ギルド訪問 その9

 ガスパロは幾らもせずに、一人の女性を伴って戻って来た。

 魔術士らしい淡い紫色のローブ姿で、フードは被らず後ろへ下げ、その栗色の頭髪が露わになっていた。三つ編みを後ろから肩へ回すとという落ち着いた髪型は、三十歳手前と思われる容姿と良く似合っていた。


 その表情には、見て分かり易い程の緊張が表れていて、額には勿論、首筋にまで薄っすらと汗が浮いている。その首筋も刻印が見えていて、やはり魔術士となれば、冒険者でなくとも見える場所には刻んであるものらしい。


 緊張の度合いが凄まじいが、相手の素性がどうであれ、サロンへ招かれる程の客の応対だ。当人からすると、それほど緊張を受ける事なのかもしれない。


 流石に初めて目にする相手に帽子を被ったままでは失礼かと思い、膝の上へ置き直して小さく頷く。ガスパロの顔を立てる事になるかどうかは不明だが、上客らしい振る舞いをして見せる。


 とはいえミレイユは、その上客が振る舞うべき正しい作法など知らないのだが。

 ガスパロが一礼すると、半歩後ろで待機していた女魔術士も頭を下げる。


「お待たせいたしまして申し訳ありません。こちら、当ギルド随一の刻印施術師、ラエル・バエリソと申します。本日の施術を担当いたします」

「ラッ……、ラエル・バエリソです。ほっ、本日は、精一杯の施術を行わせて頂きます……!」


 ラエルの緊張度合いからすると、その裏返った声音も当然のように思えるが、単なる緊張にしては度が過ぎる気がする。


「……ひどく緊張しているな。ギルド長に何か言われたのか?」

「いえ、決して……その様な事は! ただ、えぇ……何と申しますか……!」

「やんごとなき御方に対面し、喜びで打ち震えておるのです。緊張で手元を誤るなど御座いませんので、そこの所はご安心を」

「ふん……?」


 ラエルの表情を見る限り、とてもそうは見えない。とはいえ、そこは信じるしかないだろう。

 ――しかし。


 ガスパロの言い訳は表面的なもので、きっと何か強く言い含められていたのだろう、という事は察せられた。ラエルが口籠っていたのが何よりの証拠だし、何より目の動き方が顕著だった。

 ミレイユの態度がガスパロの確信を変な方向へ導いていまったので、今更何を言える訳でもなかったが、ただラエルには申し訳なく思う。


「それでは、開始させていただきます」


 ガスパロの一言で、ラエルがぎこちない足取りで動き出す。

 アキラが座るソファの背面から回り、ミレイユの傍で両膝を付いて頭を下げる。

 では、とミレイユの手を取ろうとしたところで、アヴェリンが待ったを掛けた。


「頼みたいのはそちらの方だ。間違えている」

「し、失礼しましたっ……!」


 直接、手が触れるより前にアキラを示すと、盛大に頭を下げて謝罪する。

 ミレイユが、ちらりとガスパロに目を向けると、失態を叱責するような視線をラエルへ飛ばしていた。当然、誰に施術するかは説明していたのだろうが、意識がミレイユへ向き過ぎてしまった所為で生まれた失敗だろう。


 やはり緊張で頭が回っていないと見え、任せて大丈夫なのか、という不安が生まれる。それを表情に出さないよう気をつけながら、とりあえず経過を見守ろう、と思い直した。

 ラエルは一度立ち上がり、そして数歩動いてアキラの傍へ近寄ると、ミレイユのとき同様に膝を付く。それから、おずおずとその手を取った。


「そ、それでは始めさせて頂きます。刻む場所に、どこかご希望はありますか?」

「えー……」


 ラエルはごく真っ当で簡単な質問をしているが、それがアキラに理解するのは難しい。

 困った顔で眉を八の字にしているのを見て、助け舟を出そうとしたところで、その横からスメラータが顔を突き出してきた。


「どこにするって聞いたんだ。分かる? ど・こ。額とか、手の甲、最初は大体ここ」


 実際に身振り手振りで説明してやり、額を指差し、次に手の甲を指差して、どこに刻むべきかを教えてやっている。それでアキラも理解して、両手の甲をそれぞれ指差した。

 それで良いか、という視線をアキラが向けてきたので、ミレイユも首肯を返してやる。


 実際、どこであろうとミレイユは困らない。

 ただ一応、刻印がなければ舐められるというスメラータの助言を考えれば、どこか見えやすい場所が良いだろうと思っただけだ。


 アキラの表情からそれで良い理解したラエルは、次に刻む魔術を聞いてくる。

 それに先程ガスパロから勧められた魔術を伝えると、ラエルはぎょっとして目を剥いた。アキラとガスパロの間を、顔の向きが交互に変わる。


 その反応だけで、この魔術の不人気ぶりが分かろうと言うものだ。しかし、本当に使い物にならないようなら、その時は改めて順当だと思える刻印を選べば良い。

 ミレイユからもそれで良い、と言質を与えると、それで恐る恐る施術を始めた。


 ラエルがアキラの手を取りながら、瞼を閉じて集中し始める。

 左手を皿代わりにアキラの手を置き、そして右手で手の甲に粉上の物――恐らくは触媒だろう――を塗って、擦るように動かす。二度、三度と動かした後、アキラの腕が僅かに跳ねた。


 痛みを堪えるように眉根が寄り、ラエルの右手が上下すること数回、焼印を押し付けるような音と共に、アキラの左手甲に印が刻まれる。

 最初は図形とも取れない小さな物で、それが徐々に拡大して見えるようになり、そして最後には手の甲からハミ出しそうになる、というところで止まった。

 その刻印は濃緑色をしていて、立体四角形の中に風の動きを盛り込んだかのような図形をしている。


 アキラは既に痛みが抜けているのか、不思議そうに手の甲を擦っていたが、その手もすぐにラエルに握られ、続いて同様の手順が行われて行く。

 そうして、やはり同じだけの時間を掛けて、薄水色の図形が刻まれた。円が幾重にも重なる刻印で、術名の通り年輪を現しているのが分かり易い。


 その二つ、手の甲いっぱいを使って刻まれた印を見て、アキラのみならずガスパロまでが感心した吐息を漏らしていた。

 アキラとガスパロでは大きく意味合いが違いそうだから、その事を聞いてみる事にした。


「何やら感心したように見えたが、施術の出来が良かったのかな?」

「いえ、この様な場で身内贔屓のような振る舞いは、失礼に当たります。無論、そうではございません。刻印の大きさに感心したのでございます」

「はい、私も驚きました。初めて刻む人が、まさかこれほど大きな刻印になるなんて……。しかも初級魔術でこの大きさ……、今の冒険者に同じ大きさを刻める人がいるかどうか……!」


 ラエルの緊張は、今度は別の方向で現れたようだ。

 アキラを見て、畏怖のような視線を向けている。


 だがどうやら、二人の感想を聞くに、刻印とは持つ者の魔力と、その練度によって大きさを変えるものらしい。強い魔術は最初からそれなりに大きいが、弱い魔術は小さい物というのが常識であるのだろう。

 スメラータの頬に見えるような、ああいう小さな刻印が、初級魔術の基本的大きさであるのかもしれない。


「驚くような大きさであるというのは、誇っても良い事なんだろうな……」

「勿論でございます。それ程の大きさを持つなら、誰なりと疎かにする事はございますまい」


 ガスパロはそう言って笑顔で太鼓判を押すが、スメラータの表情は険しかった。


「……いや、でもどうかなぁ。刻んでる魔術が魔術だし……、この大きさが意味するところを理解できる奴らがどんだけいるかは……結構ギモンっていうか」

「それは……、確かにそういうものかもしれませんな。彼らは実力至上主義なところがありますから、学術的な面から見た魔術の視点というものを持ちません」

「なるほど、どうせならばもっとマシな物を刻めと思う者ばかり、という訳か」

「真に残念ながら……」


 ガスパロは慚愧に堪えない、という表情で顔を外へ向ける。その方向には、もしかしたら冒険者ギルドがあるのかもしれない。


「時に、単なる好奇心として聞きたい」

「なんなりと」

「上級魔術が既にそれなりの大きさであるのなら、魔力を持つ者が刻めば、その体表面積を簡単に越してしまうのではないか? 背中などに刻むにしても、やはり限界は早いんじゃないかと思ってしまうのだが……」

「あぁ、確かに気になるわねぇ……」


 ユミルも同意して頷き、隣のルチアも好奇心を刺激された顔を向けた。

 ラエルの口振りからすると、それだけの魔術を刻めるだけの冒険者は多くなさそうだし、そこまで考える必要はないように思うが、何も無能ばかりしかいないという訳でもないだろう。

 そういう本当の実力者がいるのなら、その時はどうしているのか知りたかった。


「それは簡単でございます。上級魔術に限った話でありませんが、高度な術というのは一つの図形で現せるものではございません。謂わば、一つの刻印を縄に見立てた連続体で示すのです。ですから、必然と一面ばかりを使うものでなくなります」

「ふぅん……? 足首から始まって太腿まで、トグロを巻きながら刻まれるみたいなもの?」

「そこまで極端に長い者はおりませんでしょうが、そういう事です。単に直線で刻む者も多うございますよ。そういった場合、とりわけ腕に刻む事が好まれるようです」


 そうしてガスパロはスメラータの腕へ視線を移した。

 そこには確かに、拳一つを下回る大きさの刻印が、手首から二の腕まで走っている。あれが仮に上級魔術だとしたら、それを見せ札としているのは有効な気がした。


「スメラータ、因みにその腕の刻印はどういうものだ?」

「思いっきり侮られてそうだけど、上級魔術だよ。身体強化の」

「……へぇ、上級を刻めるような実力があったのか」


 それは確かに、意気揚々と冒険者ギルドの総本山へやって来ようと思える訳だ。

 頬に見える刻印が小さい事から、それで他の刻印も推して知れようと言うものだが、それこそが罠であるのかもしれない。上級一つと初級一つ、それが限界で、伏せ札にも乏しい物しかないのか、あるいは他にも……という読み合いが、冒険者の中にはあるのだろう。


 だが、そのぐらいではガスパロのお眼鏡に、適うものではないらしい。

 その視線に侮るものは見えないが、さりとて感情らしいものは伺えない。


「まぁ……、お前も言うだけの事はある奴だ、という認識に改めておこう」

「……どうも」


 刻印魔術と魔術制御の最大の違いは、習得難度以外に、その保有数にあるだろう。人間が覚えられる個数は、その寿命と掛かる日数から基本的に少ない。

 だから十年掛かって会得できる魔術など、最初から選択肢に上がらないものだ。会得するのは大抵が学者としての魔術士か、あるいはエルフというのが通説だったし、数を持てるのもエルフというのが常識だった。


 それを覆したのが、現状の刻印という技術だろう。

 最終的に実力あるエルフを前にすれば、その数の優位さえ覆されるし、それだけの魔術を習得しているなら、実力でさえ優位に立てない。


 だが、昔から数を揃えられる事が、人間の強みだった。

 最大級に強い個人ではなく、最底辺でも万を揃えて敵に挑む。正面から殴りつけるだけでなく、多くの戦術、策略で攻略する。

 それが個として弱い、人間の戦いだった。


 真の実力者に蹴散らされるのは、どの時代でも同じだろうが、しかし工夫を生み出す機知に長けているのは、常に人間だ。

 二百年の時の流れを思っていると、ラエルが会話の邪魔をしないよう静かな動作で立ち上がった。施術を終えれば彼女の役目は終了だ。


 一礼し退室していく後ろ姿へ労いの言葉を渡し、恐縮する仕草を見せつつで姿を消す。

 それからアキラの刻印へ目を向けつつ、ガスパロへと新たに問いかけた。

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