虎穴に入らずんば その3

 息を呑む音が聞こえ、そして一時の沈黙が場を支配した。

 ミレイユとしても、その言葉の意味を理解するのに時間を擁したし、そして咀嚼し理解するにつれ、困惑の度合いも強くなる。


 ミレイユはナトリアから視線を外し、ユミルへと目を向ける。

 そこでもやはり困惑はあったが、何より苦虫を噛み潰す様な表情が印象的だった。


「……なるほど。なるほど、なるほど? 素敵な言葉アリガトウ、って言えばよろしいのかしらね? そんな台詞聞いただけで、だから話を聞いてくれると思った? 到底、信じられないわね」

「やっぱり困惑させられただけ、といったところだが……。そもそも何一つ、信じるに足る言葉じゃないだろう。お前の行動一つ取っても、辻褄が合わない事ばかりだ」

「――信じられないのは当然ですけど……」


 ルチアが口を挟んで、それでミレイユは視線を向けた。


「でも私としては、それで今すぐ亡き者にする訳にはいかない、と強く思いましたよ。非常に業腹ですけど、……これってつまり、以前懸念していたアレが、事実かもしれないって期待できるんですから」

「アレ……?」

「大神の中に、利敵行為をしている者がいるかもしれない、という話です」


 言われてミレイユも思考を回す。

 確かにそう言う話もあった。しかし情報が足りず、希望的観測が強く出過ぎていた為、流れた話だった。だがもしも……もしも、それが事実であるとしたら、それは話を聞くに十分な理由となる。


 しかし同時に、それではスルーズが語った、この森へ追い込む、という話と矛盾する。

 そうさせたのがカリューシーにしろ、ルヴァイルであるにしろ、その様に命じたのなら、明確な敵意があっての行動だと予測できるからだ。


 ミレイユがナトリアを睨み付けても、彼女には些かの動揺も見えない。

 既に敵の手中にある、という状況であり、そして身動き取れない状態なら、もう少し感情の揺れがありそうなものだ。しかし、彼女は自分に危害は加えられない、と確信している様子すら感じられる。


 それが彼女の言った、知っていた、という部分に繋がるのだとしたら、ルヴァイルがその様に伝えていた、という事になるのだろう。

 不審に思う気持ちを強め、ミレイユは視線をナトリアに固定しつつ、ユミルに尋ねる。


「実際、ルヴァイルというのはどういう神なんだ」

「それは――」


 ナトリアが何かを発言しようとした時、掌を上げてそれを止める。脅し付けるように睨みを利かせ、それから脅す様な低い声で忠告した。


「お前は聞かれた時にのみ答えろ」

「……畏まりました」


 身体の全てを結界によって固定させられているが、喋る時に必要なので首回りだけは僅かに動く。だから、ナトリアは許す範囲で顎を上下させるように頷いた。

 それを見てから、改めてユミルに問う。


「……それで、ユミル。どうなんだ?」

「そうね……。歳魂と時量のルヴァイル。一応、善神に分類されるんだと思うわ。そしてありがたがられる神でもある。人に直接何か危害を加えた過去なんてないから、相対的に善神ってコトになってるだけだけど」

「つまり、無関心……あるいは無関与を貫いている、という?」

「そうとも言えるかもね。神の義務として、病毒治癒の恩恵は与えているけど、それ以外に何かをしたって話も聞かない」


 なるほど、と頷きながら、どう判断して良いか悩む。

 人にとって苛烈であったなら、即ちミレイユにとっても敵、とはならない。今回のエルフの様に、縁もゆかりも有る対象なら、そこに関与もするが、ミレイユは何も人類守護を謳う聖人という訳ではないのだ。


 そして同時に、人に危害を加えない神が、即ちミレイユとも敵対しない、とならない。

 それが神にとってどの様な得があるにしろ、ミレイユを睨んで行っているばかりではないからだ。神の横暴は何千年も前から起きている事で、世の常識でもある。


 どう考えるべきか判断できず、ミレイユは再びユミルに尋ねてみた。


「その歳魂、というのは何なんだ? 時量の方は、何となく分かるんだが……」

「そうね……」


 ユミルは小首を傾げ、考える仕草を見せてから口を開く。


「人が生き、一年経って歳を取る。その一歳を与える権能を、歳魂と言うのよ。だから無事一年を過ごしたコト、一つ歳を取れたコトに対し感謝を捧げられる神でもある。そして時量は名前のとおり、時間を量る権能ね。過去も未来も、この神にとっては量るに難しいってコトは無いんでしょうよ」

「それはつまり……この神がいなければ、人は歳を取らない、というコトか?」

「実際はそんなコトないと思うけど。――いえ、でも待って……」


 ユミルの視線が鋭くなり、ナトリアを睨み付ける力も強くなる。

 そこでユミルが何を思い至ったのか、ミレイユにも分かった気がした。


「ゲルミル一族の不老ですら、歳を重ねる事を可能にする、というコト……?」

「スルーズも、それで人間になれると勘違いしてたのか? 歳を取れる様になれば、それは人間と変わらない。望みは叶えられる、とか……」

「とんだペテンだわ」


 ユミルは吐き捨てる様に言って、顎から手を離し、ナトリアを更に強く睨み付けた。


「老衰で死ねるコトと、人間として生きるのは全くの別物でしょ……! アイツも馬鹿には違いないけど、嘘で騙して利用して、次はアタシ達を使って何かするって!? アンタらを信じる理由が、また一つ減ったわ!」

「……落ち着け、ユミル。信じられない気持ちは同じだが、こいつの……ルヴァイルの行動にも矛盾が多い。殺すのはいつでも出来るが、大人しく捕まった事なども含めて、言い訳があるなら聞いてみたい」

「逃げられないと悟ったから、降参したってだけでしょうよ! 哀れな命乞いをしただけだわ!」


 今にも殴り掛かりそうなユミルを、背後から諫めるようにルチアが手を置く。

 ユミルは殺意の混じった瞳でルチアを睨んだが、すぐに目を伏せ顔も背ける。それから小さく謝罪して息を吐き、ルチアが手を引くままに任せて後方にへ下がっていく。


 それを横目で見送って、ミレイユはナトリアに訪ねた。


「まず確認だ。あの土下座は、あの様にして迎え入れろ、と指示されてやった事か?」

「はい。そうすれば高い確率で、話し合いに応じる、と伝えられました」

「この状態が話し合いと言えるか? 仲良くテーブル囲んで、とはいかないぞ」

「勿論です。どの様な形であれ、対話は成立する。その様に伺っております」


 フン、とミレイユは鼻を鳴らして顔を顰めた。

 事実、あの土下座を見た瞬間、聞き出さねばならない事柄が一気に増えた、と心の内で判断した。

 その命乞いに感じ入ってではない。何故それを知っているか、そして何を知っているか、聞き出せるなら聞き出したい、と思ったからだ。


「スルーズを使っていたのは、カリューシーだけじゃない。お前達も同様に、と思って良いのか?」

「はい、元よりアレを甘言で騙して利用したのは、私がルヴァイル様の指示の元、行っていた事です」

「目的は?」

「ルヴァイル様がミレイユと敵対する者、と印象付ける為に行われたものでした」

「印象付ける? 印象も何も、我々は最初から――いや待て、まさか……。覗き屋連中の為にか」


 ミレイユが先じて答えを言うと、ナトリアは実に嬉しそうに頷いた。


「貴女は実に察しが良い。そして冷静で、思考力も高い。ここまでの逸材は、これまで無かったと仰っていたルヴァイル様のお言葉は、間違いではありませんでしたね」

「その上から目線の言い方は、お前の寿命を縮めると知っておけ。私は別に冷静じゃない、押さえつけているだけだ。私の忍耐に、多くを期待するな」

「肝に銘じておきます」


 殺気と同時に魔力を漏れさせて言うと、ナトリアは殊勝な態度で顎を上下させた。

 ミレイユは不機嫌そうな態度そのままに、長く息を吐いてから尋問を再開する。


「ループを止めたい、そう言っていたな。そして、どうやらループの中身さえ知っている。それならば、と私が素直に食い付くと思ったか? むしろ有り得ない、と判断しそうなものだがな」

「勿論です。言葉一つ、態度一つで信じられるものではない、と心得ております。ですが、納得していただける部分もあるのではないかと……」

「つまり?」

「神々は、決して一枚岩ではない、という事実です。貴女を利用したいと思う神がいれば、それに反したい神もいる。ルヴァイル様は、その反したい神々の一柱なのです」


 ミレイユは喉の奥で唸りを上げた。

 確かに、その部分は納得できる部分がある。

 一枚岩でないどころか、互いに反目しているのではないか、と言われる程、神同士は仲が悪い。それは信者の取り合いをする事からも分かるし、そしてユミル流に言うならば、シェアの奪い合いから起きる必然でもある。


 ミレイユを利用する事で得する誰かがいるのなら、それを妨害しようとする神がいるのも、決しておかしな事ではなかった。


「神々の、一柱ね……。つまり、他にも反したい者がいる訳か。因みに、それはあと何柱いるんだ」

「ただ一柱でございます。合計二柱の神が、このループに反したい神々です」

「半数に届く程いるか、と淡い期待を抱いたが……」

「まぁ、そんな都合良くいかないですよね」


 背後からルチアの声が聞こえたが、落胆というほど重いものではなかった。

 むしろ、たった一柱で無くて良かった、といったところだろう。勿論、それを信じるつもりならば、という前提ではあるが。


「そのループに反したいのが、その二柱しか居ないから、事を起こすのが慎重になるのも頷ける。現状、他の神々同様、ループを起こす為に邁進しているように見せ掛けたいんだろうさ。最低でも、反目しているとは思わせたくない。――それもまた、分かる話だ」

「ご理解いただき、有り難い事です」

「そして、現在はその目的に沿った内容で推移しているんだろう? 私を昇神させたくない、という事も含めて。デルン王国の支配も、その一環なのか?」


 予想した通りなら、色々な都合が付きやすいデルンの傀儡化は必須だったろう。

 信仰を得る足がかり然り、他種族への弾圧然り、そして森へ圧力を掛けつつ維持すること然りだ。だが、その要であるスルーズを死なせてしまった。


 カリューシーが横槍を入れた所為でもある。

 その挽回に来たのだと思うのに、結局スルーズを奪取すること叶わなかった。彼が死亡したところで眷属化は解けないだろうし、命令は継続される。だが面倒な事になるだろうし、梃入れも必要そうに思える。


 カリューシー殺害の件もあり、その何処に反目する神の意思が介在していたのか分からない。

 予想も付くが……予想は所詮、予想でしかなかった。


「そうですね、デルンの支配については、信仰獲得の一助として有効だからと採用されたようです。眷属化ほど強力な支配、というのはあまり無いので、有効活用したつもりのようですね」

「……だがそれも、今回で潰えてしまった訳だが?」

「構わないのです。予定通りですし、貴女が現れるまで維持されているなら、それで良かった。何しろ、ループが再び始まる準備に入った、という事ですので、別に支配が叶わなくなっても問題がない」

「私が……? つまり、あくまでその時まで維持堅守できていれば十分だと? 私さえ世界から追い出せば、それで後はどうとでもなると考えているのか?」

「乱暴な言い方をすると、そういう事になるようです。また、単に追い出すだけでなく、ループさせるという目的も叶えば、尚更あとの事は重要じゃないようですね」


 ミレイユは、またも長く息を吐いた。

 この時ばかりはナトリアから視線を切り、項垂れるようにして息を吐く。まるで膝に重石が乗ったかのようだった。


 一言返事が戻って来る度――不都合な真実が顕になる度、その重石が一つ増えていく気がする。果たして最後まで立っていられるものか、今はミレイユは、その自信が持てない。

 ミレイユの表情は惨憺たるものになっているだろうし、既に尋問を打ち切って地下にでも放り込んでおきたい気分だったが、本当に放棄する訳にもいかなかった。


「ハァ……」


 大きく息を吐くと、それにつられてどこもかしこも傷む気がした。

 胃痛や頭痛だけでなく、胸痛まで身を蝕むのを感じながら、ミレイユは気怠く顔を上げて、億劫な尋問を再開した。

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