行動方針 その5

「ユミル、お前の主張にはそれなりの根拠があった。空の向こう――もっと言えば、大瀑布の向こうにある何かを秘したいから――それが神居だから、という話には納得できた」

「そうでしょ?」

「だが、『箱庭』の存在を忘れてないか。箱の中に別空間を作れるなら、似たような事で自らの所在地を隠せるだろう」


 自慢気に胸を張っていたユミルが、その一言で固まる。

 鼻すら高々と伸ばしていたところに、ミレイユの言葉はそれを折ってしまうには十分だったようだ。完全に身動きをなくし、呼吸すら止まっていそうに見える。


 そこへアヴェリンがしみじみと、同情を感じさせる声音で言う。


「短い栄華だったな。私は私情抜きにミレイ様の主張を支持する。手の中に収まる小箱に、あれだけの空間を作れていたのだ。最低でも同じ事が出来なければおかしいし、それなら隠す場所には困るまい」

「作れる限界のサイズがどうか、という検討は必要だと思いますけど……。でもまぁ、仮に箱庭での空間サイズが限界だったとして、暮らすに不便な大きさでもないですよね」


 次々とミレイユの主張を支持する声が上がって、止まっていたユミルが再起動した。


「いやいや、ちょっとお待ちなさいな。神々が隠れ住むコトを良しとすると思う? 有り得ないわ」

「別次元に暮らすっていうのが、そもそも隠れ住んでると言えなくもないですが……。その前提だと、最初から別次元説は崩れる訳ですか」

「それは暴論というか、どうとでも解釈できる点だろう。このデイアートを本当に盤上遊戯に見立てているとしたら、そもそもの地に居を置こうとしないだろうし、むしろ別次元説を後押しする事になる」

「でも、そんなの確認しようが無いじゃないのよ! 聞いても答えてくれるヤツなんている?」


 ユミルはついに辛抱が切れたかのように、冷静さをかなぐり捨てて、身振り手振りを大袈裟に交じえながら口にする。


「『箱』の中に作った世界を、神の領域と名付けるのは勝手よ。それならアタシも別次元説をむしろ推すわ!」

「『箱庭』という物証がある以上、あやふやな別次元説を持ち出すよりは、返って根拠が増すかもな」

「そうでしょ? でもそれなら、何かしらの『箱』たる入れ物を用意しなきゃならない。本当に箱の形にする必要もないでしょうけど、その『箱』をどこに置くかっていう話にもなるじゃないのよ!」

「少し落ち着け……」


 アヴェリンが煩そうに顔を顰めたが、ユミルはそれに取り合わない。むしろもっと気分を刺激して興奮度合いが増していった。


「どうでもいいでしょ、そんなコトは! どうなのよ!」

「ふむ……。それは確かに、悩ましい問題だな。箱の大きさだったとしても、それを人間に預けるなど、絶対にしないだろう」

「隠すのに不便な大きさにする必要もないですし……、そうした時、どこか深い森の中とか……」


 ルチアにしてもチラリと頭の中に浮かんだ発想を口にしただけだろうが、ユミルはそれへ大仰に否定した。


「そんなのプライド高い奴らが選ぶ方法なワケないじゃない! 神がどうして、そんな見窄らしい真似しなきゃならないのよ。誰憚るコトなく、隠れるコトなく堂々と安置するし、何なら隠すコトも隠れるコトもせず、堂々と暮らすに決まってるわ!」

「多分に私情が混ざってる気がするが……。だが隠れ住むというのも、確かに些か納得いかないものがあるな。隠れるような後ろ向きな方法は嫌だ、しかし所在は隠したい、その折衷案が大瀑布の向こう……。それがお前の主張だと言うのか?」


 ミレイユが内容を纏めて口にすると、ユミルは大いに賛同して頷く。


「そうよ、それ以外ないでしょ!?」

「興奮するな、別に否定してないだろ。だが、どうして大瀑布の向こうだなんて思うんだ」

「四千年前には無かったからよ!」


 ユミルが堪りかねたかのように口にしたが、それに即座の反応を見せたのはルチアだった。


「何でそれ先に言わないんですか。最初に言ってたら、そうかもって納得してましたよ」

「え、待って下さい……ユミルさんって四千才、超えてるんですか?」

「そこに食いつくんじゃないわよ!」


 スパァン、と小気味良い音と共にユミルの腕が振り抜かれ、アキラの頭が横に跳ねる。

 その衝撃に耐え兼ねてアキラの身体も一緒に倒れ、その先には焚火があり、そして火に掛けられた鍋があった。

 アキラも咄嗟に避けようとしたが結局無理で、鍋を盛大に引っくり返して焚火に顔を突っ込む事になった。


「アチ! アッチ! アチチチッ!!」

「何やってるんですか、もう……っ!」


 ルチアが即座に魔力を制御して、最下級の氷結魔術を放つ。

 お湯を被ったり焚火に突っ込んだりと、災難続きではあったものの、ルチアの助けで大怪我は負ってない。火傷もあったが、火を消すのと同時に治癒術も放たれ、服や頭髪が凍り付いただけで事なきを得ている。


「酷いですよ、ユミルさん……。何でそこまでするんですか」

「酷い目に遭ったのは、単にアンタが鈍臭いからでしょ。アタシの所為にしないでよ」

「どういう理屈だ。いいから今は、アキラを介護してやれ」


 ミレイユが言えば、ユミルはやれやれと息を吐く。

 緊迫した雰囲気は、今の騒動でだいぶ薄れた。ユミルの興奮度合いも影を潜め、今では冷静にアキラを見下している。介護しろという命令をどう受け取ったのか、座って足を組んだまま、腕を伸ばして凍った頭髪を乱雑に解していた。


 その間にもアヴェリンはテキパキと焚火を手直しして、再び火を着けようとしている。

 ルチアもまた、転がって中身がこぼれてしまった鍋を拾い上げ、簡単に洗っていた。鍋の中が煮沸かしたお茶で良かった。これが料理であったら、単に食事を駄目にしただけでなく、食べ物の恨みを買う事になっていただろう。


 ただ一人、何もしていないのはミレイユだけだが、それに文句を言う者はいない。

 何かしようとしても今からやれる事はないし、それにアヴェリンは止めてくるだろう。

 今はとりあえず、場が元に戻り、また落ち着いて話が出来るまで大人しく待つ事にした。


 ――


 アキラの着ている――というより、機能を喪失して身に付けているだけの防具が、灰まみれになった以外は元通り、再びお湯も沸かせてお茶を配り終えれば、話し合いの再開をしようという空気も出来上がった。

 ユミルは未だに不機嫌さを解消してはおらず、ねちねちとした視線をアキラに向けていた。

 そのアキラは決して目を合わせまいと、必死に目を逸らして木々の間に視線を向け続けている。


「いや、すみません……ユミルさん。そんなつもりじゃなかったんです」

「そうよね? アタシが千年すら超える年嵩だって? アンタはそう言いたいんですものね?」

「いや、そんな……! ルチアさんより年上だって聞いたから、つい色々飛び越えてそう思ってしまったというだけで……。そうですよね、文献とかで読んで知ってたとか、そういう話に決まってますもんね」

「謝るつもりがあるなら、アンタいい加減こっち向きなさいよ」


 いつだって、どこの世界だって女性は年齢を聞かれるのを嫌がるものだ。

 それが千年を超えたら、もはや羞恥を通り越して誇りとなりそうなものだし、実際エルフの慣習だと皺の数が増える事は、むしろ美徳とされている。


 ミレイユはユミルとアキラのやり取りを見ながら、むしろユミルは年齢の事など露とも思っていないと予想していただけに、これは意外に感じていた。

 アキラが恐る恐る顔を向けるのと同時に、それとは別にアヴェリンがミレイユに聞いてくる。


「実際、どうなのですか? ユミルは時々よく分からない事まで知っています。そして、それを憶測ではなく、事実と認識した上で口にしている節が、多々ありましたが……」

「お前の懸念は当たっている。ユミルは四千年以上生きているし、大瀑布が無い以前の世界も知っているだろう。雲が浮かんでいる事を当然と思うように、世界に大瀑布があって当然と認識するより、前の姿を……」

「そうなのですね……。あれの尊大な態度を許すミレイ様に疑問を抱いた事もありましたが……、つまり年齢に対する一定の敬意が含まれていたと……」


 ミレイユは困ったように笑う。

 それは間違いではないが、事実とは異なる。むしろミレイユには彼女の一族を滅ぼす一端となった、という負い目があった。


 ユミルはミレイユの在り方や、自分だけは救ってくれた事、一族の無念を共に拾ってくれた事に感謝しているから、それ以上何も言わない。

 そしてミレイユの方から謝罪を言うのは、彼らの尊厳を傷つける事になってしまうので、やはり何も言えない。それで単に、ミレイユが一方的に負い目を持っているだけだ。


 アヴェリンがユミルに顔を向けるのにつられ、ミレイユもまた顔を向ける。

 そこには何度も頭を下げるアキラの姿と、腕を組みながら尊大に謝罪を受け取るユミルの姿があった。

 その尊大な姿が鼻に付いたのか、アヴェリンは声音を一段落としながら声を放った。

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