虎穴に入らずんば その9

「しかし、そうするとスルーズの死体の所在はどうなる。紛失したと騒ぎになったりしないか?」

「あるいは、アタシ達が確保しているように見えるかも? それってどうなの?」


 ユミルも同じように疑問を持って口を挟むと、ナトリアは首を左右に振ってから答えた。


「問題はございません。スルーズの死体が室内から出て来なかろうと、因縁有る相手だと既に理解されております。単に燃やす以上の苛烈な処遇をされている、と納得されるのです」

「あら、そう……? まぁ、実際アタシからすると、燃やして即お終いにしたくない気持ちがあるし、間違った推測じゃないかもね」

「それはそれで良いが……、それならお前は、どうやってこの場を脱出する」


 ミレイユがナトリアを見ながら問うと、ゆるりと左右へ顔を振って答えた。


「長時間の潜伏も必要ありません。表に投げ捨てた死体が灰になる頃には、安全に離れる事が出来ます。その時点で、神々からも注目するに値する出来事は、全て消化された事になるので、ここへ目を向けている事も無いのです」

「なるほど、ならばそれで良いが……直ぐに始めるか? スルーズに着せる服は、お前が持ってるんだろう?」

「はい、お許し頂けるなら」


 許すも何もない。

 始めたいというなら、そうさせるだけだ。一瞬、ナトリアが着ている服を使うのかと思ったが、こうなる事を想定しているなら、当然スルーズ用の服も準備している筈だ。


 用意したのがナトリアなら、その為の着替えをさせるのもナトリアだろう。

 だが、監視の目は必要だと思っていると、ユミルが立候補して手を挙げた。


「やれって言うなら、勿論その役はアタシがやるわよ」

「そうだな。せめて燃やす役は、ユミルの方が良いだろうし。そんな事で溜飲が下がるとも思えないが、他の誰かに譲るものでもない」

「良く分かってくれるじゃない。それに、ナトリアが変な真似したら、即座に手が滑ってしまえるしね」

「うん、一応ルチアも連れていけ。何をするにしろ、目の数は多い方がいい」

「アンタは……?」

「そこまで大人数で見張る必要はないだろう? 任せる。私はここで待っているから」

「了解よ。すぐ済ませてくるわ」


 言うなり立ち上がって、ナトリアを促して先頭を歩かせる。

 ルチアもそれを見ながら立ち上がり、離れる前に困ったような笑みを向けて来た。面倒な監視役を押し付けられた様なものなので、ちょっとした不満を見せた、といったところだろう。


 何かの形で穴埋めが必要だな、と思いながら、ミレイユはカップを持ち上げる。

 アヴェリンと二人、死体の処理が終わるのを雑談しながら待つ事にした。


 ――


 首も腕も無いとはいえ、ひと一人を着替えさせるというのは、手間の掛かる作業だったろうが、三人が帰って来るのは早かった。

 出入り口はここから離れていないので、その物音も聞こえていたが、話し声が一切なかったのは、やはりナトリアがいた所為だろう。


 不審な真似をすれば、即座に首を落としてやろう、などとユミルは思っていただろうし、ルチアも同様に目を光らせていた筈だ。

 そこで陽気な会話が始まる筈もない。衣擦れの音と、重い物を持ち上げたり落としたりする音が聞こえていたぐらいで、他に音らしい音もなかった。


 最後にユミルが放った魔術の片鱗を感じ取り、何かが燃える音がしたところで、三人は再び食堂に顔を出したのだ。

 最終的に、掛かった時間は十分前後でしかなかっただろう。

 労いの言葉を掛けると、ユミルは肩を竦め、ルチアは得意げに笑みを浮かべて席に座る。


「血の跡や破損した扉も修復しておきました。どちらもあのままじゃ、気分の良いものじゃありませんでしたからね」

「あぁ、それは助かる。ありがとう、ルチア」

「どういたしまして」


 ルチアがにっこりと花開く笑顔を向けると、ユミルは不満も顕にミレイユを小突く。


「ちょっと、アタシにも何かないの?」

「お前の何に労いをすると言うんだ。……それで、燃え尽きるまで何分くらいだ?」

「三十分程度じゃない? 臭いがしたら嫌だから、離れた所に置いたし、飛び火しないよう結界で囲って貰ったから……長くても一時間は掛からない」


 ミレイユは幾度か頷く。

 火や熱が逃げない構造になっているなら、使った魔術にも依るが、確かにその程度で済むのかもしれない。ミレイユたちはこの家で待機する必要はないが、ナトリアを一人残すのも不安が残る。


 事ここに至って邸宅に何か仕掛けるとも思えないが、しかし警戒を疎かにも出来ない。

 彼女が自ら姿を消すまで、見張っていたいと言うのが本音だった。


「では、それまでここにいるとして……。そうだ、ナトリア。神々はデルンを使って、まだ何かすると知っているか?」

「はい、スルーズが死のうとデルン王は森への確執を消しませんので、攻め立て続ける事になります」

「そうなると、私達は森から離れられないって事でしょうか?」


 ルチアが不満気に眉根を顰めると、それにナトリアは首を横へ振る。


「毎日の様に兵を送ってくる訳ではありませんから、外に出る事は難しくありません。むしろ、遠く離れた時に多数の兵を動かして、森の防備を促そうとするでしょう。だから、この周辺にいる限りにおいて、兵は動きません」

「森を見捨てない、と思われている訳だな。それが泣き所だと認識していて、だから遠方に行けない手を打ってくると……」

「神々はミレイユを森へ貼り付けて置きたいのです。その思惑がある以上、貴女方の助力が必要になる程度は、兵を送り込むことをやめません」


 ミレイユは重く息を吐いて、帽子を脱いでは髪を掻き上げる。


「それもまた、私を森へ追い込んだ事の一環か? なぜ森にいて欲しいんだ」

「別に森で無くても宜しいのです。仮に今回、貴女が森を見捨てていれば、同じ様に貴女が庇いたいと思う対象を攻撃していただけ。いつかは、いずれは、貴女が足を止めて守ろうとする対象を見つけ、そこに縫い止めようとします」

「だから、それは何故なんだ」

「時間が欲しいからです。現在、神々にとっては詰みに持っていきたい状況で、そして時間は味方だと思っています。稼ぐ程に貴女は不利になっていく。それが狙いです」


 ミレイユは掻き上げていた手をそのままに、思案顔で動きを止める。

 時間は常にミレイユの味方をして来なかったが、かといって今回、それが敵になるとも思えない。悠長に時間を掛ける事でもないかもしれないが、明確に時間制限が切られている訳でもない筈だった。


 だが、時間が神々の味方をする、というのなら、今回もミレイユにとって時間の浪費は悪手だという事らしい。

 だが、その理由までは、皆目検討も付かなかった。


「是非とも、その理由とやらを教えて欲しいんだがな」

「私は存じ上げません」

「またそれか……」


 ミレイユは手を戻して溜め息を吐く。

 ユミルからもアヴェリンからも剣呑な視線がナトリアへ向くが、知らない事は教えられないのは道理だ。仕方がない、とここは素直に諦める。


 焦らずとも――それが罠でない限り――ルヴァイルとの対面が叶う予定だ。その時に聞けば良い。結局、今回の交渉役としてナトリアに与えられた情報は、ごく限定的に過ぎないと見ている。その事には余程の自信があった。

 むしろ知らない事の方が多いぐらいだろうし、ここで下手に質問して知らないと答えられるより、ルヴァイルから聞いた方がストレスは少ない。


 あちらが正直に全てを素直に開陳するか、という疑問もまた存在するものの、今はそこに期待するしかなかった。

 考えるだに頭の痛くなる問題に息を吐き、アヴェリンとユミルに向けて手を振る。


「……ナトリアを責めるな。私にしても、交渉役に過ぎないナトリアが何もかも知ってるとは思っていない。ユミルという、強制的に情報を吐かせる手段を持っている以上、むしろ現段階で知って欲しくない情報は絶対教えない」

「それも、……そうよね。特にアタシ達が心変わりするかもしれない情報は、例えあったとしても、コイツに教えている筈がない」


 その言葉に引っ掛かりを覚えたのはミレイユも同様だったが、それより早くアヴェリンが詰めるように口を挟んだ。


「それはつまり、ここに縫い留められる事、時間を稼がれる事が、そのに該当する情報だ、と言いたいのか?」

「分からないけどね、そうかもしれないって思っただけ。だって、別にこの森に拘っているワケじゃないんでしょ? 足止めが出来れば、それはどこだって良いみたいじゃない。じゃあ、内容を知ったアタシ達は、移動を決意するって意味になるもの」

「移動、……移動か」


 アヴェリンは独白するように呟いて、大いに疑問を顔に浮かべながら、ミレイユの方へと向けてくる。


「……単に移動と言っても、現状どこかを目指すという目的など、無かった筈ではありませんか?」


 その疑問にはミレイユも頭を悩ませていて、単に移動させる事が目的とは思えない。むしろ、時間を浪費してしまう事で、移動を余儀なくされるのではないか、という気がした。


「……うん、だから切羽詰まって、何かを強いられる……そういう事になるんだろうな。その何かをする為、移動しなくてはならないのだろう」

「神々の目的……それってミレイさんをループさせる事でしょう? じゃあ、大神の誰かが目の前にやって来て、それで転移させるんでしょうか。オミカゲ様がしたみたいに、目前で孔を開いて……」

「有り得ない話じゃないが、イメージし辛い。盤面の指し手が駒として降りて来る事は、まず考えられないだろう。それをするぐらいなら、策を用いて私達をこそ動かそうとする」


 ですね、とルチアも一応の納得を見せたが、それなら何故、という思考は止まらない。顎の先を摘んで、自らの考えに没頭し始めた。


「ループさせたいから、アタシ達を動かそうとする、というのは良い線な気がするわよね。でも、それは今すぐじゃないワケか」呟く様に言って、かくりと首を傾げる「……なんで? 別に早いとか遅いとか、そこ関係なくない?」

「遊びを考慮に入れないなら、そこは早くても問題ない筈だな。だが、時間を稼ぐ、という後ろ向きな行動が答え、という気がする」


 ふぅん、とユミルが眉を顰め、ナトリアへと視線を向けた。

 ミレイユもつられるように視線を向けたが、そこに答えを得られそうな感情は浮かんでいない。ただ、意外に思うだけでなく、驚愕に近い表情がそこに貼り付けられていた。


「なんだ、どうした……?」

「いえ、その……。あまりに思考の過程が洗練されているな、と感じまして……。ここまで冷徹に、冷静に、俯瞰して物事を見られるのは、神々にしても稀な事かと……」

「……そうなのか? このぐらい当然なんじゃないのか」


 そもそも、その思考プロセスにしても、ミレイユ一人で考えている訳でもない。ルチアやユミルが同じ様に考えてくれるからだし、そこへ思考の外にいるアヴェリンが思わぬ一言を加えてくれるから成立しているようなものだ。

 精神性について自覚はないが、神の思考能力とはその様なもの、と思っている。


「考えるのが得意な奴らなんだろう? 神人とは良く言ったもの、とアイツは言っていたけどな」

「確かに魂を素体に入れた存在を、神人と呼称しています。ですが、誰もが高い思考能力を持っている訳ではないと思います。カリューシー様は、接触していた神々の数も少なかった筈ですので、全ての神々を知らないから言えた台詞かと……」


 意外な気持ちが去来すると同時に、納得できるものもある。

 その戦闘力にしても大小があるように、知能や思考能力に上下がある事に疑問はない。奸計、詭計が得意な者ばかりでなく、中には力押しが得意な神もいるのだろう。


 そこは個性の範疇だから良いとして、しかし漠然と誰もが高い思考能力は持っているのだと思っていた。ナトリアに言われるまで、その全員が自分と同じ事くらいは出来る、と疑わずにいたように思う。そして、そうである前提で考えてもいたのだ。


 意外な発見であると同時に、これはナトリアが意図せず漏らした情報でもあるのだろう。

 ルヴァイルの指示とは別に持っていた知識で、だから信用してもよい内容、だと判断した。

 ――神々とは、決して有能集団の集まり、という訳ではないのかもしれない。

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