別世界からの住人 その3
「魔王……? ミレイユ?」
「だめだめだめ! あんまり大声で言わない方がいいよ。敢えて口出ししない奴もいるけどさ、嫌がる奴は嫌がる。あんたの格好、そして取り巻きの格好が、それにすんごい似てるんだって……!」
女の説明は実に必死で、冗談を言っているようには見えない。
完全に善意の忠告で、自分から気付けるよう、それとない注意を最初に促してさえいた。周りの
本人も田舎からやって来たと言っていたし、外見に似合わず純朴なのかもしれない。
彼女の言っている事は分かったが、しかし理解するに連れて頭が痛くなる。
二百年前に起きた戦争、その立役者。人間からすれば、ミレイユは悪夢みたいな存在に思えたとしても不思議はない。
何故そのような悪名が付いたのか、それに思い至るのと同時、隣にいたユミルが爆笑した。
「だーっはっはっはっは! アンタ……それ魔王って! あーはっはっ、最高のジョークだわ!」
「馬鹿者! 不敬だぞ、何を馬鹿笑いしてる!」
アヴェリンは怒り心頭でユミルを罵倒したが、ルチアもまた顔を背けて背中をぷるぷると震わせている。
ユミルと違って声を上げて笑わないだけ思いやりがあるが、しかし首筋まで赤くなっていては、言葉よりなお雄弁に語っているようなものだろう。
「いやぁ、そりゃ蛇蝎の如く嫌われるでしょうねぇ……! いっそ歴史から消せば良かったのにねぇ、アンタみたいに馬鹿な格好する奴いなくなるし……っ! あーはっはっは!」
ミレイユの格好を指差して笑うユミルに、ミレイユは半眼になって指摘する。
「言っておくがな、お前もその魔王一味に数えられてるからな。取り巻きその一……いや、その三として」
「いやよ、何で三なのよ。アタシは二号さんってコトにしときなさいな」
「お前こそ何で変な言い方で訂正したんだ。やめろ、如何わしい意味になるだろ……!」
緊張感のない馬鹿笑いするユミルと、それをやはり緊張感の見えないミレイユが諫める構図は、せっかく忠告してくれた彼女の誠意を台無しにした。
ミレイユ達の格好に気付いた、他の冒険者風の男が近づいて来ては、入れ墨付きの顔を剣呑な目付きで威嚇してくる。
「なんだお前ら、馬鹿みてぇな格好しやがって。どこのおのぼりだ」
「あーっはっはっは! ついでにお約束みたいな馬鹿まで付いて来たわよ、どうすんのアンタ!」
「ぷふっ! 魔王さまがどうにかしてくれるんじゃないですか……? 何かこう、魔王的なやつで」
ユミルの笑いに誘われて、ルチアまで堪えきれずに吹き出す。その笑いに引き摺られるように、おかしな発言まで飛び出す始末だった。
新たにやって来た男の顔が、一瞬で赤く染まる。今にも武器に手を掛けそうな勢いでもあり、それを見たアヴェリンの目が細くなった。
「おのぼりの魔王気取りで何を抜かす! 俺を誰だか知ってるのか!」
「知るもんですか。そしてアンタらは三下気取りってワケ? あーっはっは! 似合いすぎ! 馬鹿じゃないの、とうとう泣けてきたわ!」
笑いすぎて実際に涙を流し始め、それを見せびらかすように目尻を拭った指先を突き付けた。
男は犬歯を剥き出しに獣のような表情で剣を抜き、忠告をしてくれた女冒険者は、巻き込まれるのを嫌がって逃げていく。逃げた事は正解で、むしろ巻き込まくて済んだと気が楽になった。
ミレイユもまた、男の言動に大した感慨を抱かない。むしろ腕を組んだまま視線すら向けず、鼻で笑う始末だった。
それが逆鱗に触れたらしい。
「ふざけやがって、バカ野郎が!」
ついに武器を抜き払って威嚇してきたが、それでもミレイユは、歯牙にも掛けない態度を崩さない。そして男は、そんな態度を見せる事そのものに、我慢できなくなったようだ。
男は腕を大きく広げ、刃を水平に立てる。
狙いはミレイユだ。明らかに大きく馬鹿にしていたユミルではなく、その標的をミレイユにしたのは、距離の問題もあるのだろう。癪に障った奴として近い順から斬り伏せるつもりでいるのかもしれない。
男は奇声を上げて武器を水平に薙ぎ、斬り付けてきたのだが、それを横合いから腕を伸ばしたアヴェリンによって、指先三本で掴み取られてしまった。
「な、な、なん……!?」
押しても引いてもびくともしない刃に、男の顔が驚愕に染まる。赤い顔を更に赤くしても動かせず、アヴェリンは軽蔑するような目で見下した。
「何だ、この太刀筋は……馬鹿にしているのか? その程度の武力しか持たず、彼我の実力差も分かぬまま武器を抜いたのか?」
「な、なんだ……。あんたら、一体……」
ここに来て勝てそうに無いと分かっても、武器を手放して逃げるつもりは無いらしい。かちゃかちゃと刀身がカタ付く音が鳴る中で、ミレイユは男に目すら向けずユミルへ声を放つ。
「お前の責任だ。お前が処理しろ」
「いや、でもアタシ、刀身を指で挟まれている状態の敵を倒すような技術もってないし」
「どういう言い訳だ。いいから、お前の得意な事で手早く済ませろ」
「……得意な? 誰とでも、すぐ酒飲み友達になれるっていうアレで?」
ミレイユが呆れた息を出す横で、ルチアがまたも吹き出していた。
そこにアヴェリンが刃を手放さぬまま、吐き捨てるように言い放つ。
「あぁ、人を苛つかせるのも得意なようだな」
「あと神に喧嘩売るのも、ですよね」
「それは好きなのであって、得意とは違うだろう」
ルチアが軽口の応酬に加わると、もはや緊迫した緊張感は霧散して消えていた。
未だに武器を取り返そうと奮闘している男が、まるでコントの様に見える始末だった。武器から手を話して刃からアヴェリンの指を剥がそうとしたり、腕の関節を痛めつけようとするのだが、全て何の効果もない。
あげくそれを無視して仲間内で遊び始めてしまうのだから、男からすると立場がまるでなかった。流石に哀れに思えてきたので、アヴェリンに武器を返すよう命じる。
すると即座に指を動かし、機敏な動きで剣の柄側を男へ向けた。
はやく持っていけ、と態度で示す形になっているのだが、男は中々受け取ろうとしない。
それでアヴェリンが面倒になり、刃を投げ捨て地面に突き刺した。
ビィィンと刃が細かく揺れ、それがどれほど強い力で、また手首の動きだけで動かせたのかを示している。
男は柄を奪うかのような動きで掴み取り、そして逃げるように去って行った。一度、一瞥するかのように振り返って来たが、その顔には明らかな恐怖が浮かんでいる。
元より街の方から出てきたようだし、何かの依頼でも片付ける途中であったのかもしれないが、あんな調子で大丈夫なのか……。
ミレイユがいらぬ心配をしている間にも、列は動いていたようだ。
前方がすっかり空いていて、関所の入り口には数人しか立っていない。
「思わぬ見世物で良い暇つぶしが出来たな」
「いえ、ミレイユ様。前方にも誰もいないのは、巻き込まれるのを恐れて、皆逃げたからです……」
現実を直視できていなかったミレイユに、アキラがやんわりと訂正した。
だが何はともあれ、待ち時間は大幅に削減されたのだ。この程度の騒ぎで憲兵が動く筈もないので、悠々とミレイユたちは順番待ちを回避して進む事ができる。
「まぁ、良いだろう。待たなくて済むのなら……」
「はい、勿論……ミレイユ様が良いなら、それで良いのですが……」
騒ぎを起こした事は素直に申し訳ないと思うが、しかし風体が奇抜というだけで因縁を付けてくる方にも問題がある。
ユミルの態度は褒められたものではないが、しかし武器を抜いて来た相手に、ただで済ませただけ穏便でもあるのだ。アキラには暴力が土台にある常識、という説明をしたものだが、しかし簡単に武器を抜いて良いという訳でもない。
抜いたからには遊びで済まない、というのもまた常識なのだ。
穏当に済ませてやった事は、むしろ感謝されるべき事だった。
いい加減、笑い疲れ始めたルチアとユミルを引っ立てて、前方に三人しか並んでいない列の後ろに付く。ガラスのない枠だけある窓口から見える役人からは、胡散臭いものを見るような視線が向けられてきた。
あの騒ぎが角度的に見えていたとは思えないが、しかし騒ぎの中心が誰かくらいは分かってしまうのだろう。審査がマイナスになるような事はないと思うのだが、しかし今だけは行儀良くしていた方が良さそうだった。
そうして順番が来て、来訪理由などを告げていると、その途中でルチアを見た男が豹変した。それまで役人らしい気怠い調子で問答を続けていたのに、即座に審査を取り止めてしまう。
「駄目だ、許可できない」
「……理由は?」
「如何なる理由があろうとも、魔族に許可証など発行できるか!」
「エルフが駄目だって? それだけの理由で? どんなエルフでも?」
信じ難い、という気持ちで役人を見返す。
リネィアの一件を考えても、この都市で良い待遇など期待できなかったが、文字通り門前払いを食らう程とは思っていなかった。
エルフに対して過激な考えを持つ者はいるだろう、という予想は出来ていたが、拒絶されるとまでは考えていない。足税に余計な金額が掛かるくらいは覚悟していて、そして、それぐらいなら許容しようとも考えていた。
かつてミレイユがこの世で旅をしていた時も、オズロワーナはエルフに対して差別的だった。いっそ露骨な程だったが、それでも門前払いを受ける訳でも、都市の中で生活できない程ではなかったのだ。
金でも握らせて許可証をもぎ取ろうか、と思ったところで、横合いからユミルが顔を突き出す。
「エルフ? エルフなんていないでしょ、ほら良く見てご覧なさいな」
「あぁ……?」
突然乱入してきたユミルに、役人は胡散臭そうな目を向けたが、すぐにその焦点が合わなくなる。緩慢に手を動かして、すぐに人数分の許可証が発行される。
アヴェリンが苦い顔をさせて悪態をついた。
「さっきだって、それを最初からやっていれば良いものを……」
「いや、あれはやんないのが正解でしょ。そっちの方が面白いし」
またもルチアが吹き出して、その頭をアヴェリンがごく軽く叩く。
それぞれに許可証を配り、黙って最後尾にいたアキラにも渡して門を潜った。長く掛かったが、ようやくオズロワーナだ。実際には到着していたものの、門の外で締め出されていたのでは入国したとは言えない。
土と草が目立つばかりの土地と違い、文明が見て取れる一大都市。
ここであれば、土と草の匂いに包まれて、常に外敵を意識しながら眠る必要もない。都市は都市で、また別の悪臭が付き物だが、今だけはそれも我慢しよう。
今日は暖かな寝床が確保できる。それだけで今日一日がマシになりそうに思えた。
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