螺旋の果て その1
ミレイユは警戒を強めて周囲を伺う。
まず真っ先に探したのが円盤で、こちらの無事を知れば、間違いなく警戒も露わに本体を守ると思ったからだった。
しかし、分かり易い様、宙に浮いた姿を見せているというのに、一向に動きを見せない。
倒れ伏した『地均し』、その下腹部に今も本体が隠れているのだろうか。
もしそうなら、傷も癒えて姿を現したミレイユ達は脅威に思う筈だ。
これまで幾度でも、ミレイユ達を邪魔して来た者ども……。
円盤というブラフを用意し、本体から目を逸らす為に小細工も要していた。
生き汚いばかりの奴らが、これで終わるとも思えない。
仕掛けるタイミングを狙っているだけなのか、それとも――。
贅沢に時間を使う余裕がないとはいえ、無防備に近付く愚は犯したくない。
ミレイユは足元付近にいる、ユミルへ顔を向けた。
「『地均し』方面に、何か怪しい気配が無いか、探ってくれ。あるいは、円盤の居場所でも良い」
「やれと言うなら。……でも、ルチアほど精度の高い探知は無理よ」
「構わないさ。動きがあれば教えてくれ」
「了解よ」
ユミルが制御の動作に入ったのを見て、次いでオミカゲ様へと顔を向ける。
その頭から爪先まで視線をなぞり、傷はともかく魔力が殆ど残されていない事に気付いた。
それはミレイユも同じで、少しは回復した魔力を、先程の治療で使い果たしてしまった。
神の戦いは魔力が無くとも可能とはいえ、オミカゲ様の権能を思うと不安になる。
権能を使う神力さえ、今では使い果たしてしまっている筈だ。
魔力と違って、ミレイユはそれを察知する
あるいは単に慣れの問題かもしれないが、他人の魔力を察知する能力も、磨かなければ身に付かない。
神として成熟すると、その辺りも見えて来たりするのだろうか。
疑問に思うばかりでは仕方ないので、ミレイユはオミカゲ様へと直接訊いてみる事にした。
「神力……の方は、大丈夫なのか。何も出来ないというなら、下がっていてもいい」
「我の場合は瞬間的枯渇があっても、尽きるという事がない故な、そこは心配いらぬ。今も……、見よ」
言われるままに手を向けた方向へ目を向けると、そこには感動の面持ちで信奉の目を向けている隊士達がいた。
その多くは攻勢理術士で、制御はしつつ感謝の念の様なものを送っている。
前衛を任される内向術士などは顔こそ向けてないものの、だからこそ、より強い念を送っているように見えた。
それに、何も願力は彼らだけが送るものではない。
今に限らず常日頃、全国の神社から欠かす事なく信奉を向けられるオミカゲ様だ。
確かに、彼女に限って神力の枯渇は考えなくて良さそうだった。
本人の口から言われた様に、使い切ろうともその端から回復していくような有様だろう。
そして、ミレイユにもまたエルフを始めとした者達から、願力を送られていると感じていた。
受け取る量の大小について、ミレイユはまだ感覚を掴めていないが、人数に反して多過ぎるようには感じる。
それだけ、彼らの信奉が強かったという事だろうか。
見てみる限り、どうやらテオが冒険者たちを洗脳して信奉を向けさせているらしいが、それだけでは説明の付かない多さは感じる。
まぁいいか、と見切りを付け、ミレイユは最前線――孔と湧き出る魔物に目を向けた。
その先では、魔物が強力になった事で前線から離れられず、戦い続けるアヴェリンが見える。
彼女が勇猛果敢に躍り出て、道を切り開き、道を指し示し、そこへ隊士や冒険者が斬り込んでいた。
そこで数を減らして余裕が出て来たところで、混合グループは退避していくのだが、アヴェリンだけは残り、敵の注意や悪意を引き受けているようだ。
魔物としても、まず目に付いた者を襲おうとする。
自らを囮として使う事で、他の安全を確保しつつ反撃までして、かつ手傷を負わずに済ませているのは、流石としか言いようがなかった。
――とはいえ、何事にも限界というものがある。
どのような強敵、どのような物量にも怯まないアヴェリンだが、気力だけでも戦えない。
その助力……ないし、孔の対処は必要だった。
ミレイユは再び足元へ視線を向け、ユミルから何の報告も無いことを確認すると、オミカゲ様に断りを入れる。
「少しの間、離れる。護りは任せて構わないか」
「無論の事。……しかし、どうする」
「――試したい事がある」
それだけ言ってミレイユは、今や八つまで増えた孔の直上まで飛んで来た。
孔は当初より大きさを増し、そしてその分だけ巨体の魔物、強力な魔物が出現している。
隣接する孔と接合し、より巨大な孔が作成されるまで、あまり時間も残されていないようだ。
アヴェリンの焦りもそこにある。
だからペース配分を崩してまで、自らが前線に立ち続け、少しでも有利な状況を維持しようとしていた。
そして、孔に対する知識が豊富な、結希乃や隊士達の焦りも強かった。
一度は巻き返した状況だが、これを維持するだけでも先は無いと理解している。
次なる一手を欲しているのは、誰の目にも明らかだった。
ミレイユは両腕を小さく開いて、左右の手を何度か開いては握り締める。
オミカゲ様が言っていた様に、そしてミレイユ自身感じていたように、神へと変じた時、分かり易い変化というものはなかった。
だが、神の自覚を持ち、願力が注がれるにつれ、身体の中へ魔力とは違う……別の力が満たされていくのは感じていた。
それがつまり神力なのだろうが、この神力は神としての強さを高めてくれるだけでなく、権能を使う事にも必要な力だ。
では、ミレイユが持つ権能とは何なのか――。
昇神の直前、強く思うもの、強く願うものが形になるもの、なのだろうか。
あるいはその人格、思想が色濃く出るものなのだろうか。
オミカゲ様に顕現した権能、『集約』と『守護』を考えると、願いや思想が表出しているようにも思える。
オミカゲ様は信仰を集め、昇神しなければならないと強く考えていた筈だ。
そして孔を日本に呼び込んだ事から、その脅威から護らなくてはならない、とも考えていた筈だ。
それこそが、オミカゲ様が得るに至った権能の正体、という気がする。
とはいえ、それが事実かどうかは、神の身であっても予想するしかない部分だった。
――しかし、それならば、ミレイユの権能は……。
握り締めていた右手を開き、神力を右手に集める。
それは魔力の様に分かり易く燐光を発するものではなかったが、その力の奔流めいたものは、ミレイユ自身の目にもハッキリと映った。
いざ権能を行使しようとすると、それがどういった力を持ち、どういった効果を発揮するのか、頭の中でハッキリとした形として浮かび上がる。
ミレイユはある種の確信を持って、掌を孔の一つへと翳し、直接握り締めるように指を閉じる。
軟球を握り込むかのような僅かな抵抗を感じるのを最後に、トマトを潰したかのような感触と共に、孔が砕けて消失した。
それを見た隊士達と冒険者達から、ざわめきが起こる。
ミレイユは立て続けに同じ事をやって、次々と孔を破壊して行けば、ざわめきは歓声に変わった。
「おおおおぉぉぉぉ!!」
一つ孔を潰す度――権能を使う度、強い喪失感と共に力が抜けていく。
だが、それと同じだけのものが、同時に注がれているのも感じていた。
得るものより消費するものの方が多いが、それでも彼らが同じ思いを向け続けてくれる限り、ミレイユはこの力と共に戦う事が出来るだろう。
神の力とは、あるいは人と共にあり、人と協調して使うべきものなのかもしれない。
例えば、人の身だけではどうしようもない天災、そういった時に守ってやる為、人の努力を越える範囲の時、助けてやる為の力――。
神が利己的に力を振るわず、人を甘やかす為に使うものでもなく、人事を尽くした後に手助けするのが、神の正しい在り方、という気がした。
ミレイユは自分の在り方について考えを巡らせながら、休む事なく権能を振るえば、遂に全ての孔は消滅した。
また新たに孔が生まれる兆候もなく、後は残った魔物を処理すれば完了だ。
彼らの士気も、否が応でも増す。
「勝利だ! 勝利が目の前にある!」
「――焦るな! 確実に一体、処理する事を考えろ! 後方支援が来る前に、血気逸って飛び出すな! 足並みを揃えろ!」
最後の最後、結希乃からも激が飛び、それに応じて声が上がった。
慢心もなく、気を引き締めた彼らの確実な攻撃と連携を持って、遂に最後の一体まで追い詰める。
その一体を相手にしているのは、七生とアキラ達がいるグループで、それも今まさにトドメを刺そうという場面だった。
誰もが血だらけの奮戦で、特にアキラの傷は多い。
常に皆の盾となって動いていたから、あの様な姿になっているに違いなかった。
魔力を吸収する武器、そして護りと回復の刻印があって無茶した結果だが、流れ出した血まで刻印は拭ってくれない。
最後の一体は、獅子を巨大にして二足歩行する様な奴だった。
骨格としては熊に近いのかもしれない。
まさに両手を広げて威嚇する様子は、それを彷彿とさせる。
咆哮と共に右前足を振り下ろし、その爪を刀で受け止めながら『年輪』で防ぐ。
横合いから七生が斬り付けたものの、厚い毛皮と筋肉が、深手まで負わせていなかった。
「――くっ!?」
そこへ左前足を振り下ろしてところを、イルヴィが盾で受け止め弾く。
懐が空いたところに槍を突き刺すと共に、その背を踏み台にしたスメラータが跳躍し、首に大剣を叩きつけた。
だが、少し食い込んだだけで、深手には至らない。
獅子熊は大きく口を開いて叫び声を上げると、口腔から炎を吐き出し、振り乱した。
「やっば!」
スメラータは器用に空中で身を捩って躱し、肩口を蹴りつけて大剣を引き抜く。
くるくると回転してアキラの後ろに着地すると、猫のようなしなやかさで着地し、身を低くして炎から守って貰う。
そうして魔物を睨み付けつつ、次の攻撃タイミングを見計らっていた。
だが、それより前に、七生が地面すれすれに走り込む。
まるで顔が地面に付くような低さで接近し、炎を掻い潜って足首を斬り付けた。
毛皮も薄く、筋肉も薄い地点は、七生の技量と神刀を持ってすれば、両断するのは容易かった。
踏み付けようとしてか、足を持ち上げようとした魔物は、身体が横滑りするように倒れる。
その決定的な隙を、イルヴィは見逃さなかった。
背中を見せるかのような格好で身体を引き絞り、一拍の間を置いて、捻りを加えた一撃をその胸元へと槍を突き刺した。
「――オッ、ラァァ!!」
最後には、やり投げのような格好で前のめりになり、手放した槍は魔物を地面へ縫い付ける。
その時には、アキラの背中を借りて跳躍していたスメラータが、魔物の首に再び大剣を振り下ろしたところだった。
「いただきっ!」
一度切り傷を付けた部分を目印として、再び全体重を掛けた一撃が振り下ろさる。
地面までがっちりと食い込んだ刃は、その首に深々と突き刺さった。
だが刃は、半分ほど斬り裂いたところで止まってしまう。
首の骨の頚椎、そこに上手く挟まってしまい、動かなくなったのだろう。
軽い体重のスメラータでは、それ以上動かす事できそうにもなく、一度引き抜くか、という一瞬の逡巡を見せる。
そこへ別のチームからの声が掛かった。
「――どいてなッ!」
誰の声だ、と確認する素振りもなく、素直に応じて大剣から飛び退く。
その直後、スメラータより更に大きな大剣を掲げ、フレンが振り下ろしながら降って来た。
「だらっしゃぁぁああ!!」
刃の上へ、自らの大剣を振り下ろし、大きな衝撃音が響く。
まるで鎚と金床の様だ。途中で止まっていた刃は、それで一気に傾いて、魔物の首が両断された。
スメラータの大剣は地面を深々と噛み、衝撃で飛んだ首が地面を点々と転がった。
首から吹き出す血液は、大剣が盾になって周囲に撒き散らさなかったが、スメラータは不満そうな顔をする。
「いや、悪い。最後に手柄とったようになっちまって」
巨大な大剣を肩に担ぎ直し、フレンは快活に笑う。
アキラ達チームは苦笑いを浮かべたが、嫌だとは思っていない。
もはや何体の魔物を屠って来たか分からない所為もあるだろう。
誰が倒したかよりも、全てを倒したという事実の方が大事なのだ。
それが誰の顔からも理解できた。
そして、それを見守っていた隊士達、戦士達が喝采を上げる。
――勝利だ。
誰が欠けても不可能だった、苦難の果ての勝利を、遂に手に入れた。
そこへ、どこからともなく、一つの声が上がる。
「――
『ウォォォォオオオオ!!』
長く長く続いた、戦士たちと孔の戦いは、ここに終結した。
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