学園の転入生 その6

 それから着替えを済ませてトイレを出て、替えの制服を教室に持ち帰ろうとしていると、見覚えのある後ろ姿が見えた。

 彼もアキラ同様、トイレで着替えをしていたらしく、手には着替えの済んだ制服を持っている。


「やぁ、漣。早速、洗礼を受けたよ……」

「おう。……洗礼ってなんだ?」


 朝、食堂で一緒の席についていたので、挨拶も簡素なものだ。漣もアキラの手荷物を見て事情を察したようだが、言っている意味までは分からなかったようだった。

 アキラは、苦笑というにはあまりに苦い笑みを見せつつ言った。


「挨拶が済んだところで席に殺到さ。まるで珍獣扱いだった。無視よりマシだと思うけど、これから評価が反転するかもと思うと気が重いよ」

「珍獣? まあ、可愛がられたって言うぐらいなら良いじゃねぇか。俺なんて……いや、やめとこう」


 何か思い出したくないトラウマでもあるらしい。

 急に表情を暗いものに変えて肩を落とした。きっと触れない方がいいんだろうな、と思いながら廊下を歩く。


「お前、第二運動場とか分からねぇだろ? 一緒に行くか?」

「ああ、うん。お願い。そういえば、世話役に阿由葉さんっていう人が付いてくれたよ。慣れるまで少しの間、色々教えてくれるって」

「あぁ……そうなのか」

「同じクラスに御由緒家がいるとは思わなかった。そういうのって、もっとバラけさせるものだと思ってたし……」


 クラス対抗戦などと言うものがあるかは知らないが、一つのクラスに戦力を集中するのは間違っている気がした。単純に戦力だけの話ではなく、権力的な――アキラにそんなものはないが――バランスを保つ為にも各クラスに振り分けた方が良い気がするのだ。

 アキラがそのような事を口にすると、漣は肩を竦めて笑った。


「最初からバラけさせてたって。二年の各クラスに一人いたら、そりゃどこかは二人になる所だって出るだろ」

「あれ、そうなの? 漣とは同学年だと思ってたけど、そうしたら他には誰が?」

「凱人に決まってんだろ。一つ下には、お前の従姉妹の紫都がいるけどな」

「凱人? 本当に? てっきり年上かと……」


 アキラが思わずボヤくと、漣は声を落として囁くように言った。


「それ凱人の前で言うなよ。老け顔だって見られるの嫌ってるから」

「いや、別にそう思ってなんかない! 身体大きいし、頼りがいありそうに見えたから年上かと思っただけで……!」


 必死に弁明するほど嘘の上塗りのように聞こえる、と我ながら思った。アキラはそれ以上言うのをやめて、口を閉じたまま廊下を歩く。

 やがて教室が見えてくると、掛かっていたカーテンが外れている。女子の着替えは終わっているらしいが、着替えが置かれている中、堂々と入る勇気はない。


 どうしたものかと思っていると、七生が教室から顔を出した。


「あら、漣。一緒だったの」

「おう、丁度帰り道でな。アキラ、荷物は教室入口付近に置いとけ。手を伸ばして届く範囲に。授業が終われば女子連中が使うし、遅れようもんなら中にも入れねぇんだから」

「ああ、うん。了解」


 言われるままにアキラは手提げ袋に制服を移して、ドアから手の届く範囲、移動の邪魔にならない場所を選んで置く。

 そうして後ろを振り返ると、七生が困ったようにアキラへ微笑みかけた。


「案内しようと思って待ってたけど、その分じゃ漣と一緒に行くみたいね。それじゃ、私は行くから……漣、ちゃんと遅れず連れて来なさいよ」

「他の授業はともかく、御子神様が来るってんのに遅れるかよ」


 吐き捨てる、というほど強い言い方ではないにしろ、面白くなさそうに鼻を鳴らして漣が言った。七生はそれに大した頓着も見せずにアキラへ目配せすると、軽く手を振ってその場を離れる。


「それじゃ、また」

「うん、わざわざありがとう」


 二人のやり取りは、アキラと対話する時と比べてどうにもギクシャクしているように見えた、しかし二人の事情も知らない者が、おいそれと口出しする事でもない。

 御由緒の家同士に関係する事かもしれず、だからアキラは何も言わず七生の背を見送った。


 漣の方を横目で伺うと、何とも言えない表情で去り行く七生を見つめている。無言で歩きだして、アキラもその横へ並ぶように付いていく。


 目的の第二運動場は屋外競技場のような場所で、観客席がないという部分を除けばよく似ていた。ただし今は訓練に使うと思しき木刀や木槍などが、まるで飾るようにして用意されている。傘立てのような物に入っているが、使い込まれて年季を感じさせる物も幾つかある。単に古臭いというのではなく、執念のようなものが宿っていそうな雰囲気があった。


 それを横目で伺いながら到着した頃には、他のクラスも既に大部分が揃っていた。

 運動場の中央付近に集まっていて、クラス別に纏まって立っているようだ。アキラたちが最後という訳ではなかったが、危ないところではあった。


 背後を振り返ると、慌てたように走ってくる女生徒が数人見える。

 既に整列も始まっていて、鷲森が指示を出して先頭に立つ生徒へ指差しながら何かを言っていた。


「それじゃ、俺もここでな」

「うん、ありがとう」


 漣が別れて自分のクラスの元へ走っていくのを見て、アキラもそれに倣って列の後ろに付く。

 場は緊張感に包まれるという程、緊迫した空気ではなかったものの、私語も殆どなく、列も整然と作られていく。並ぶ順番は出席番号を元にしているらしく、アキラは最後尾につけられた。


 そうして全員の整列が終わると、その場で待ての姿勢で待機するよう言い渡される。

 アキラはそうした訓練は受けていないから、周りの人の動きを真似てそれらしく振る舞った。鷲森からの視線を受けたが何も言ってこない事から、特別指摘して直すところはないらしい。


 前に立つ女生徒を見ても、微動だにせず待ての姿勢を維持している。

 ここは軍隊ではないだろうに、他の人達を密かに盗み見ても、やはり姿勢を乱していない。まるで人形が立っているかのように錯覚してしまうが、運動場へ近付いてくる独特な気配を感じた事で、その姿勢も僅かな乱れが出た。


 鷲森にも緊張した様子が見える。

 生徒から離れた対面に移動し、生徒同様待ての姿勢で待機した。その視線は真っ直ぐ前を見ていたが、その目には緊張の色が濃く出ている。


 アキラも敢えて顔を向けるような愚は犯さない。

 漏れ出るように感じるマナの気配――神威が足元から撫でるように近づいてくる。一種のパフォーマンスのように神威を扱う事は夕食会で知っているので、まさか来たのがオミカゲ様ではないかと思ったが、その視界に映ったミレイユを見て杞憂だと悟る。


 上品な衣装に身を包んだ、年嵩の女性が率いていた。まるで今日のために拵えた一張羅のように見えたが、きっと間違いではないだろう。

 ミレイユ達を引率する事が許されるような人なら、きっとこの女性が学園長なのだろう。誰が率いても格式に合わない事になりそうだが、学園の最高責任者以外に適任もいない。


 ミレイユの後ろにはアヴェリンとユミルもいたが、ルチアの姿は見当たらなかった。

 ここ最近、このメンバーの姿を見ても、ルチアだけいない事は多い。何か理由はあるのだろうが、アキラが知る必要ないと判断される限り、何も教えてくれないだろう。


 それを不満とは思わない。

 彼女たちは特別な存在で、ミレイユにとっても重要な存在だ。おいそれと話せる内容ばかりではないと、アキラは十分に心得ている。


 ミレイユ達が近付いてくるのを、視界の中央に収めないようにして見ながら、ふと疑問に思う。神が近くを通るとなれば平伏するか、せめて最敬礼している必要がある。頭を下げて地面に視線を落とし、直接目にするような事がないようにする。


 許しがなければ頭を上げる事は許されない筈だが、待ての姿勢のまま、一向に礼をするよう指示が出てこない。

 礼をするにもタイミングがあるのかもしれないが、運動場に足を踏み入れた時点であっても良さそうなものだ。

 ミレイユ達が、とうとう生徒の前までやって来て、それでようやく鷲森から礼をする掛け声が飛んで来た。


「気を付け! ――礼!」


 それこそ軍隊式のように踵を打ち付け、一斉に訓練された動きで礼をした。アキラも咄嗟の中で真似たが、一拍遅れて動いてしまうのは避けられない。整然とした動きで一人だけ遅れたとなると、さぞ目立った事だろう。


 僅かな物音も出ず、礼の姿勢のまま、五秒が過ぎた。


「直れ!」


 掛け声と共に姿勢を直す。周りの動きに合わせて動くよう、必死だった。遅すぎても早すぎてもいけない。単に頭を上げる事が、ここまで体力と気力を失う事など今までなかった。


「休め!」


 再びの掛け声で、最初の動きに戻る。

 ミレイユの方を盗み見ると、そこには何の感情も浮かんでいなかった。面倒臭いものを見せられた、という感想ぐらいしか抱いていないのかもしれない。


 アヴェリンやユミルは、意外にも感心したような表情を見せている。

 ただそれは兵としての練度という意味ではなく、御大層な見世物に対してのもの、という気がする。

 そんな感想を胸中で呟いていると、学園長が一歩前に出て声を張り上げた。


「皆さん、ごきげんよう。先に通達があったように、オミカゲ様の御子たる一柱、神鈴由良豊布都姫神みれいゆらとよふつひめ様を当学園へ御来臨いただく栄誉を頂きました。それだけでもとんでもない事ですが、教導して頂く旨を御約束して頂いています。これほど名誉な事はありません。――これより、御子神様よりお言葉を賜わります。……よく拝聴するように!」


 学園長が生徒たちを睥睨して睨みを利かせ、そして鷲森のいる辺りまで下がると、大仰に礼をする。ミレイユはそれを無感動に見送り、それから正面――生徒達へと向き直った。


 それだけで一陣の風が吹き抜けるように神威が飛ぶ。

 ごく少量だったのでアキラは何ともなかったが、中には身を震わせた者、荒い呼吸をする者、顔色を悪くさせる者と、様々な反応を見せる。


 それをつまらなそうに見つめてから、ミレイユはようやく口を開いた。

 大きな声ではない、張り上げた声でもなかった。しかしそれは、まるで身体に染み込むように声が響いて聞こえてきた。

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