行動方針 その7

 今後の方針について、大瀑布の向こうを目指すのは決定事項となった。

 神と対面するだけでなく、むしろ急襲するように接近するのが目的だ。ただ会いたいというだけなら、空を飛び回っているだけで勝手に出会えるだろう。


 ただしそれは玉座での対面のようなものではなく、身柄を完全に拘束された上で、何一つ行動を許されない状態であって、下手をするとそれすら行われない。

 ミレイユ――というより素体という存在が、部品のパーツか何かだと言う認識でいる限り、その扱いなど期待するだけ無駄だ。


 オミカゲ様も神との戦いで敗北し、そして挑発されるように真相を聞かされる破目に陥っているので、同じ目に遭ってやるつもりは無かった。


 だが、同時に思うのだ。

 神がミレイユの前に姿を現すのは、勝利を確信した時だけだろう。オミカゲ様は逃げ出す事に成功したようだが、それは幸運やユミルの自己犠牲に依るところが大きい。


 全てを円満に解決する、という目的が、ミレイユにはある。

 だから安易な方法で神と出会う訳にはいかないし、可能なら有利な状態で対面したい。

 大瀑布を超えて――そこに神がいるとして――要求を突きつけるには、少なくともその直前まで、その目的を悟られる訳にはいかないのだ。


 ミレイユは頭痛と精神的不調に耐え兼ねて、重く息を吐く。

 変容による副作用なのか分からないが、普段とは違う鈍痛が頭の奥底で起きていた。普段から頭痛とは無縁だっただけに、重い頭痛は精神的に参る。


 あるいはこれが、神々への叛逆を考える事で起きる頭痛かもしれなかった。考えが後ろ向きになり、また考え続けようとするには多大な意志が必要になる気がする。


 ルチアから手渡されたお茶は、生姜湯の様な保温効果を持つ筈だったが、体の奥がやけに寒い。指先まで震えてくるような有様で、その状態に目敏く気付いたアヴェリンが、身を寄せて頬に手の甲を当ててきた。


「ひどく冷えています、どうなされたのです」

「さっきまでは何とも無かったが……。思えば、噛まれてから少し変な……」


 全くの憶測だったが、ここに来て風邪を引いたのではないとするなら、それ以外に思い当たるフシがない。

 それを聞いたアヴェリンは、即座に顔を上げてユミルを睨み付けた。


「――おい、ユミル。これはお前の仕業か」

「酷い言い方しないで頂戴。変容が始まっているのよ、正常な状態だわ。一時的に体温の変調が出るだけだし、命に別状はないわよ」

「だったら、それを先に言え! 話し合いを続けるより、テントで横になっている方が遥かに大事だ!」

「いや、とっくに知ってるコトだと思って……。それに本来ならもっと早く始まってる筈だから、この子レベルだと関係ないのかしら、とか思ったり……」


 ユミルのしどろもどろの言い訳など、アヴェリンの耳には入っていない。

 胸の中に抱き留めながら、震える指先を押さえつつ聞いてくる。


「……ミレイ様、動けますか? 今はとにかく、他の事は後回しにして横になっていて下さい。周りの警戒など、万事こちらにお任せを」

「……そうだな、任せる」


 体調の急激な変化が変容によるものだと分かると、不思議なもので途端に身体が重く感じられた。

 身体の震えも大きくなり、器を持ち続けるのも難しくなった。それをルチアに返して、アヴェリンの手助けを借りながらテントに入る。


 まだ出しっ放しだった寝袋マットへ、身を投げ出すように横になると、周りの毛布を掻き集めて丸くなる。風邪とは違うから、特別意識が朦朧とする事はなかったが、眠れそうもないというのが逆に辛い。


 アヴェリンとユミルが激しく何かを言い合うのを聞きながら、とにかく症状が落ち着くのを待って、早く変容が終わる事を念じながら瞼を閉じた。


 ――


 瞼を閉じるだけ閉じてみたものの、やはり昨日長い間寝ていただけに、眠気は全くやって来ない。しかし寒気はあっても熱はなく、指先までも冷たくなっているというのに、気分はさほど悪くないという不思議な状態になっていた。


 だから暗い視界の元、ただ外へ耳を傾けるぐらいしかやる事はないのだが、飛び込んでくるのはアヴェリンとユミルが、いがみ合うような雑言が飛んでくるだけだ。

 時折アキラが槍玉に上がっていたりと、完全にとばっちりを受けているような形だったが、とにかく黙っていれば症状も次第に落ち着いてくる。


 指先の震えが止まると、寒気が消えるのも早かった。

 一時間ほど経過し、ルチアが目に染みるような薬湯を持ってきた頃には、気分もすっかり落ち着いていた。促されるままに身体を起こし、鼻にもツンと染みる薬湯を啄むように口を付ける。


 匂い同様、味の方も酷いもので、苦いのか酸っぱいのかすら判然としない。

 思わず抗議するような視線を向けたが、ルチアは小さな子を諭すように優しげな目で言う。


「今朝、偶然森の中で見つけていた薬草と、とある樹木の若芽をすり潰したものです。味も匂いも酷いですが栄養価は高いですし、滋養を付けようと思えば有用なものです。話を聞く限り、ミレイさんは病人ではないようですけど、朝の食事だけじゃ栄養も足りないでしょうから」

「……うん、気遣いは有り難いんだが……」

「ちゃんと飲んでくださいね。そうじゃないと……」


 言いながら、ルチアは今も口論が絶えない二人に目をやる。


「一切フォローしませんよ」

「中々エグい提案をしてくるな……」

「まだ話し合いは途中でしたし、再開すれば何かと衝突はあるんじゃないですか。特にあの二人の間には」


 そうだな、と頷きながら、ミレイユもまた二人に顔を向けた。

 基本的に水と油の二人だが、ミレイユの事になれば、そのいがみ合いも度を越すのが常だった。それに今回はミレイユの体調に直結する事だけに、アヴェリンの態度が険しくなるのは避けられない。


 これから続く話し合いの最中、二人があのような態度のままだと思えば、今から既に頭が痛い。

 一向に前へ進まない議論の所為で、何日もここで足止めというのも笑えない話だ。


「どちらにしても、ミレイさんの容態が安定するまで動けませんし、三日程の時間は掛かるらしいじゃないですか。その間に神の横槍でも入って、ミレイさんが行動不能にされても困りますし、ちょっとの間、森暮らしも良いんじゃないですか?」

「あの二人の頭も、その間に冷えるれば良いが……」

「そう願いますよ。今回の話し合いは実に濃密で、私も整理しておきたいところですし。その間に、何か良い案も浮かぶかもしれませんしね」

「……そうだな」


 結局のところ、神と対峙するという大目標の為に、まず何処を目指すべきなのかが定まったに過ぎない。それとて推測から導き出された憶測に過ぎず、確信あっての事ではなかった。

 ミレイユは今だけは頭を空にして、とりあえず二人の喧騒を肴代わりに薬液を喉の奥へと流し込み、そして直後にえづく。


「……えほっ、ゲホッ! 酷いえぐ味だ……」

「苦いですけど、若芽ばかりを選びましたから、そんなに酷い味では無い筈なんですけど……?」


 突き放すように伸ばした腕の先にある器へ、ルチアは鼻先を翳して小さく嗅ぐ。そして首を傾げて小指で掬い取り、舐め取って舌先で味を確認しすると、やはり首を傾げてしまった。


「やっぱり私には少し苦いだけの、よくある薬湯の類いに思えるんですけど……。これって変容の兆候なんでしょうかね?」

「あぁ……、そうかもしれない。ユミルも独特な味覚を持っているが、それは先天性というか、種族由来というか、そういうものだからな。私にも同じ事が起きていても不思議じゃない」

「やっぱり、そうですか。今後は食事の方も、少し気を遣った方が良さそうですね」


 ミレイユは小さく頷いて、頼むと伝える。

 実際ユミルの食事には匂いの強い香草などは控えめにするなど、今まで面倒にならない範囲での配慮があった。それを今度はミレイユにも同じ事を施すと言ってくれているのだ。


 ミレイユ自身、何がどう味覚の変化が起きたのか理解できていないので手探りになるのだが、その辺はユミルの食事をよく作っていたルチアの方が詳しい。

 任せておけば大丈夫だろう、という信頼がある。


「じゃあとりあえず、その薬湯だけは飲んじゃって下さいね」

「笑顔で言うなよ、そういう要求を」


 妖精が浮かべる笑みと言って過言ではない、まるで花開くかのような笑顔での言い草だ。味覚が変わって飲めた物ではない、と理解していての発言なのだから、尚の事その笑顔が意味するところが怖い。


 普段の食事事情から鑑みれば、確かに昨日今日とろくな食事を取っていないのは事実だ。喪った魔力を補う為、マナを過剰に生成した所為もあって体力も落ちたろう。


 それを補充するのには、とにかく栄養価の高い食事を摂るしかないのだが、現状ではそれも難しい。体調を万全に戻す事を考えるなら、現状用意できる唯一と言って良い薬湯を断る訳にはいかなかった。


 ミレイユは突き放したままでいた腕を戻し、器を口の近くまで近づける。

 既に一度痛い目を見た所為か、身体が拒絶反応を起こして腕が震えてきた。鼻孔から侵入した香りが染みて、薄っすらと涙が目尻に浮かぶ。


 呼吸すら荒くなって来たところで、ちらりとルチアへ視線を向けると、そこには先程とは打って変わって、嗜虐的な笑みがこちらを見ていた。 

 ミレイユが涙目で口先伸ばしながらも飲めない姿が、痛くお気に召したらしい。


 そこへギラリと視線を鋭くさせると、怖い怖いと両手を上げて笑みを引っ込めてしまった。

 しかし、その飲み込ませようとする意志まで、引っ込ませる事は出来なかった。その目は早く飲めと告げている。


 ミレイユは一度深呼吸してから、なるべく舌の上を滑らないよう意識しながら流し込み、そのまま嚥下する。顔いっぱいに渋い顔を浮かべた後、痛いものを堪えるように息を吐いた。

 胃の中から昇ってくる匂いまで味覚を攻撃して来るようで、いかにも辛い。


「頼むから、口の中を濯げるような、お茶か何か貰えないか」

「分かりました、ちょっと待っていて下さい」


 ひとしきりミレイユの醜態を見て満足したらしいルチアは、おもむろに立ち上がってテントから出ていく。その後ろ姿を恨めし気に見つめながら息を吐き、自らの薬臭い息が鼻をかすめて顔を顰めた。

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