追逃走破 その5

 アヴェリン達に隠蔽魔術を施した後、ユミルもまた目標に向かって駆け出した。

 追ってくるだろう者たちを分散させる為の別行動だが、戦力が分散するという意味ではこちらも同じだ。アヴェリンにはアキラが着いているものの、果たして戦力として数えて良いものかどうか。


「……まぁ、あっちはあっちで上手くやるでしょ」


 敵戦力次第ではあるものの、アキラ程度のお荷物が一緒でもアヴェリンなら蹴散らして進むという、ある種の信頼はある。


 鼻を小さく鳴らし、ユミルは遠く結界の境へと目を凝らした。

 結界内の構造について、詳しい事を知るわけではない。手動的に発動させた結界というのも今回始めて見てみたが、しかしその基礎設計に変化はないものだと推察できた。


 そうでなければ、ルチアがその脆弱性に目を付け、効果的な対策を打つことさえ出来なかったろう。解析されていたという認識を持っていないとは思えないので、どうしてそのような穴を突ける隙を残したのか疑問は残る。


 ユミルは改めて周囲に展開されている兵達の気配を探った。

 着かず離れずの距離を維持していて、途中回り込むような動きも見せてくる。それを避けるように移動を続ければ、その総数が三十前後いる事が分かった。


 たった一人に当てる数として妥当だと思っているのか分からないが、これだけの数がいて、その中に結界術を取得した者がいないと考えるのも不自然だった。

 得意不得意はあって当然、しかし既に解析されている結界を使うしかない程の偏りがあるのだとしたら、あるいは頼りになる術者は一人しかいないと言う事になる。


 ――敵戦力には、それほど厚みがないのかも。

 ユミルは無意識にそう決定付ける。鍵を隠し持つと知る相手に、牢の中へ入れる愚は犯すまい。ならば、それは捕らえる事が目的ではなく、別の意図を持って張られたと考えるべきか。


 ユミルは無人の道路を走り抜けながら、自分が誘導されている事も自覚していた。

 元より大きく西廻りで移動するのは決定していたが、北上しようとすると邪魔が入る。無理して通る事も時折しているが、しかし進路の妨害は消えなかった。


 あるいは、とユミルは思う。

 この広い結界が演習場の役割をしているのかも。


 ふと思いついた推論だったが、あり得るかも知れない、と判断した。

 結界がどういう意図で使われているか、その真相は分からないが、一般人に知られず武器と魔術を振るえる場である事に違いはない。


 ユミル達に好き勝手動かれると困る、といった結希乃の言い分は嘘ではないだろう。だが同時に、それが言い分の全てでもなかった筈だ。

 何しろ、結界で閉じ込めるなら、こんな広範囲に張る必要はない。ビル周辺を囲んでしまえば事足りる。張った時点で察知されると知らなかっただけなのか、あるいはそのあと狭めていくつもりだったのか、可能性として考えれば切りがないが――。


 ユミルは改めて周囲の兵達の気配を探った。

 数の厚みは増えてきている。四人一組、小隊を組んだ者たちは積極的な攻勢をしかけてこない。それが不思議でもあり、不気味でもある。


 その時、遠くで爆発のような衝撃音が聞こえてきた。

 ユミルはそちらの方へは目もくれず鼻で笑う。おそらく、ミレイユが『ぶちかまし』と名付けた、内向魔術を極めた者にしか出来ない力業を使ったのだろう。


 単純、だからこそ防ぎ辛い。

 単なる突進だから躱せばいいと思いきや、通り過ぎる際に発生した衝撃波までは躱せない。ならば衝撃波も無効化すれば良いのだが、アヴェリンには二の撃がある。通り過ぎた直後、急角度で方向を変えて再び突っ込んでくる。

 こうなると躱すというのが難しくなるので防ぐしかないのだが、物理的突進と衝撃波の二重攻撃は単純な防御を貫いてしまう。


 ならば発生より前に止めねばならないのだが、一歩の距離があれば急加速できるアヴェリンは、その初動を潰す事も難しい。仮に攻撃を当てても、内向魔術士としての強みを十分に活かし、傷を受けながら突進してくる。


 最後まで立っていた方が勝ち、という価値観の強い奴なので、並大抵の傷は受けて当然という気概でいる。戦闘中でも傷の治りが速い、内向魔術士が取れる戦術とも言えるが――。


 そこまで考えて、ユミルは鼻の頭に皺を寄せた。

 あれを止める手段がユミルにはない。それを知っているから、余計に腹立たしかった。自分の周辺にいるような者たちが、アヴェリンの周りにいる者たちと同レベルであるというなら、あれは止める事は叶うまい。


 そこまで考え、思考を切り替える。

 前方には阿由葉とよく似た実力者が待ち構えていた。

 誘われていた事には気づいていたし、そうであるからには罠でもあるのだろうと思っていたが、予想よりもシンプルな対応に、思わず面食らってしまった。


 小隊が二つ、その足元に魔法陣が見える。

 ――なるほど、素の実力では勝てないと、始めから理解している訳か。


 時間を掛けて魔力を制御し、複数人を使って短時間で仕上げたのが、あの魔法陣なのだろう。効果の程は分からないが、こちらの動きを阻害するタイプではないように思える。


 小隊にはそれぞれ少年少女の隊長がいて、どちらもアキラと似たような年齢に見えた。

 少年の方は短気そう、少女の方は更に幼い顔をしていて不安の中に決然とした意思を感じる。準備万端、待ち構えていた、といった様子だが……さて、どうしたものか。


 ユミルは彼らの十歩手前で軽やかに足を止め、それから結界の境までの距離を測った。

 アヴェリンならまだしも、一足飛びに抜けるには難しい距離だ。仕留めるか、無視するか、好みのワインを選ぶかのように楽しく頭を悩ませ、そして一つの決断を下す。


 蠱惑の笑みを浮かべ、ユミルは両手で魔力の制御を開始した。




「お前ら、気合入れろォ!」


 少年が叫び、それに呼応して雄叫びが上がった。隣の少女は迷惑そうに顔を顰めていたが、見る限り、その魔力制御は淀みない。

 この隊長達は多くの者達の上澄みではあるのだろうが、それでも少女の制御は見事と言えた。何を見せてくれるのか、と期待する気持ちはあるものの、ユミルとて遊んでばかりもいられない。


 何しろ――。


「アヴェリンより遅く到着とか、絶対イヤだものねぇ……!?」


 ユミルは両手を突き出し、完成した魔術を行使する。

 すると、ユミル自身の身体から白煙が溢れ出す。それは四方八方に吹き広がり、あっという間に辺りを白く染めた。


「焦るな! 早く煙を吹きとばせ、視界を確保しろ!」

「姿は捉えてる、まだ動いてない! 陣に理力を集中して!」


 少年少女から、それぞれの小隊に激が飛ぶ。

 命令を聞いた、やはり同年代らしい少年少女たちが魔力を制御して、目的の魔術を行使しようとしていた。

 だが、その眠ってしまいそうな長い制御を、悠長に待ってやるほどユミルはお人好しではない。


 ユミルは更に魔力を制御し相手よりも早く魔術を完成させる。対象は自分、ユミルが使ったのは攻撃でも補助でもなく、敵を錯乱させる為の魔術だった。


 号令のもと相手の魔術が行使されて激しい風が吹く。

 白煙はあっという間に掻き消されて、そして悠然とした立ち姿を披露するユミルが顕になった。更に背後にはユミルを誘導していた他の小隊も配置についている。

 完全に包囲された形だが、ユミルは余裕の表情を崩さない。


 そして自分の位置を入れ替えるように、横へ一歩移動すると、その背後にもう一人のユミルがいる。そのユミルも逆方向へ一歩動くと、その背後にはやはりユミルがいた。

 その二人も横に動けば、やはりそこにはユミルがいる。


「さぁて……だぁれが本物だ?」


 全員が一糸乱れぬ姿で円を描くように両手を開いた。その顔には小馬鹿にした笑顔が張り付いている。

 その光景を見ていた少年たちは目を剥いたが、咄嗟に上げた声で小隊に注意する。


「騙されるな、幻術だ! ――紫都!」

「もう見てる! ……見てるけど、分からない! 差がなく均一で絞り込めない!」

「くそっ!」


 紫都と呼ばれた少女の前には空中に浮かぶディスプレイのようなものがあった。

 それで分析しているようだが、芳しくない返事に少年が舌打ちした。その少年が、足元の陣の影響を受けて、増強された魔力の制御を始める。


 ――なるほど、そういう陣か。


 ユミルはそれを見てほくそ笑む。

 誰もが複数のユミルに注意を向けているが、陣の中に入り込んだユミルには誰も気づいていない。隠蔽や幻術、そして隠密はユミルが得意とするところだ。

 気配は勿論、体臭から体温に至るまで、完全に隠蔽を完了させている。


 彼らは目の前にいる複数のユミルの中に本物がいると思いこんでいるが、そもそも最初からあの中にはいない。煙が消える前には、この陣の中に姿も魔力も消して入り込んでいた。


 視界の中だけでなく、思考の中にも盲点はある。

 隠蔽魔術は弱点が多く、警戒している者には無力である事が多い。しかし、どんな術でも使い方一つで有用な魔術に変わるものだ。

 これはミレイユが教えてくれた事でもある。


 その時、少年が練り上げ制御した魔力が解き放たれた。

 本来なら一本から二本しか放出されないであろう炎の矢が、まるで連射弩級のような頻度で放たれていく。いや、それよりも随分速い。


 その矢がユミルの幻影を外側から一掃するように放たれていく。

 着弾し、爆発し、もうもうと煙を上げていく。放たれる事、実に十秒、肩で息をする少年は陣から魔力を供給し、次の魔術の制御を始める。

 煙が晴れる頃には、また次の魔術を行使する、という算段だろう。


 紫都はサポートに回るタイプのようで、攻撃役の少年へ反撃を想定した防御膜を構築している。制御の癖から見ても、下の陣はこの紫都が作ったものだろう。

 しかし作った後の維持までは手が回らず、その為に小隊メンバーを使っている。陣は込めた魔力によって持続時間も効力も変わってくるから、こうした複数人の運用は珍しい事ではない。


 煙が晴れて、そこには咳き込みはすれども無傷の姿を晒すユミルが現れた。

 そのユミルの一人が、別のユミルの襟元を掴む。


「ちょっとアンタ、アンタのせいでアタシまで巻き込まれてるじゃないの。アンタ本物なんだから、アンタだけ攻撃喰らいなさいよ!」

「いや、違うわよ! アタシじゃない、アイツよ!」

「――は? アタシじゃないわよ。アイツだってば!」

「違う違う、アイツ……、多分アイツよ!」


 それぞれが指差し、仲間割れを始めたユミルに、小隊の誰もがポカンと口を開けた。

 遂には殴り合いの喧嘩に発展し、収拾の着かない様子になっていく。

 紫都が少年にどうする、という視線を向ければ、気を取り直した少年が制御を終えた術を解き放った。


 炎の矢が順次命中して爆発を起こす。吹き飛び、吹き飛ばされ、無駄に派手な回転をさせながら、ぼてぼてと地面に落ちていく。

 落ちたユミル達は起き上がらない。

 気まずい、嫌な沈黙が続いた。


 それから数秒、ぬるりとした動きでユミル達が起き上がる。それぞれの顔面には表情がなかった。じっとりとした視線が少年に向かう。

 気圧されて、思わず後退りしそうになった時、ユミルの一人が声を上げた。


「……まぁ、そうなるわよね」

「そう、それはね。じゃあ全員攻撃すればいい、って話になるわよ」

「なら本物が名乗り出れば解決じゃない?」

「そうよね。じゃあ、本物、手を挙げなさい」


 そうは言っても、誰も手を挙げない。複数のユミルが、それぞれを値踏みするかのように視線を向けた。謎の緊張感が辺りを包む。

 その中の一人が手近な一人に掴みかかり、その首を揺すろうとしたところで、別の一人が止めに入る。そうする内に別の一人が二人を引き剥がし、威嚇するように二人を睨みつけた。


 少年たちは、何故か邪魔しちゃいけない気がして、その様子を固唾を呑んで見守っている。

 場の膠着状態が続く中、その内一人のユミルが少年に顔を向け指を向けた。


「そうそうアンタ、アレはいいの?」

「……な、なにがだよ」


 突然、声を掛けられて動揺した少年は、思わず上ずった声を返したが、咄嗟に魔術の制御を始めて反撃を試みる。

 しかし、ユミルはその制御に目もくれない。端から相手をしていない、という具合で興味すらない様子だった。

 そのユミルが指差していたのは少年に対してではない。分かりやすいよう少し位置をずらし、その背後へと指を向ける。


「手、挙げてる子がいるけど」

「何……?」


 誘導されている、という自覚があるのかないのか、少年が素直に背後を振り向くと、結界の境に到達しているユミルが大きく手を振っている。

 満面の笑顔で、そして小憎たらしく腰まで振っていた。


「馬鹿な、いつの間に!?」

「……まさか、ここにいるの、全員幻影!?」


 紫都が叫び声を上げるのと、ユミル達が消えるのは同時だった。何の前触れもなく、突然目の前でシャッターを切ったかのように姿が消え、痕跡が何一つ残っていない。


 紫都も結界の境にいるユミルを追いかけようと動こうとして、足が動かずその場に転んだ。

 何がと思い、そしていつの間に、とも思った事だろう。


 ユミルは陣の効果を見極めたのと同時、その上から粘着の陣を重ね掛けした。まさにユミル達が爆発している最中のことで、そちらに注意を向けていた中、隠蔽を駆使したユミルの術の発動には気づけなかったろう。


 そして幻影達が押し問答している内に、悠々と結界の境へ近付いて行った。


「くっそ、馬鹿にしやがって!! 端から戦う気なんて無かったってか!」

「これ駄目、力づくじゃ無理! 先にこの陣を無力化させないと追えない……!」


 陣の中、どこであろうと接着した部分は決して離さない。外そうとする力に反発する度に魔力を消耗していくから、暴れる程に早く解けるが、その分体力も魔力も消費は大きくなる。

 粘着されている人数、そして後方に控えている者が助けに入る事を考慮しても、一時間程は陣の中に拘束されるだろう。


「それじゃあね、お馬鹿さん!」


 ユミルは最後に身体に妙なシナを作りつつ手を振って、結界の外へと抜けていった。

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