御子神の一日 その5

 ミレイユは車へ乗り換えるため、アヴェリンから手を借りて神輿を降りた。

 それほどか弱くもなく、介添えが必要だとも思えないが、ポーズとしてやらねばならない時もある。特にアヴェリンなどは、ミレイユが民に恭しくかしずかれる姿を見るのを好む。


 昨今のミレイユへ接する人々の姿は、アヴェリンの自尊心を大いに満足させるだけではなく、あるべき姿が漸く認められたと思っているようだ。

 神輿から降りる時に手を差し伸べたのも、その一環だろう。誰もが膝を付いて傅く中、己だけが立って手を差し伸べられる事に優越すら感じているかもしれない。


 ――それにしても、とミレイユは思う。

 神宮からこちら、それほど長い距離でなかったのにも関わらず、周囲の人間が集まって道を作った事には驚いた。あれは足の進みを止めてはならないという配慮であると同時に、車の通行を規制するような役割もあったのだろう。


 神輿はそれなりに大きいから歩道は歩けない。

 無理して通る事は出来るかもしれないが、護衛などが取り囲むので横幅が足りなくなる。それを考慮して車道を歩くのだが、そうすると当然、通行しようとした車両の邪魔にしかならない。


 予め話を通してあったのだろうとは思うが、それにしては係員とも思えない人間が、整理に動いていたのが気に掛かる。

 あるいはこれが、オミカゲ様の作ってきた信頼や尊崇から自発的に生まれた規律というものなのかもしれない。


 益体もない事を考えながら、案内されるままに車へと移動する。

 用意されていたのはリムジンに似た車で、屋根部分に簡略化された神輿のようなものが乗っている。流石に人が乗れるような造りにはなっておらず、オミカゲ様が言っていたように、霊柩車のような冠部分として用意された状態だった。


「これじゃ誰が乗っているか、広告して走るようなものじゃないか。目立ちすぎだろ。本当にこれでなくちゃいけないのか?」

「神様に御乗車いただくのは、これと決まっておりますれば……」


 咲桜がスモークガラスの張られたドアを開きながら言った。

 ミレイユは苦いものを飲み下すような渋面で車を見ながら、オミカゲ様が外出したがらない理由を思う。これに乗るのが嫌で極力出ないようにしているだけではないのか。


「……他に、コレ以外の車両はないのか? 屋根に何も載ってないタイプの奴は」

「御座います……同型の御車もご用意出来ますが、御子神様が乗るべきものとは、とても……」

「いや、この様な車は、あくまでオミカゲ様に敬意を表して用意している訳じゃないか? 同列の様に扱うのでは余りに心苦しい。それより一段劣った扱いとして、普通の車で構わない」

「ですが、オミカゲ様からは同列に扱うよう、仰せつかっております」


 あくまで命令を受けたとおりに遂行しようとするのは、お付きの女官としては当然だ。しかし、そこをどうにか説き伏せないと、また行列を作って拝められるような始末になる。

 あれはオミカゲ様に向けられるべきものであって、ミレイユがそれを受け取るのは間違っている。頭を下げ、傅かれる事は以前からあった。アヴェリンもその一人だが、この場合、オミカゲ様への思いがミレイユに向いてしまうというのが一番の問題だ。


 向けられたところで受け取れないし、向ける相手も勘違いだと知らずに信仰を捧げたい訳ではないだろう。そこにいるのがオミカゲ様だと思うから頭を垂れるのだ。

 ミレイユがそれを横から掠め取るような形になってしまい、だから気分も悪かった。


「確かに同列に扱えと言われたのかもしれないが、しかし本当に同列というのは違和感がないか? 私は御子神であって本人ではないし、本来向けられるべき尊崇はオミカゲ様である筈だ。つまり、それに乗れるのはオミカゲ様ただ一柱だろう」

「それは……」

「道行く人々は、私をオミカゲ様と勘違いしていたろう。それは間違いだと思わないか? 正しい信仰は、正しい相手に向けられるべきものである筈だ」

「それは……左様でございます」


 ミレイユは満足げに何度も頷く。


「では、屋根に何もない車へ案内してくれ。それが正しい行いというものだろう」

「御子神様が、そこまで仰られるのであれば……」

「うん、そこまで言う。何か言われたら、私が強く命じたと説明すれば良い」

「……畏まりました」


 咲桜は一礼するとリムジンのドアを閉めた。

 近くの者に何かを申しつけると、運転席まで回って何かを伝えに行ったようだ。しばらくするとリムジンが発車し、駐車場内のどこかへ姿を消した。更に待っていると、後ろに控えたアヴェリンが声を抑えて言ってきた。


「ご希望のとおりに運んだようで何よりですが……そこまで強く拒否するものでしたか?」

「そこまで強く拒否するものだったな。ハッキリ言うと、悪夢に近い。……だがこれで、明日以降も車移動する際にはマシになるだろう。口舌を駆使した甲斐もあった」


 アヴェリンと話している間に、別の車が帰って来た。

 咲桜が言っていたとおり、屋根の上には何も載っていないリムジンに似た車だ。それがゆったりとしたペースでミレイユの前で停まると、咲桜がドアを開ける。

 今度は文句の一つもなく、広々としたスペースがある車内へ身を滑り込ませた。




 車内には当然アヴェリンも同乗し、加えて咲桜も入って来た。

 横向きで座る椅子は弾力性があって座り心地も良いし、一人や二人増えたところで問題ないだけのスペースがある。だからそこに文句を言うつもりはなかったが、同乗するのは意外に思えた。


 てっきり、同じ車内で同座するのは畏れ多いとでも言って、別の車で後をついてくるのだと思っていた。だが、その疑問はすぐに氷解する。


 ミレイユが車内で食事を取りたいと言ったので、その準備と給仕をする為に残ったのだ。

 車内に備え付けのキャビネットから飲み物などを取り出し、テーブルを引き出してグラスに注ぎ二人の前に置かれる。食事に関しても重箱に入った料理を脇から取り出し、手際よく並べた。


 備え付けとは別に皿を用意してあって、そこに咲桜が盛り付けて差し出してくる。箸も同様に預かって、それで食事が始まった。

 神宮お抱えの料理人が作ったと思しき料理は、期待を裏切らぬ美味しさだった。


 食事が終わる頃には既に街中を離れ、遠くには草原が見えている。

 ここまで走って感じた事だが、やはり乗車しているこれは珍しい車種でも、道行く人々はそれ以上の感想を持たないようだった。車を指差す子供の姿は目にしたが、結局反応らしい反応はそれぐらいだ。


 ミレイユにとってはその程度が好ましく、何なれば空気のように無視してくれるくらいが調度良い。今となっては、それすら高望みと分かっているが、思わずにはいられなかった。


 物思いから帰ってきて、見渡す限りのように思える草原に目を戻す。

 馬を飼うというなら広大な敷地は必要で、近いとはいってもそれなりに走らねばならない。それでも一時間掛かるかどうかで到着し、食後のお茶を飲み終わる頃には目視出来る距離に馬が見えるようになっていた。


 御由緒家の敷地で一般公開されていないという事もあり、付近に人は見受けられない。入口から滑るように車が入っても、すぐさま到着とはならないようだ。

 放牧され草を食む馬を時折見かけながら、車は道を進む。


 そうして五分ほど走ってから、ようやく停車した。

 到着した先で既に何十人という人々が待ち構えており、整然と列を作っていた。執事らしき人物がリムジンのドアを開けると、まず先に咲桜が降りる。

 次にアヴェリンが降りて周囲を見渡し警戒を解いてから、ようやくミレイユの降りる許可がでた。


 先頭に立つ二人と、その背後に立ち並ぶ使用人と牧場を管理している者たちが頭を下げて待ち構えていた。背後の者たち程、腰を深く曲げて最敬礼を取っている。

 それから遅れて、ミレイユの顔を見てから頭を下げたのは、ここの主人である由井園志満と侑茉だった。いつだか見たように第一礼装を着用しての出迎えだった。


「ご無事の到着、まことに祝着でございます」

「拙宅にお越し頂けました事、大変光栄に思います」

「あぁ、久しいな二人共。出迎え大儀」


 どういう挨拶が適切なのか分からないから、それらしい言葉を並べてみる。変な言い回しや不適切な発言なら咲桜が訂正してくれるだろうと期待しての事だったが、どうやら問題ないようだ。

 二人は感激したかのように身を震わせ、その喜びを噛み締めているかに見えた。


 このような態度が、ミレイユにはどうにも理解できない。

 彼女らが敬意を向けるべき相手はオミカゲ様であって、単にその子だと紹介された者に、同様の敬意を見せるのは異常に見える。


 王族や貴族は単に嫡子であるというだけで、相応の敬意を向けられる存在だが、それは将来の権力者――後継者に対する期待に向けられたものであって、単に子だから偉いという訳ではない。


 ミレイユの場合、人ではなく神である、という証明が為された後だから、その敬意は単なる子に向ける敬意とは別だろうが、さりとて後継者という訳でもない。

 オミカゲ様は不老不滅の存在という認識だし、だからミレイユもその御座を継ぐ事はない。


 むしろ宗教的には商売敵とも成り得る存在なので、敬われるのは可笑しい気がした。

 頭からオミカゲ様から敬意を向けろと言われたなら、その臣下たる御由緒家は従う他ないのかもしれないが、その事に疑問を持ったりはしないのだろうか。

 それとも、二代揃って国民に対し恩恵を与えるものだと妄信しているのだろうか。


 ――考えても仕方のない事ではあるが。

 場合によっては、ミレイユ達は現世を去る。そうしない為に動いているし、だからこそ明日から学園に行って、教導めいた事をしに行かねばならないのだが、違和感は拭えなかった。


 むしろ、だからこそか。

 ミレイユが教導に赴くこと。それが御由緒家の目から見ると、既に民の為に動いているように見えるのかもしれない。


 志満と侑茉が顔を上げた事で、控えていた者たちもまた顔を上げる。その表情は様々で、緊張のあまり固く引き締めている者もいれば、驚きとも感動ともつかぬ顔をしている者もいる。

 だが総じて敬意と称賛、感謝と好意が見えていた。


「内の者が気を利かせて、気分転換を用意してくれたらしくてな……。今日はよろしく頼む」

「大変な栄誉に身を震わせております。どうぞ、本日は心ゆくまでお楽しみ下さい」


 ミレイユが声を掛けると、代表して志満が一礼した。

 それへ鷹揚に微笑みかけ手を挙げた。それで頭を上げて奥の方へ片手を向ける。


「すぐに馬場の方へご案内致します。先に何かお口に入れたいという事でしたら、軽食やお飲み物もご用意しておりますが……」

「いいや、大丈夫だ。馬場へ案内してくれ」

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