行動方針 その6

「しかし、ユミル。お前は一族が狙われていた事など話していたが……、大瀑布の存在如何を知っていたというのなら、狙われた理由がまた一つ明らかになったな」

「あら、素敵なご指摘ありがとう。滅んだ今となっては、最早どうでも良いけどね」

「だがそうなると、また一つ疑問が出て来る。それが本当に不都合なら、もっと早くに滅んでいたとしてもおかしくなかったろう、という事だ」


 その一言でユミルの動きがピタリと止まる。

 アキラを見ていた顔をアヴェリンに向け、それから一度思考を巡らせるように視線を斜めに上げてから答えた。


「一理あるけど、引きこもってる分には害がないとでも思ったんじゃないの? 簡単に突き崩せないからこその存続でしょ」

「長い年月の間、襲撃に遭ったりしなかったんですか……?」

「そりゃあったわよ、何度もあったわ。神々から直接は無かったけど、それ以外の有象無象の輩がね。……言ったばかりでしょ、簡単には突き崩せないから存続してたのよ」

「そのようだな。私は神に感謝すべきか? それとも嘆くべきか?」


 うるさい、とユミルは手を払うように動かして顔を背けた。

 いつもと言い包められる側が逆で、アヴェリンが一矢報いたような形だが、そうと言うには少々趣味が悪い。ミレイユが咎めるような視線を向ければ、アヴェリンは素直に謝罪した。


 ユミルにもその言葉は届いたが、素直に返事をするほど単純な性格をしていないのが彼女だ。

 この両者の関係はいつでも拗れているが、これでまた更に拗れたな、と心の底で息を吐きながら二人の姿を交互に見つめた。


 ――


 実際のところ、話し合いをするような空気ではないのだが、さりとて今は午前中、日も中天へ差し掛かっていない時間帯だ。小目標も定まっていない現状、それを決める以外に優先する事もない。

 それでミレイユは全体を見渡し、それまでの空気を払拭できないままに再開した。


「……まぁ、とにかくだ。話を整理しよう。ユミルの言い分としては、大瀑布の向こう側には神がいるだろうと主張するんだな。その根拠は四千年前には無かった大瀑布で、それまで空を飛んでいたドラゴンなど、力あるものを地に落とし、近付けさせないよう手を打ったからだと」

「……そう、明確な線引きをしただけでなく、隔絶した場所を設けた。神の威光を持ってすれば、これ以上この場所に近寄るな、とヒトに命じるコトは簡単よ。でも十割じゃない。魔物に関しては言うコト聞かないものは多いでしょ? でも絶対の安全と保障を欲したから、ああいう場を作ったんじゃないかと思うのよ」


 ルチアは唇を突き出して、可愛らしく眉根を寄せながら考え込む。

 幾らか頭を悩ませた後、息を吐いてユミルを見た。


「十二の大神全てが声を揃えて命じたら、それこそ禁忌神聖の地として勝手に守護してくれそうですけど……。でも、乗り込んでやろうとする者も逆に生まれそうだ、というのも確かですね。それに……ユミルさん達のように、恨み持つ者たちへ所在地を教える事になりますし」

「神は偉大であるとしても、同時に恨みも買うものだ。理不尽で偶発的な死などは、神も良く使う手段だ。そして、その恨み辛みが神に向かうのも良くある事。だからと害される神でもないだろうが……煩わしさはあるだろうな」


 アヴェリンもまた賛同するような意見を出したが、それでもやはり、首を横に振る。


「だが、解せん。大瀑布を造り出したのは良い。それが安全策を講じた結果だとして……だからといって、別空間を作り自分の領域で過ごしている事を、否定するものにはならないのではないか?」

「だから、それは……そう。本来、別空間にいる、という部分は別にどちらでも良いのよ。でも、こちらと繋ぐ線は残しておかないといけないじゃない。降り立つ先にしても、毎回ランダムというワケにもいかない。じゃあ確実に安全な場所から出入りするとして、そこは何処にするのか、という話になるんじゃない?」


 ユミルの言い分にはミレイユも納得させられ、つい何度か頷いてしまった。

 確かに、奴らには『孔』を作り出し、世界を渡る道を作れる。そしてそれは、ある程度場所を指定出来るものでもあるのだろうが、しかし渡ろうと思う度、絶対安全な場所を探るのは簡単な事ではない。


 仮に安全であったとして、それは毎回必ず間違いない保障をするものではなく、そして百年後も同様に安全である保障もない。

 長い年月――それこそ四千年経過した後でも、間違いなく人の手が入っていない場所を、予め選んでおく事は困難を極める。


 ミレイユは現世の事を思い出した。

 本来は人が登る事など考えられない険峻な山ですら、人は己の足のみで登頂して見せた。それは世界最高峰のエベレストでも同様で、人の挑戦心は止められない事を意味している。


 対してこちらの世界は、それを補助する手段が山と用意されている。

 人の足で向かえる先であれば、それはどこであろうと安心を保障できるものではないだろう。いつか到達し得る、と言うなら、いずれ到達する、という意味でもあるのだ。


 そうであるなら、確かにユミルの主張は正しいように思う。

 誰にも到達できない場所に、安全を保証される場所を作った。その為に、鳥以外空を飛ぶ事を許可しなかったし、元より持つものからは、それを奪ってまで保障を作った。

 ――そういう事ではないのか。


 ミレイユは感心した目つきをユミルへ送り、そしてそれを受け取ったユミルは、やはり大きく胸を張った。

 そんな様子をルチアは見ながら、同様に得心したような表情で顎の先を摘む。


「……確かに、言われる程に納得できるものではありますね。いつか言っていた、地上へ降り立つのに足掛かりとしている部分は空にある、と言っていたのは、これの事ですか」

「そうね。アタシは神が自分の領域にいるとされているのはブラフだと考えていたけど、『箱庭』があるんですもの、普段はそちらで過ごすと考えてもいいわ。別にそれはどっちでも良いもの。ただ大瀑布の向こうに神へと繋がる何かがある、アタシはそう主張したいの」

「それは分かったが……」


 ミレイユは悩ましげに頭を捻った。

 実際にそうと話を聞けば、あの向こうに何があるのか、それは気になる。何かがあるとして、それが本当に神へと繋がるものかどうか、その確かな証拠もない。

 だが行ってみる価値がある、と言ったところで、行く手段がないのもまた問題だった。


「大瀑布へは近づきようがない。船は論外、可能な限り近寄る為と割り切ったとしても、やはり滝口まで接近、飛び越える手段は別に用意する必要がある。そこをどう解決する?」

「アンタの飛行術で何とか出来ない?」

「あれは直上へと飛び上がるもので、好きな方向に飛べるものではないからな……。いや、あくまで頭の向いている方向へ、という事なら方向転換も不可能じゃないだろうが……試してみないと分からない」


 使った回数も片手で足りるし、そもそも行使した瞬間直上へと飛ばされた。

 当然、使った場合はいつでも頭は上を向いていたが、では横になった状態で使ったら、本当に真横へ飛ぶのか疑問に思う。

 同じ疑念を抱いたのはミレイユだけではない、苦言を呈して来たのはルチアだ。


「いや、危険過ぎますよ。下手に試すのも、お得意の改変するのも止めておいた方が良いです」

「まぁ、この辺で使えば木々にぶつかって怪我するか、あるいは薙ぎ倒す破目になると思うが……」

「いやいや、それだけじゃないです。直上なり、あるいは多少上手くやって斜上に飛んだとして、それが神の目に映ったら絶対厄介な事になりますよ。空を飛ぶ物体に対して無警戒でいるかが賭けになりますし、ミレイさんが飛行術を使って何かしてると判明すれば……」


 その先は言わなくとも理解できる。

 ミレイユは手を挙げて、それ以上の発言を止めた。恐らく数千年もの間、空を飛ぶのは鳥だけだったろうから、今も目を皿にして見張っているという事はないだろう。


 だが、ミレイユがこの世界に降り立ったのが周知の上である以上、そのミレイユが飛行術を使いその改変を目指しているとなれば話は変わる。

 幾ら魔術を既存のものから上手く変えるのが得意とはいえ、試算や練習もなしに扱う事は出来ない。そして事が事だけに、運良く見つからない偶然に頼るのは、あまりに危険だ。


「そうだな……。奴らとしても、私の身柄は押さえたい筈。街中で暴れたところで目立たないだろうが、これはまた違うベクトルで目立つ事になるだろう」

「え、あの……街中で暴れても目立たないんですか? 普通、そういうのは目に付くんじゃ……」


 アキラが怪訝そうに言うと、アヴェリンは首を横に振る。

 普段なら呆れた様な表情をするのだろうが、今は憐憫にも似た眼差しを向けている。そこで暮らす事になるであろう当人に、現実を教えてやろうという優しさが表出しているようだ。


「暴力沙汰一つで騒ぎになるような、お上品な街などこの世にはない。殺傷沙汰に無関心という意味ではないが、殴り合い程度なら良く目にするものだ。理由次第じゃ黙認されるし、正当な理由なくとも大多数が一人に負けるようでは、理が一人へ傾く事もある」

「一々気にしてるようでは始まらない、と……。弱肉強食の世界ですね……」


 アキラが恐々と言うと、アヴェリンは大いに頷く。


「そうとも。だからこそ、強者は滅多な事では力を振るわんがな。力ある者は、同時に名誉ある者だ。下らん理由で力に任せて言うこと聞かせる者は、真に名誉ある者とは言えない。名声を持つ者は、自制した行いを取るものだ」

「なるほど……。じゃあ仮に乱闘騒ぎになっても……」

「騒ぎには違いないが、事件でもないし、注目を集めるという程ではないな。いつだって暴力沙汰を起こすのは、自らを強いと勘違いしている半端者だ」


 それも騒ぎの内容次第だが、と締めくくってアヴェリンは沈黙した。

 実際街中で暴れるような者は決して珍しくない。それに一々対応していられない、というのが実情で、国の衛兵も野放しにしているような状態だ。


 だからギルドが自分達の範囲でそれぞれ面倒を見るのだが、ギルド同士の軋轢などで野放しになっていたりする者もいる。暴力だけで解決しようとすれば、ギルドから派遣される実力者が制裁に来るので、無法者が好き勝手できる訳でもない。


 その様な状態が蔓延しているのが世の常で、大きな街なら毎日必ず何か揉め事が起きている。

 だから、目立つというなら、無人の荒野で空を飛ぶような奴の方が、神からすれば余程目立つだろう。


 そもそも術の改変は高度な技術を必要とするから、一朝一夕で出来るものではないし、実践せずに本番で使うのなど、凡そ考えられる事ではない。

 神の目から逃れ続けながら、こちらの意図を掴ませずに行動する、というのは難題だ。実に悩ましいジレンマだった。


「ま……、そうよねぇ。奴らはこの子を捜してる……それから逃げるか迎え討ちつつ、目的を果たさなければならない。見つかる事が、即終了ってワケじゃないけど……やり難くなるコトも確かだと思うし」

「でも、とりあえず街中に入ったりするのは大丈夫なんですよね?」

「人の目から逃れたいワケでもないからね。むしろ木を隠すなら森の中、とも言うでしょ。そこは神経質になる程じゃないと思うけどね。……アンタはどう思う?」


 ユミルに問われて、ミレイユは頷く。

 完全な自給自足が難しい以上、どちらにしても街や村に立ち寄る事は必要不可欠だし、全てにおいて逃げ隠れして行動するつもりもない。


「神々からすれば、今日明日にでも捕らえたい、というほど切羽詰まった状態じゃない筈だ。ある程度は泳がされると考えて良いだろう。こちらも完全な隠密行動を強要される程じゃない」

「……自由行動が許可されていると考えても?」


 ルチアが聞けば、ミレイユは即座に頷いた。


「行動を束縛するような事はない。それに、そもそもアキラの生活も考えてやらねばならないしな」

「そうよねぇ……」


 ユミルが悩ましげにアキラを見た。

 何にしても、放り出す意思がない以上、最低限の援助はしてやらねばならなかった。ミレイユにとっても、アキラは赤の他人ではない。そう思えばこそ、街での行動は必要不可欠だった。

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