと力説して、口の説明だけではあまり意味のない話題なのは確かだ。


「だから、ホントなんだって! メチャ凄い美人だったんだ! それも一人だけじゃない、四人もいたんだぞ!?」

「分かったって、別に疑ってないから!」

「じゃあ何だって、そんな興味ないんだよ」


 いやぁ、とアキラは言葉を濁す。

 非常に身近にいるせいで興味を示しようがない、など正直に言えないし、下手な事を言ってボロを出したくもない。こういうは、本人は気づけないくせに、秀馬のような男は敏感に察知するのだ。


 どう誤魔化したものかと悩んでいると、道の先に喫茶店が見えてきた。

 テラス席はそれほど埋まっていないようだが、子供のはしゃぐ声だけは聞こえてくる。元気な子だなぁ、と思っていると、その席の一角では非常に見覚えのある一団が陣取っていた。


 気付かなかった振りをしようと顔を逸し、雲の動きなどを見ていると、秀馬がアキラの肩を激しく揺する。


「なぁ、おい! いたよ、いたって! 昨日見た美女軍団だ! この近所に住んでんのかな!?」

「あー、そう。どうだろね」

「おい、ちゃんと見ろって! マジすげーんだから!」


 秀馬に無理矢理顔を掴まれ、視線が前方のテラスへ向かい、ユミルの目とかち合う。

 ユミルはにんまりと笑みを浮かべると、手を振って手招きまでして来た。


「おい、こっち見たよ! こっち見てるよな!? これ誘われてる? 逆ナンってやつ!?」

「……いや、どうだろね。俺たちの後ろに誰かいるんじゃない?」


 アキラの必死の弁明も、秀馬には意味を為さないようだった。アキラの肩を引っ掴み、あの集団に突撃しようと鼻息荒く捲し立てる。


「だったとしても関係ねぇ! 一緒にお茶するぐらい許される筈だ! ごめん勘違いしちゃった、でも折角だからご一緒に……そんな感じでいくぞ!」

「いやいやいや、迷惑になるからやめろって!」


 アキラは抵抗を続けたが、ミレイユからも直接指差しされて呼ばれては、もはや無視し続けることも出来ない。ここで無視して帰ろうものなら、アヴェリンから師匠の扱きという名目で痛めつけられるだろう。

 アキラは肩を落として連行される囚人の気持ちで、その一団へ近付いていく。


 見てみれば、ミレイユはどうやら小さな子供に何か芸を見せて楽しませてやっていたようだ。

 意外な気持ちのまま帽子で隠れて見えない顔に目を向けていると、足に抱きつく子供をあやしながら、空いている一席を示した。


「せっかくだ、好きな物を頼め」

「あー、と……」

「ええっ、いいンスかぁ!?」


 秀馬が鼻の下を伸ばしながら食いついたが、それはアヴェリンにあっさりと拒否された。


「誰だ貴様は。あっちに行っていろ。――アキラは座れ」

「……はい、すんません。なぁ、アキラ。お前、あの人たちと知り合いなの?」

「いや、うん、まぁ……」

「何で言ってくれなかったんだよ!?」


 秀馬の顔は涙目だ。肩を掴んで揺すってくるが、アキラは苦い顔で秀馬を引き剥がす。


「いや、言う暇なかったっていうか……何て言えばいいか分からないっていうか……」

「お前そんなん黙ってるなんて親友失格だぞ!」

「いや、いつの間に親友になったんだよ」

「こんな麗しいお姉さま方と、お前だけ知り合いなんて酷いじゃないか。親友なら紹介ぐらいしてくれるもんだろが!」

「下心見えすぎてキモいんだよ、マジそういうの、あの人達に向けるのやめとけって」

「なんだ、早速一人で独占か。誰にも渡しませんってか!」


 引き剥がされても尚、食い下げるつもりがない秀馬はアキラから離れない。

 同じ席に着くチャンスを、ここで決して逃さぬつもりらしい。


 そこに二人のやりとりを楽しむユミルが、肘をついた上に顎を乗せた姿勢で笑う。


「ふぅん。アンタにもそういう、あけすけに物を言える相手がいるのねぇ」

「いや、そりゃいますけど……。でも、コイツはちょっと女性に対してグイグイ行き過ぎるところがありまして……」

「そうね、アンタ品がないわ。隣の席に行きなさいな」


 ユミルの容赦ない一言で秀馬の動きが固まる。そのまま、しょんぼりと背中を丸めて席についた。流石に見過ごせず、アキラはミレイユに謝罪して断りを入れ、秀馬の前の席に座った。


「あの人は割と言葉をハッキリと言うから、あんま気にしなくていい。でも勝手に近づくと、隣の金髪の人が怒るから、そこは本当に注意した方がいい」

「……なんだよ、それでも紹介してくんねぇのかよ」

「いやいや、俺にそういう決定権はないから。そういうの許しがないのに勝手やると、絶対怒られるから」

「……仲いいんだろ? 好きなモン頼めとか言われてんじゃんか」


 恨めしそうに見つめる秀馬に、アキラは苦い顔で首を傾げる。


「あれは別に仲がいいから言ってくれてるんじゃないんだよ、ちょっと訳ありなだけ。それに上下関係が出来上がってて、俺は完全に下の下だから。あの人達の望まない事を勝手にやったら、即座に切り捨てられると思う」


 アキラが暗い顔で告げると、秀馬も気楽な付き合いの間柄ではないと察したらしい。

 実際、これは単なる関係性の切り捨てという意味ではなく、文字通り切って捨てられる可能性すら意味する。身寄りがないと知ってからは優しくしてくれているが、その気になればアキラの頭から記憶を消して姿を消す事だって有り得るだろう。


 単に美人だからという理由で近付いてくるような男なら、そもそも昨日のチンピラを筆頭に、どういう方法で排除するかよく理解している。

 だからアキラは忠告するのだ。そもそも気軽な気持ちで彼女たちに近づくなと。


「マジか……。結構おっかないんだな」

「そうだよ、皆おっかないんだ。だから今日のところは奢るから、それで機嫌直せ。で、あの人達には近寄らず、素直に帰れ」

「――アキラ、聞こえてるわよぉ」


 ユミルの地を這うような声に背筋を凍らせ、そちらへ顔を向けないよう、必死に遠くの風景を見る。アキラの表情を見て何かを察した秀馬は、生唾を飲み込んで顔を青くさせた。


 ミレイユと子供、そしてその親らしき人達が談笑しているのを横で聞きながら、とりあえずこの状況が早く終わるよう祈った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る