虎穴に入らずんば その5
アヴェリンとユミルが想像以上に怒りを顕にした事で、逆にミレイユは冷静になれた。怒りが消える事はなく、常に腹の底で渦巻いているが、しかし表に出さない努力をする事は出来る。
ナトリアの目的は挑発ではなく、事実を口にする事だ。
それが結果としてミレイユ達の怒りを買う事も織り込み済みで、しかも、それを覚悟して口に出している。そして、怒りに任せて殺されてしまっても、それはそれで仕方ない、と思っている節すら見受けられた。
ナトリアの瞳には小さな可能性に賭けるような、希望を夢見る色は浮かんでいない。
あるがままを受け入れる、その覚悟を持っている。
それが神から下された命令によるものか、それとも他に意味があるかまでは分からなかったが、怒りに任せて処断する訳にはいかない。
とはいえ、ミレイユ自身、その怒りを抑えるのには相当な努力を要した。
結界内に封じているから何が出来る訳でもないとはいえ、常に注意と警戒を解けない状況も、心的負担になっている。
ミレイユは何度目になるか分からない、長い溜息を吐いてから手を挙げた。
「お前達の怒りは分かるが、今は抑えろ」
「でもね……!」
「何もかも奴らの掌の上だった、それは分かっていた事だ。看破したつもりで、出来ていなかったのも初めての事じゃない。……そして何より、神使ごときに怒りをぶつけても意味がない」
盛大に舌打ちをして、ユミルは顔を背けて腕を組んだ。
意識を邸宅の外に向け、そちらの警戒へ注力する事にしたようだ。平静で感情を露わにしないナトリアを見るのを、ただ嫌になっただけかもしれないが、今は好きにさせる。
アヴェリンも怒りは煮え滾るようだったが、ミレイユが手を挙げた時点ですぐに納めていた。
表出するものがごく少なくなったというだけで、怒りそのものを消した訳ではないが、視線一つで害せるなら、ナトリアが無事で済まないと分かるような気配を発している。
ナトリアはそれを平然と見える態度で受け流し、ミレイユに向けて真摯に頭を下げた。小さな角度でしかなかったが、そもそも拘束の所為で大きな動きが出来ないからだが、感嘆とした気配は本物に感じる。
「冷静で状況を深く理解した、そのご判断に感謝いたします。ここで私が死ぬだろう確率は、五割を越えていました。そして、この五割を越えたのなら、先行きにも期待が持てます」
「また聞きたい事を増やしてくれたな……。正直なところ、今日はもう帰って欲しいぐらいなんだが」
「日を改めますか?」
「そうもいかないのは、お前も良く分かっているだろうが。……全く、仕方ない……」
ミレイユは帽子を脱いで、髪を掻き乱しながら重い息を吐く。ストレスを幾らか緩和できないかと思ったが、全く気休めにもならなかった。
恨みがましい視線を向けながら帽子を被り直し、改めてミレイユは問う。
「……それで? お前は……あるいはお前達は、ループの流れを認識している、と考えて良いのか? つまり、現在が何周目かも知っていると」
「私は存じません。知っている、或いは認識しているのはルヴァイル様のみ。時量の権能とは即ち、時の長さを量る事、それと認知する事に始まります。ですから、余人に分からぬ感覚も、ルヴァイル様には理解できるのです」
「なるほど……、まぁ権能の話だ。あれこれと突っ込んでも仕方ない。一先ずそれで納得するとして、だからこの状況すら過去幾度もあった事、と考えて良いんだな?」
「はい。正確な回数を私は存じませんが、だからこそ五割という数字を、ルヴァイル様から申し伝えられていたのです」
それで良く平静でいられたものだ、とミレイユは目を細める。
では本当に、伸るか反るかの賭けをしていた事になるのか。そして恐らく、ルヴァイルからすれば、失敗しても次のループに賭ければ良い、というつもりでいたのだろう。
ルヴァイルにループを阻止したい気持ちはあっても、最終的に叶えば良い話で、その繰り返し回数が増えるだけなら、忸怩たる思いはあっても問題はないのだろう。
そして、ループを推進したい神々から、利敵行為と見えない分には、やはり問題ないと考えている。
「そうか……。つまり、ここまではループさせたい神々の思惑通りという事だな。私がここに姿を現すのも、そしてカリューシーがお前に殺されるのも、そして、こうして拘束される事も」
「細かな違いはあります。私が介入する事なく、カリューシー様が弑し奉られる事もあるそうなので。その場合でも、私はスルーズの死体を回収する役目として、貴女達と敵対する――するように見せる必要がありました」
「死体を回収する目的は?」
「使い道は、それこと色々と……。蘇生させて駒として再利用するか、リッチとして再誕させるか、その様な皮算用を立てているようですね。ただ、この回収は失敗する事が確約されているので、あまり意味はありませんが」
じゃあ何故そんな事を、と口にしようとして、すぐに思い至る。
ナトリアは――その背後にいるルヴァイルは、ループが破綻する確約を得られるまで、反旗を翻していると知られる訳にはいかないのだ。
そして恐らく、反目している事すら知られる訳にはいかないのだろう。
ループさせたい神々からすると、順調に計画が推移していると思わせる必要がある。
だから、覗き屋連中にもそれと分からないよう、協力しているように見せつつ、ミレイユにはこうして接触を図っている。土下座して待っていたのも、その一貫だろう。
そして土下座を知っている事が、即ち日本でミレイユがどの様に生きて行くかも知っている、と仄めかす事にもなっている。
それを見せるだけで、まず攻撃するより拘束して尋問するのだと、予想が付いているのだ。
或いは、それは予想というより、より確実な観測の結果から来るものなのかもしれないが……。
そう考えると、筋は通る。
――通っているように見える。
ミレイユは眉間を指二本で叩きながら、ナトリアの目を見つめる。
嘘を言っている様には見えない。というより、これまで一度も嘘を言ったような形跡はなかった。どこまで信じるべきなのか、迷いながら目を細める。
その時、ナトリアが思わず、といった風に口を開いた。
「やはり貴女は、これまでのミレイユとは違う者の様です。短慮でも暴力的でもなく、非常に理知的で、その先まで思考を伸ばせる御方。ルヴァイル様が待ち望んだミレイユの様ですね」
「――貴様、調子に乗るなよ……ッ」
堪りかねたアヴェリンが、語気を荒らげて前に出た。
「その理知的だとやらを感じたから調子に乗ったか? ミレイ様は勝手に口を開くな、と仰ったのだ。自分の立場を弁えろ!」
「仰るとおりでした、申し訳ありません」
ナトリアは殊勝に頭を下げて――浅い角度で下げて謝罪した。
アヴェリンは鼻を一つ鳴らし、元いた位置に戻る。その際ミレイユと視線が合い、勝手な行動を詫びる様に顎を下げた。
ミレイユはそれに首肯を持って応え、改めてナタリアへ向き直る。
「まぁ、なるほど……。成功するまでやり直し、それは何も私が――かつてのミレイユばかりがして来た訳じゃない、という事か。そして恐らく、ミレイユが失敗を重ねて来た理由も、上手く行かない様なら失敗させようと、別々の意図を持ってループさせられていたからか」
「はい、前提として神々のループ計画があり、そしてルヴァイル様が成功の見込みがないミレイユに対し、ループの輪から逸れぬ様、細かな調整をしつつループさせたと聞いております」
「……二つの意志、別々のアプローチを持って繰り返されていたというなら、今まで一度も脱却できなかったのも当然だな……」
唾吐く様な思いで、ミレイユは固く瞼を閉じる。
力任せに拳を握り、それでミシリと音を立てた。
誘導する神と、矯正する神、やってる事は同じように見えても、実情は異なる。一つの思いで行われた事なら抜け道もあったかもしれないが、別視点で見た場合、そこに気付く事もある。
その道すら防がれて来たのなら、正に八方塞がりと言う他ない。
ミレイユは努めて冷静でいようと心掛けながら、目を開いて拳からも力を抜いた。
「それで……お前の神もまた、ループを終わらせたいと思っていると。しかし、その為には単に助力するだけでは足りないようだな? 私自身の素質、気質、努力、忍耐、様々な要因なくては成功しないと考えている訳か」
「はい、その様にお考えであると思います。少しのテコ入れ、少しの助力で成功するものではないと……。何より貴女が持つ神々への不信心が、この作戦を困難にしているのです」
「不信、ね……。まるでこちらが悪い様な言い方だな。歩み寄る努力が足りていないと? むしろ不信を植え付けた神々こそ、諸悪の根源だと思うがな」
ミレイユが揶揄するように言うと、ナトリアは頷く。
「はい、ですから繰り返される事になっています。ルヴァイル様は、その助力を惜しみませんでした。それを振り払い、遠ざけたのは常に貴女がたです」
「成功の見込みがあるミレイユに対し、だろう? やけに粗暴な自分というのも想像できないが、……今まで失敗して来たミレイユの中には、そういう奴もいるんだろうさ」
あるいは、粗暴にならざるを得ない出来事がその身に降りかかって、結果そうなってしまうのだろう。
日本に帰還したものの、そこでアヴェリンを喪い、強制送還されて荒れたミレイユなどがそれに当たる。そのミレイユはきっと、助言をしようと歩み寄る神を、受け付けなかったに違いない。
そういうミレイユには、神が敷いたレールの上を歩いて貰い、そして確実に次のループへ行けるよう、神々の味方をする。
また今回の様に、見込みがあるミレイユには、こうして話を持ち掛けてくる、という訳だ。
ループから脱したいのは、どのミレイユでも同じ気持ちだ。
その気持ちを、取捨選択されていたのは気に食わない。
だが同時に、成功の見込みなし、と見た者を切り捨てる気持ちも理解できるのだ。感情の問題を置いておけば、理屈の上では理解できる。
再び瞑目し、細く長い息を吐きながら、ミレイユは背後のルチアに向けて声を掛けた。
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