待望 その7

 視線を受け取ったルヴァイルも心得たもので、インギェムを嗜めるように注意してから説明を始めた。


「それだけでは理解できないでしょう。余りに唐突で、理解の範疇を越えています」

「お前の言い方も分かり易かったとは言えないだろ。己の間では公然の事柄でも、こいつらは知らないんだから。それをさも知って当然、みたいに言ってたから困惑してたんだろ」

「それは……っ! ……えぇ、反省すべき点でした。この状況まで辿り着いたミレイユはいない。しかし、知っていたミレイユもいたので、それと混同してしまっていた様です」


 二柱の神は、互いが互いを弁明するようなやり取りを続けた後、ミレイユに向かって目礼して来た。神としては最上級の謝意の表明だろうから、その態度について文句を言うつもりはないが、聞き捨てならない台詞もあった。


 オミカゲ様がそうであったように、ルヴァイルのお眼鏡に適わなかったミレイユは存在する。ミレイユとオミカゲ様が出会った様に、オミカゲ様も前周ミレイユと出会い、そして全く違う道筋を辿っている。

 ならば、デイアートへ送還されてからも、全く違う行動を取って来たと想像できる。


 そしてその中には、恐らく惜しいところまで行きつつ、やはり失敗だと見切りを付けられたミレイユもいたのだろう。

 それは良い。悔しくもあるし、腹の底から怒りが煮え滾るような思いもあるが、まだ飲み込める。きっと、今回だけが上手くいったケースではないのだろう。


 それもまた、納得は別として理解できるのだ。

 だが、大神に――大神の中に、それと詐称している者が紛れているなど、発想した事すらなかった。ミレイユは思わずユミルへ顔を向けるが、そのユミルもまた困惑した表情で、頭を振って見せた。


「いやいや……。それを教えてたら有利にコトが運んでいたとは思わないけど、だからって、敢えて隠してたワケないでしょ。むしろ知ってたら、盛んに口にした上で馬鹿にしてたわ」

「……確かに、それは実に説得力があるな」


 元よりユミルが情報を秘匿しているなど、そんな事を考えて向けた視線ではなかったが、予想以上の困惑ぶりを見せたユミルの言葉に、嘘は見受けられない。

 それよりも、どこかのミレイユは、何を持って知る事に至ったのか、その方がよほど気になった。多くの道の違い、多くの変化があった事だろう。


 そして本来なら、そういう情報は次周のミレイユへ引き継がれるものではなかったのか。

 その情報の蓄積や累積が、いつかループを抜け出す力になると、それを信じて続けていたものでは無かったのか。

 それを思うと、今は関係ないと思いつつ、訊かずにはいられなくなる。


「……なぁ、聞きたいんだが、私は一体、何度くらいループしているんだ? それとも、私が蓄積された情報を持っていないのは、実はループ回数が少ないからだったりするのか?」

「それは、分かりません」


 キッパリとした返答が返って来て、ミレイユは鎌首をもたげる。


「分からない? お前はその権能を持って、その記憶を持ってるんじゃないのか?」

「えぇ、だからこそ正確なところは分からないのです。ミレイユは確かに繰り返す時の中で、次代へ情報を引き渡し、それを元に改善を試みようとします。ですが、大体八度目くらいに失伝し、その度に同じ周回を繰り返そうとするものです。小さな変化、大きな変化があっても、どこかで躓き失敗した結果、累積した情報を失うのが通例でした」

「あぁ……、くそっ。予想していた事だが……、それで何一つ上手くいかなかったのか……? それとも、お前がそう仕向けていた所為か?」


 ミレイユの目が険しく細められる。

 ルヴァイルはミレイユを取捨選択していたのだ。繰り返す時の中で、最善のミレイユを探し出そうとし、その中で情報蓄積が邪魔となったから、リセットする意味で過去へ送り返した事もあったのではないか。


 ミレイユの中で疑念が湧き上がる。

 あくまで自分の主観として、何度も繰り返していたという実感はないものの、オミカゲ様から預かった荷物はある。

 その重さを思うほどに、選別の傲慢さに吐き気を覚える程の、強い憎しみを感じた。


 だが、ルヴァイルはそれに動じる事なく、首を横に振って見せる。


「それは妾が何をするでもなく、決められた時の流れみたいなものです。妾が手を出すまでもなく、神々が貴女を取り戻そうとする様に、あるいは貴女が帰還する結果になるように、情報失伝もまた変えられない結果に過ぎません」


 むしろ、とルヴァイルは顔を歪めて吐露する様に言った。


「妾は幾度も、それを防げないか試した方です。妾の求めるミレイユには、そうした情報を持っていた方が有利になるだろうと思ったからです。……しかし、失伝するまでの回数は、いつも大きく差異がない」

「そうか……、言い掛かりを言った様で悪かった」

「いえ、繰り返した回数を、素直に伝えなかった妾も悪いのでしょうから。ただ……」


 ルヴァイルは悩まし気に眉間を寄せ、記憶を遡るように視線を外に向ける。


「確かな事を言えないからこそ、敢えて分からない、と言いましたが……。凡その回数で良いのなら」

「あぁ、完全に正確な数字じゃなくても良い」

「それならば……、そうですね……。大体、一億は超えています」

「いち……、おく……!?」


 訊かねば良かったと、後悔するような数字だった。

 数十ならば挽回するに十分な数だと思った。あるいは百でも諦めるには早いと思える。しかし億となれば、抜け出せない迷路に囚われていると考えても間違いではない。


 顔を横へ向けてみれば、ユミルのみならず、アヴェリンやルチアまで表情を歪めている。

 それだけ繰り返して駄目だったなら、もう何をしても駄目なのではないかと思えてしまう。

 だが、意志の力で腹に力を入れ、腹筋で押し返すようにして背筋を伸ばす。


「それだけの数、お前もループに付き合っていたと言うのか……」

「そうですね、そうなります……。妾の望みは、世界をあるべき姿に戻す事。その為には、貴女の助けが無ければならない。他の神々にとっては貴女を出られない迷宮へ放逐したぐらいのつもりでしょうが、妾からすると、その傲慢さを利用して、無限に是正する機会を得たと同義」

「何故、そこまで……?」

「システムから覆さねば、世の不条理は無くならないからです。貴女とてそうでしょう? 人の世の不条理、そして故郷に向けられた不条理、それらを見過ごせないから立ち向かうのではないのですか」


 キッと挑むような目付きをして、ルヴァイルは決然とした表情で続ける。


「それは妾とて同じこと。貴女なしでは成し遂げられぬ。そして貴女が共にあっても、成し遂げる事は簡単ではない。幾千、幾万、幾億の失敗しようとも、いずれ成功してみせる、と思えば目指せるものでした」

「まぁ、その辛抱強さと諦めの悪さだけは認めても良い……」


 苦し紛れの発言の様になってしまったが、そればかりは本音だった。

 あるいは、ミレイユだけであれば、ループを脱却する機会はあったかもしれない。だが、その足を掴んで逃さない様にしていたのはルヴァイルだ。


 それに恨み言を言いたくなる気持ちはあるが、必ず成し遂げてやるという執念には敬意を抱かずにはいられない。

 そして、その絶対にやり遂げてやるという執念は、ミレイユと似通う部分でもあるのだ。

 手を組む仲間として考えると、確かに心強いと言えるのかもしれない。


「……その億回数繰り返し、ようやく巡り会えたのが、この私という事か。それ程までに、他のミレイユは見込みがなかったか」

「惜しい、と思えるものなら幾らでも。しかし、いずれのパターンも最初の一回ほど上手くいかない。何をすれば上手くいくかも分からず、手を出さない方が上手く運ぶ事も多かった。そして結局、思い当たったのです。こそが最善だったのだと」


 その瞳に映る色は、いっそ狂気的だった。

 神なればこそ、常人には計れないものがあるのかもしれないが、ルヴァイルの場合はまさにそれだ。信念すら、貫き通せば狂気になる。


「手を加え、ループの迷宮へ落とした事で、それが歪んでしまった。神を追い詰め、心胆寒からしめた存在は、掌で転がされ、尽く躓かされる結果へと追い落とされる事になった。妾はそこから掬い上げようとしていたのです」

「だが、掬い上げても生半可な解決では満足できない、そういう事でもあるんだろう? だから、お前自らループへ突き落とすような真似もしていた。……じゃあ、何をもってお前は円満な解決と考えているんだ?」


 今度はミレイユが、挑むような目付きでルヴァイルを見つめた。

 幾度となく、果てが見えない道先ですら、その信念で進んで来られた彼女だ。


 ミレイユをループを動かす歯車としたのは許し難い。だが最善を求め、それを得られないのなら意味はないと、繰り返して来た事実だけは認めてやりたかった。

 そして実際、ルヴァイルは相当な覚悟をもって臨んでいる。


 自己の望みを叶えるだけでなく、ミレイユに対する配慮も、その発言から窺えていた。

 単に自分が望む結果を引き当てるだけなら、ここまで繰り返す必要も無かったのではないか。ミレイユが望む結果も同時に得られないから、次の機会へ望みを託そうとする。


 利己的に徹するなら、そこまで膨大な試行回数は必要ないだろう。

 惜しいと思える場面は幾つもあった、というなら、ミレイユを切り捨てるなり、ベターと思える結果に満足しても良かった。


 それをしないのは、ミレイユを利用しているという負い目が原因だろうか。

 あるいは、誠意のつもりでもあるかもしれない。


 単に使い捨てとしないのは、ルヴァイルの善性を物語っている気もしたが、それと察せるかといって、絆されてやる事もできない。


 聞きたい事、確認せねばならない事は多くある。その質問に応えるつもりがあるのか、それとも口を閉じるのか、上手く躱すか嘘を吐くのか……。

 見極めるのは、ルヴァイルの返答を聞いた後で良い。


 黙ったままでいるルヴァイルに、ミレイユが催促するように視線で問うと、小さく頷きを見せて口を開いた。


「大神を救い出し、簒奪者を滅し、不条理を払う。その上で、貴女と貴女の故郷も救う。これが妾の求める円満な解決です」

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