外から来たモノ その1

 ミレイユは、今日を休息日にすると心に決めていた。

 今まで特に働くという気持ちを持たずに暮らしていたが、ここ数日の――箱庭世界の時間における――鍛冶仕事で、すっかり労働した気持ちになっていた。

 対価を得た訳でも給料が発生した訳でもないから、本当に気持ちだけの問題だ。


 ミレイユは談話室にある数々のクッションに身を預け、本を読みながら優雅に時間を過ごす。

 アヴェリンも近くにいて装備の手入れを行っており、他の二人はそれぞれ違う場所にいる。恐らくユミルは錬金術の素材在庫を確認しているのだろうし、ルチアは完成直前の細工品に手を入れている最中だろう。


 それぞれの仕事部屋は地下にあるので、ここまで作業の音は聞こえない。

 ただ静かにページを捲る音、そして時折アヴェリンの起こす金属を擦り上げる音のみが、部屋の中に音を生んでいた。


 時折、アヴェリンが気を使って飲み物を用意してくれたり、時に軽食など差し入れてくれなながら本を読む。あちらの世界で蒐集したものだが、今読んでいるのは歴史に登場する英雄が活躍する物語だった。

 嘘を書いている訳ではなかろうが、多くの誇張が見受けられる小説だった。しかしそれと分かって読んでいれば、これはこれで楽しいものだ。


 長閑に流れる時間は緩やかでも、過ぎる時間は平等だった。

 正確な時間は分からないが、半日に満たない程度の時間はここで過ごしていたようだ。

 腹の空き具合からそう判断していると、不意に地下へ続く扉が開いて何者かが出てくる。姿が見えずとも、軽快な足音と聞き慣れたリズムで誰かが分かる。談話室のすぐ脇が地下への階段になっているので、上がってくれば直ぐに顔が見えた。

 上がって来た人物は、ミレイユが予想した通りルチアだった。


「今日一日かかるかと思っていたが……、もう済んだのか?」

「ええ、納得のいく物が出来ました。確認してもらいたいんですけど……」

「必要ないだろう」


 ミレイユは本から顔を上げ、手を横に振った。


「既に細工品の大まかな確認は済んでいるし、ケチを付けるような物が出来上がるとも思っていない。むしろ素晴らしい物を作ってくれたという確信がある」

「そう言ってくれるのは嬉しいんですけど、こっちの世界の美的基準がよく分からなくて……」

「どちらにしても大丈夫だ。私が保証する」


 複雑そうに笑って、ルチアはとりあえず頷いた。

 そのまま談話室に入ったルチアは、ミレイユの傍に腰を下ろす。多くのクッションに背を預け、座るというより寝転ぶような態勢になった。


「それで……、完成したら売りに行くって話でしたよね?」

「ああ、そうだ。明日か、あるいは明後日か。それぐらいには行くつもりだ」

「……誰が一緒に行くんです?」

「私が行くに決まってる」


 アヴェリンが横から口を挟み、断固とした声音で言った。


「ミレイ様のお側にいるのは、私と決まっているからだ」

「でもですよ、ちょっと待って下さいよ。私の品を売りに行くんですから、私から商品の説明をした方が、きっと値を高くつけられると思うんですよね」

「……一理ある」


 ミレイユが頷いて考え込む仕草を見て、アヴェリンは動揺して身を揺らし、慌てたようにルチアに指差し異論を唱えた。


「あの、ミレイ様? ……だが、それならミレイ様が説明すれば良い事だろう。細かく説明しても、結局は目利き側の問題になるだろうし……!」

「でも、やっぱり正しい解説っていうのは、目利き側に新たな視点を与える事にもなると思うんですよ。そこに価値を見い出せば、より高い値段になる筈です」

「だがな……」


 言い合いが激化しようとした、その時だった。

 階下から上がって談話室に入って来たユミルが、呆れた顔をしながら口を開く。


「もう皆で行けばいいじゃない。詰まらない言い合いしてるぐらいなら、そっちの方が早いでしょ」

「しかしな……!」

「あの時は服がないとか目立つとか、何か理由があったけど、今なら大丈夫でしょう?」


 ユミルの言い分に、アヴェリンの動きが止まった。

 一考の価値ありと見て、隣に座って傍観していたミレイユを伺い見る。

 視線を向けられたミレイユは、そちらにちらりと目を合わせ、それからユミルに頷いて見せた。


「まぁ、そうだな。しかし集団で街中に出るのが、不安過ぎるという気持ちがあるんだが。お前たち、黙って後を着いて来れないだろうし」

「そりゃあ、アレやコレや見れば、アレやコレや物を言うでしょうよ」

「言うだけで済むか? 勝手にフラフラと見に行ったりするんじゃないのか?」

「そんなに不安なら手を繋いでてよ、ママ」


 ユミルがニヤニヤとした笑みでそう言えば、ミレイユは大いに顔を顰めて、頭をクッションに預ける。


「それ、まだ言うのか?」

「案外、気に入ったわね」

「お前の方が年上の癖に……」

「でもアンタ、自分の年齢、正確に言えないんでしょ? じゃあ、アタシが年上なのか分からないじゃない」

「下手な理屈を……」


 ミレイユが正確に年齢を言えないのは事実だ。

 それは日本人として生きた年齢と、ゲームのアバターとして生きた年齢を足していいのか分からなかったからだ。しかもアバターは既に成人した女性であるにも関わらず、恐らくは生まれた直後の筈で、それまでの人生というものがない。

 それを加味して年齢を告げるのは無理がある。


 だから、以前年齢を聞かれた時は分からない、と答えたのだが、だとしてもユミルより年上というのは設定上有り得ない。

 だが、それを口に出して言うのも面倒だった。そもそもの説明をするにも、どう説明していいのか分からないし、余計な混乱を招くだけで理解も得られまい。


 大体、ユミルの年齢は外見上から判断できないとはいえ、長命種よりも長く生きているのは知っている。お互いそれを知っての冗談なので、ミレイユが顔を顰めるのも当然だった。


「年上かどうか別にして、疑っているところはあるのよねぇ」

「何だ、それは?」

「いや、アンタ色々出来るじゃない? でも、出来すぎよ。多才どころの話じゃない、って言ったけど、これ本当にそのとおりなのよね」


 これにはアヴェリンも頷ける部分があったらしい。同意して続ける。


「ひと一人が体得出来る技術には限りがある。剣の才能、魔術の才能、二つに高い適性を持つ者を見た事はあるが、三つ持つ者は見た事がない」

「そうよね? そして三つじゃ足りないわけよ。片手ですら足りない。これって結構、異常よ?」

「単に才能の一言で片付けられない事もしますよね? 私に大規模魔術を使えるようにしてくれたのも、そうです」


 今まで胸の内に仕舞っていた疑問が、ユミルの一言から表に出てきてしまったようだった。

 ミレイユからすれば、それはゲームのアバターとして、キャラ成長に制限がないからだとしか言えない。魔術を使えるように出来るのも、ゲームのシステムとして自分の覚えている魔術を覚えさせたり忘れさせたり出来るというだけで、ミレイユ自身の能力という訳ではない。


 ゲームの中だから出来ていただけの事であって、何一つミレイユの才能から来るものではなかった。しかし、共にあの世界で生きてきた人間として見た場合、あまりに異質に見えるのは確かだった。


「まるで神に造られた肉体みたい……」


 思わず漏れたユミルの独白だったが、それは妙に的を射ていた。

 何がどうなってゲームの世界で、自分が作ったアバターで生きた人間として存在する事になったのか、それは分からない。

 だが、この珍妙な出来事が神の意志だというなら、まさしく神に造られた肉体を与えられたと言って過言ではなかった。


 ミレイユは嘆息し、髪を掻き上げる。


「私にも、私の事がよく分からん。多才の一言で片付けるには不穏だと感じるのは、自然な事だろうな。だが、その辺は理解する事を、とうに放棄しているし……」

「まぁ、考えて分かる事ではないわよねぇ。それに今更過ぎるし」

「既にあちらの世界を離れてますし、親を探すも出来ないですしね」

「何者であるかが重要なのではありません。貴女がミレイ様であることが重要なのです。私にはそれで十分です」


 アヴェリンの結論が全てだった。他の二人も喉に骨が刺さったような違和感を覚えつつも、結局はミレイユの傍にいられれば良いと思っている。

 そしてミレイユもまた、この四人で過ごせて生きて行ければいいと思っているので、この平和な日本でそれが実現出来れれば、それで良かった。


 しかし、その平和に陰りがある。

 それが最近、目下感じている事だった。

 あの日、公園に現れた、あちらの世界でよく見慣れた魔物たち――。


 そこに思考を巡らせていたせいだろうか。微かな違和感が周囲へ頭を巡らせる。

 確かな事とは言えないが、揺らぎのような物を感じる。まるで窓を閉めているのに、部屋の中に風が吹いたかのような感覚だった。

 あるいは、地上にいるのに波に揺られるような、ここで起こる筈のない現象を身に受けたような感覚。


 ミレイユはルチアに目配せする。

 彼女にも同様の感覚が身に起きたようだった。真剣な目をしてミレイユを見返していた。


「……感じたか?」

「はい、でもハッキリとは分かりませんね。単なる勘違いの可能性も……」

「何の話ですか?」


 会話の間に入って来たのはアヴェリンだった。

 二人だけは分かっているという雰囲気の会話に、我慢できなかったようだ。アヴェリンは近接戦闘タイプだから、魔力に関して感知が弱いのは当然。ユミルを見ても、やはりピンと来ていないようだった。


「あの日、公園に魔物が出てきた時と似たような感覚があった」

「……あまりに微細な反応だったので、被害妄想に近いシロモノでしたけど」

「それを二人して感知したっていうなら、疑って見るには十分じゃない?」

「そうだな。箱庭から出てみれば何か分かるかもしれない。見るだけ見てみよう」


 ルチア、と声を掛ければ、既に立ち上がって歩き始めようとしていた。

 ミレイユも立ち上がって、その背に続く。

 アヴェリンも当然ミレイユに着いて来ていて、とりあえず箱庭の外に出てみる。


 箱庭の外は既に日が暮れようとしていた。窓の外に見える空は茜色に染まり、遠くにかかる雲には藍色が降りている。

 そして、ハッキリと理解した。

 あの日と同じ現象が起きている。


「……どうやら、箱庭の中にいると感じ方が違うようだな」

「違うというより、希薄に感じてしまうようです。私は出る直前にはもう感じ取れていたので、箱その物の蓋を開けておけば、内部にいても問題なかったかもしれません」

「いずれにしても、準備が必要だな」

「急行しますか?」


 アヴェリンが聞いてきて、ミレイユは頷きを返す。


「前回と同じ、御し易い相手とは限らない。装備は万全にしておけ」

「了解です」


 即座に踵を返し、アヴェリンが箱庭へ戻っていく。勝手に閉じてしまう小箱の蓋を見て、支え棒など用意した方がいいな、と思う。

 ルチアが後に続いて入っていくのを見ながら、ミレイユは明日にでも用意させようと考えていた。

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