衝撃的な一言 その8

「――ユミル!」


 鋭く叫んで、ミレイユは咄嗟にスルーズを念動力で掴み上げた。空いた片手で別の魔術を制御しながらも、樹上の女から視線を切らさない。光が消えた片腕一本を、カリューシーに向けたままでいる女を睨む。


 ミレイユの動きに連動してルチアが結界に穴を開けると、その中へとスルーズを引っ張り込むと同時に、ユミルがその腕を振るった。


 ミレイユが掛け声を向けた時に握った細剣は、難なくスルーズの首を落とす。鮮血が飛び散るより先に、ルチアが結界を操作してスルーズだけ別に覆うと、閉じた空間の中で鮮血を撒き散らしながら、結界外へと放り出されてしまった。


 それを一瞥すらせず細剣を仕舞い、手の中で制御を始めるユミルへ、それとなく声をかける。


「良かったのか」

「苦しませた上で殺してやりたかったけど、そんなコト言ってる暇ないでしょ。何より優先しなきゃならないのは、アタシの感情よりアイツが連れ去られるのを防ぐコトだし」

「……そうだな」


 スルーズは神々からすれば都合の良い手駒だ。その手口を知られたとはいえ、倫理観を無視すれば、都合の良い使い方はそれこそ幾らでもある。

 どうやら相手の目的はカリューシーの殺害である様だが、同時にスルーズの回収も、その一つとしていた可能性がる。女に注力するあまり、取り逃がす事になれば目も当てられない。


 だから、女の警戒をしながらもう片方の手でスルーズを確保したのだが、ユミルとしてはこの場で処断する事に決めたようだ。

 前提として、スルーズを殺すのは決定事項だった。


 それは覆らない事実で、己の欲を優先した裏切り者の末路としては妥当なものだが、相応しい報いとしては手温い。

 だが結局、相応しい末路を用意してやるにはこの場で護ってやらねばならず、そしてその結果奪われる事になる位なら、この場で確実に始末する方を選んだ。


 理屈では理解できていても、感情までは納得させられない。

 ユミルから放たれる殺意は、本来スルーズに向けられるものさえ含まれて、実に熾烈なものとなっていた。


 女の姿は中肉中背、黒髪を首元に掛からない程度に短く切っていて、白い服を来ていた。襦袢の様に膨れたズボンと、飾り気のない上着は平民の様にも見えてしまう。表情の乏しさから言っても、街中に入れば埋没してしまいそうな、没個性的な顔をしていた。


 だが、白い服というのは、そう簡単に身に着けられるものではない。

 平民ならば着色した服を着られない者は多いが、素材からいって麻色になってしまうものだ。完全な白、というのも、それはそれで用意し難い。


 何よりすぐ汚れる上に目立ってしまうから、平民が着るにはそもそも向かない色だ。

 その様な服を来ている女だから、それがつまり身分の高さを物語っているようなものだった。


 その女が自身の手を、不思議そうな顔で見つめている。

 再びカリューシーへ視線を向け、それから幾度か頷いた。


「……なるほど、弱体化する魔術を事前に……。いつ戦いになっても有利に進められるよう、あるいは毒でも仕込んでいたのか……。いや、弱体化……魔力制御に作用する……うん、そういう事ですね」


 一人で納得し、それからミレイユの方を楽しげに見つめた。


「――中々に抜け目ない。長々と話しているのを不思議に思っていましたが、より効果的な場面で一撃を加える時機を狙っていたのですね。……貴女が認められる理由、それをまた分かった気がします」

「……殺しますか?」


 アヴェリンが鋭く言って、ミレイユはユミルに視線を向けた。

 伏兵はいるのか、という確認だったが、これには難しい顔をして顔を左右に振る。見つけていない、という意思表示だが、今こうして目の前に白い服の女がいるのだ。


 その発見を出来ていなかった、というのなら、いま見つけられていない事は何の慰めにもならない。そして今、目の前で神殺しをやってのけた女を、過小評価できる筈もなかった。


 確かに弱体化の魔術は仕掛けていた。

 遅効性であり、そして時間を追う毎に効果が増す上、あの女が攻撃していたタイミングなら、ほとんど魔力制御が出来ない筈だった。


 その直前の行動を見れば、攻撃を受け入れていたようだから一撃で沈んだ、というのは分かる。だが、意図せず攻撃を防いでしまう、魔力の防護膜はあるのだ。これを魔力耐性とも言い換える事が出来て、仮に防御壁を用いていなかったとしても、ある程度は攻撃を防いでくれる。


 腐っても神は神だ、その膜の厚さも並大抵では無かった筈だ。

 そしてその膜は、ミレイユの用いた魔術毒では弱体化できないものでもある。それを貫ける、というだけで、女の実力が予測できた。


 最低でも、ルチアに並ぶ魔術の使い手、と考えて相対しなければならない。

 四人で掛かれば難しい相手でもない、と判断できるのだが、アヴェリンがわざわざ確認を取ってきたのも、女のいる位置が問題だった。


 あの樹木は破裂毒の木で、近寄ろうものなら手痛い反撃を受ける。

 振り落とすにしろ、何かしら攻撃を加えると、連鎖的に他の樹木も反応する危険があった。破裂毒の実が落ち、それが破裂したなら、範囲はそれなりに大きくなる。


 その実なり種が他の毒植物に当たる事で、どの様な反応を見せるか、今更ながら考えが及んだ。

 スルーズがこの場へ追い込んだ、と言ったのも、あながち全くの勝算なしで取った行動でもなかったのだろう。長年ここに住んでいたのだから、上手く利用する方法も知っていたかもしれない。


 そして今、ミレイユは攻撃を向けるのに躊躇いを覚えてしまっている。

 ルチアの結界内にいれば、種の攻撃や他の攻撃も無力化できそうだが、女の余裕が気に掛かった。結界は狭く、一時の攻撃を防ぐには便利だが、戦闘しようとすると余りに手狭だ。


 戦わない、という選択肢はそもそも無かった。

 現れたタイミング、そして見ていたという発言からも、この件に関わっていたと見るのが妥当だ。生け捕りにするのが理想で、聞き出したい事は山程ある。


 しかし、見ていたのにも関わらず姿を見せたのなら、勝算ありと仮定していなければおかしい。この四人に対して勝算ありと見る女――。

 迂闊に手を出して良いものか。

 植物という環境と、女の自信、それがミレイユに足踏みさせる。

 最後の確認として、ミレイユはユミルに問い掛けた。


「一応、聞いておきたい。あの女は神の使いと見て良いのか?」

「白い服を着てるなら、そうなんだろうと思うけど。どっちの神に仕えてるのか……といえば、まぁ大神だろうとしか思えないから……。それ故の自信なのかしらね?」

「攻撃されないと高を括ってるのか? だとしたら甘く見られたものだ、と言う事になるが」


 話しながらも、ミレイユは頭の中で戦闘を組み立てる。

 攻撃方法から見ても、そう難しい相手ではない。問題は、逃げの一手を選ばれたら追うのは難しい、という事だった。


 だが、これは千載一遇のチャンスだ。

 大神に繋がる人物を、この手で捕らえる事が出来たなら、そこから食い込んでいける可能性が生まれる。それを無為にしたくない、という欲が首をもたげて、ミレイユに慎重策を選ばせていた。


 そんなミレイユの心情を見透かしてか、白い女はクスリと笑う。


「そんな恐ろしい顔をしないで下さい。こちらとしても、この様に動かなければならなかったのです。行動で示さねば、信用は得られないものでして。……あぁ、あなた方からの信頼ではありません。そこは誤解なき様に」

「挑発されていると考えてもよろしいのでしょうか、ミレイ様」

「判断に困るが、……違うだろうな」


 不快そうな仕草を隠す事もせず、眉間に皺を寄せたアヴェリンと同様、ミレイユもまた難しく眉根を寄せる。

 カリューシーを殺す事だけが目的なら、それを成功させた今、即座に逃げ出せば良いだけだ。神使は神の命を受けて動くのだろうから、他に目的がないのなら、ここで無駄話をする理由がない。


 ならば用があって留まっている、という事になり、そしてそれは対話を望んでいる、と見る事が出来た。ただその場合、やはりミレイユと対話を望む、という動機が分からない。


 大神は全ての原因であり、根源だ。

 常に盤上を見下ろす立場にあって、対話の席には降りてこないだろう、という一種の諦観があった。臨んでくれるなら望外の機会とも言えるが、罠の可能性を考えた方が妥当に思える。


 これまで散々、多くの罠を張っていた相手だから、今更都合の良い嘘に騙されるほど単純になれない。どう対処したものか、と考えている間に、女の方から口を開いてきた。


「警戒を解いて、と言っても聞いてくれない事は理解しています。ですから、まずは私の身分を明かしましょう。私の名はナトリア、ルヴァイル様にお仕えする神使です。どうぞ、お見知りおきを」

「そういう事は、高所から降りてから言うものだと思うがな。しかし、ルヴァイル……? 私とは関わり合いが無かったな……」

「歳魂と時量のルヴァイルね……。絶対に姿を見せない大神の、筆頭だと思ってたわ。名前だけなら有名だけど、敬虔な信徒の前にすら現れた事がないらしいわ」

「それが神使とはいえ、我々の前にか……? 今日はもうこれ以上、客はお呼びじゃないんだがな」


 ミレイユが溜め息を吐きつつ、油断なく構え直したところで、ナトリアは小さく笑む。

 その時、身体を貫かれて倒れたカリューシーの身体から、眩いばかりの光が溢れた。そちらへ視線を向けて、ナトリアから視線を切る、などという愚は犯さない。


 ナトリアから何の動きも見えない中で、カリューシーの身体は光球へと変化すると、光の尾を引いて空の彼方へ飛び去っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る