努力と魔力 その5

「マナを保有する武器を持たなければ戦えないのと同様、お前にマナがないせいで、根本的に戦いに向いていない。才能がなくても剣は振れるが、マナがなければ魔力は扱えない」


 ミレイユの口から出たのは、予想以上に衝撃的な言葉だった。

 マナがない、魔力がない、というのは人間ならば当然の事。それはミレイユ達も理解していた筈だ。それを今更持ち出して、戦うことに向かないというのは道理に合わない気がした。


「でも、ミレイユ様は言ってくれました。戦う事を選んだ意思に敬意を示す、と。だから師匠も付けて戦い方を教えてくれていたのに、なのに今更そんな……」


 一度は認めてくれたのだ。だから戦えと言われたし、放って置いて勝手に死ぬのも目覚めが悪いと師匠をつけてくれたのだ。

 唐突に手のひら返しをされた気分で、アキラの心中は穏やかでいられなかった。


 武器を振るえるなら戦える筈だ。

 才能がなくても努力で到れる極致だってあると聞く。努力すれば誰もが辿り着けるものでもないだろうが、始める前に諦めるのも嫌だった。

 そう、まだひと月も経っていないのだ。諦観するには早すぎる。

 その思いを伝えようとする前に、ミレイユが取り成すように手を振って口を開いた。


「焚き付けたのは、この私だ。お前の意思に敬意を示した。だから二つの意味で戦う武器を与え、それで由とする事にした」


 二つの意味とは、単純にそのままの意味で振るう武器という意味と、敵を倒せるマナの武器という意味だろう。家一軒分の価値ある武器を貸与ではなく贈与されたのだから、十分支援してもらったという認識ではある。


「はい、そのことは本当に感謝しています。でも……」

「――話には続きがある」


 アキラが感謝する言葉を言い終わる前にミレイユが遮り、そして続ける。


「私達は思い違いをしていた。マナを持たない者が戦う事の意味を、理解していなかった。……今までのように、単に鍛えてやれば多少は使えるようになるだろうという認識だった」

「では、そうでなかったと……?」


 ミレイユが頷き、アヴェリンが頷いた。


「アヴェリンは初日で駄目だと気付いたそうだ。当初は単に体力がない、筋力がないと嘆いただけだったが、よくよく考えてみるとおかしいと」


 アキラにアヴェリンが望むような身体能力が、備わっていなかったのは事実だろう。実戦に投入できるような兵士の訓練を受けていた訳ではない。もしかすればスポーツ少年として見た場合なら、合格点を貰えたかもしれなかった。


「アヴェリンが言うには、お前ぐらいの年頃なら出来上がっていて当然の身体能力が備わっていないと言う事だった。何故できないと激高し、多少暴力的になってしまう事もあったようだな」

「多少……?」


 その言い分には異論あったが、今はそれを追求しないでおく。

 それより話の続きが気になった。


「先入観が仇になったとも言える。弁護する訳じゃないが、マナを持たない者など見た事がなかったのだ。最初から持たざる者への適した対処など知る筈がない」

「それは……分かる気がします」


 アキラにしても、アヴェリンを見る限り――その容姿は置いておいて――普通の人間にしか見えない。一見しただけ、一度話してみただけでは、その本質を理解する事は到底不可能だったろう。

 しかし彼女は片手で車を持ち上げるし、車よりも早く走る。見上げる程の巨大なモンスターでさえ、彼女には一撃すら加えられず打倒される姿を、この目で見てきた。


「だが、途中で絶望的なまでのマナの欠乏に気付いた。これは私も同意する。ルチアはそれより早く気付いていたようだ。――これは蛇足だな。とにかく、お前が戦う者にはなれないと判断を下した」

「でも、それじゃあ何故、今まで鍛練を……? それとも、その判断を今朝に下した、という事ですか?」


 アキラは自らの頭の奥に痛みが走るのを感じていた。

 息が荒くなりそうなのを、必死に堪える。努めて冷静に、表情を崩さないよう努力しながら、目の前を見つめる。

 組んだ足の上で、両手の指を絡めるように合わせたミレイユの瞳に、揺らぐものは見えない。


「いや、判断事態はもっと早い。鍛練を続けて来たのは、一つにお前を生き延びさせる手段を与えてやりたいと思ったからだ。勝てないまでも、逃げる程度の力を持たせてやりたいと。……武器を手放すな、と何度も言われていたな? 手放して激昂されてもいた。何故だと思う」

「それ、は……戦士として武器を手放すのは、恥だと……。刀は武士の魂とも言って……」


 ミレイユは首を横に振り、アヴェリンへ顔を向ける。本人の口から言えという指示に、それまで無言で静観していたアヴェリンが口を開いた。


「威嚇する手段すら失えば、逃げる事も出来んからだ。倒れたらすぐに起き上がれというのも、そうだ。戦意を持ち続ける気概などより、立たねば逃げ出す機会すら失うから、そうさせていたに過ぎない」

「威嚇……? それじゃあ……あの鍛練は……、初めから戦う為のものじゃなかったんですか……?」


 アキラは鼻の奥がツンとするのを感じた。喉の奥にも同じようなものが込み上げてくる。

 侮辱しているつもりはないのだろう。しかしアキラが武器を振るう事は、敵に対して威嚇する程度の力しかない、と言っているのだ。

 元より自尊心が強いタイプではない。剣術に才能があると言われた事もない。しかし、この一言はアキラにしても、心を抉られた。


「初めは戦わせるつもりだった。実際、インプとは戦わせたし、それからも戦わせたろう。だが実力的に、それ以上の敵は難しいという判断だったから、方針を転換することになったのだ」

「お前はトロールに怖気づいていたろう。――いや、それが自然だ、おかしい事はない。じゃあ、鍛えれば倒せると思うか? 自動車すら叩き潰す一撃を、自分ならいつか受け止められると?」

「それ、は……」


 アヴェリンの言葉を引き継いだミレイユが出した一例に、アキラは自信を持って応える事が出来なかった。それも当然だろう。仮に総合格闘技の世界チャンピオンだって、そんな一撃は受け止めきれない。

 刀一本、あるいは盾一つで、どうにかなるものではない。


「それがまさにマナを持つ者、魔力を扱えるかどうかの差だ。お前を軽んじているのではない。無理なものは無理という、これは世の理の話だ。……どうあがいても、お前はアヴェリンに勝てないだろう?」


 労るような声が胸に辛かった。

 ミレイユは言っているのだ。

 アキラとアヴェリンの間にある圧倒的力量差が、経験の差でも、年齢差でも、人種の差でも、筋力差でもないと。


 アヴェリンに一太刀すら入れた事のない身からすれば、ミレイユの言葉を否定する事は出来なかった。

 全体重をかけた一撃をいなす事は、技術のある者なら難しい事ではないのだろう。アキラの通う剣術道場の師範は齢五十を超える筈だが、若さで振り回す刀にしっかりと対応してくる。

 お情けで一本取った事はあるものの、実践形式では一度もない。しかし、これに届かないと思った事もなかった。


 しかしアヴェリンは、その次元とは全く違う。

 彼女は息一つ乱した事もなければ、汗をかいた事もない。運動量がまるで届いていないのだ。アキラが汗だくで呼吸が辛くなるほど打ち込んでも、それに付き合う彼女にとって、汗をかくような運動になっていない。


 それ程の隔絶した実力差があると、もはやこれにいつか届くなどという妄想はできない。

 超えるべき壁ではなく、越えられない山として、アキラは認識してしまっている。


「だからもう諦めろと、手を引けと、そういう話ですか……」

「そうだな。……分かりやすく数字で言おうか。あのインプで、実力は一から三といったところだ。そしてお前も、三程度だ」

「僕が、三程度……」


 あれらと実力が拮抗しているというには、アキラは勝ち過ぎているように思った。同時に五体を相手にしたこともある。傷こそ負わなかったが、攻撃を受けたのも一度切り、それで同じ実力と言われて納得できない。

 その表情が顔に出ていたのだろう、ミレイユが補足してくる。


「お前が難なく勝てていたのは、実力に比例しない武具があったからだ。それで苦戦するというなら、むしろ問題だ」

「僕は……何一つ、自分の力で勝てていなかったという事ですか……」

「それは違う。立ち回り一つ、武器の振り方一つで、その武具を良くも悪くもしてしまうものだ。勝てて当然の戦いだったが、勝つ為に勝てる戦いをした。それは誇って良い」


 はい、とアキラは返答したが、その声に力はなかった。

 励ましは受けたものの、しかし結局、実力を認められた訳ではない。最も弱い部類の敵に対して勝ちを拾えるだけ、それ以上となれば逃げるしかないという指摘。

 

 ――だが。

 何一つ希望はないのだろうか、と考えてしまう。今現在、実力が足りず、力量に伴わない武具を使っているとしても。

 ――それでも。

 この先、何一つ実力が伸びないという事にはならない筈だ。今は三の実力しかないからといって、これからもその数字から動かないという事も、またない筈だ。


 縋るような気持ちで、アキラはミレイユに問い質すように聞いた。


「僕は……僕の実力は、もうこれ以上伸びないのでしょうか。もう伸びしろは、全く無いんでしょうか……!?」

「……あるだろうな」


 その言葉はアキラに光明を与えたが、同時に次へ続く言葉で失意する事になった。


「今の三が、五を越す程度だ。そして、どんなに甘く見積もっても八を超える事はない」

「それは……それじゃあ、結局……。でも、それだって憶測の域を出ない筈で……」

「勿論だ。私の見る目が信用できないという――したくないという気持ち、よく分かる。だが私も、単にお前を絶望させ諦めさせる為、この場を用意したという訳ではない」


 その言葉に、今度こそ目の前に光明が差したようだった。

 ソファの背に身を預けていたミレイユは、身体を起こしてユミルに視線を向ける。

 それでアキラも隣を見て、そして今まで一度も口を開かなかった事実に疑問を感じた。その顔には愉快そうに見返す表情がついていた。


「アキラ、お前……ユミルの眷属になる気はないか?」

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