反撃開始 その5
アキラは刀の切先をエルゲルンの喉元へ向け、今は固く目を瞑っている顔を見つめていた。
斬り傷からは今も血が流れ落ち、身体は僅かに痙攣していた。
完全に気絶しているように見える、トドメを刺すなら今しかチャンスはない。躊躇えば手痛いしっぺ返しを食らう。
それが分かっているから、互いに目配せした時点で、何を成すべきか理解していた。
刀の柄を両手で握り締め、そして思い切って振り上げる。躊躇い、取り逃す事になれば後悔するだけでは済まない。断りや確認を取る事すら惜しみ、七生に任せるという選択肢すら与えなかった。
七生にも当然覚悟はあるだろうが、それをさせたくないという気持ちの方が勝る。
アキラは自分が変に考え込んでしまう性格だと理解しているから、無心になるよう心掛けて刀を振り下ろす。考えれば迷う。迷えばもう、だから振り下ろせる気がしなかった。
「ハァッ!」
迷う事すら振り払うように、気合を声に乗せて首を切った。
呆気ないほど刀身が肉と骨を断ち、切先が地面を噛む。次いで噴き出る鮮血が刀と地面を濡らし、そこから逃げるように後ろへ下がった。
得も言われぬ不快感がアキラを襲う。
――人を殺してしまった。
後悔とも罪悪感とも違う、何か虚無感が胸の内を過ぎていった。
刀を持つ手が震える。
間違いなく、やらねばならない事だった。
異世界からの侵略者、そして神の簒奪を目論んだ者に、それ以上の慈悲は掛けられなかった。誰もがその為に戦っていたし、捕縛するにしても危険すぎて諦める他ないと理解していた。
だからといって、自分の行いは正義だと喧伝する気はない。
そうするしかなかったのだと、そう自分に言い聞かせるしかなかった。
沈黙がその場に落ちる。
それと同時に、七生と凱人も崩れ落ちた。気力だけで立っていたものの、その最期を見届けて気が抜けたのだろう。
「だ、大丈夫……!?」
「ああ、まぁ、何とかな……」
「私も、って言いたいけど……ちょっと苦しいかも」
「難敵だった……間違いなく、これまでの鬼とは一線を画していた。理術を使い熟す敵が、これほど厄介だとは……」
それはアキラも感じた事だ。
漣のように攻勢理術に頼る、いわば砲撃や銃撃のような攻撃方法ならやりようはあった。これまで戦ってきた鬼に、理術を十全に扱う敵はいなかったが、それと似たような脅威は幾らでもあったから、それの応用で戦えていたろう。
だが、今回のエルゲルンは幻術を多用し、そしてその戦い方も熟知していた。
敵をどう動かすか、自分がそれでどう優位に立つか。不利な場面からどう有利に動かしていくか、その手玉に取るやり方は、老獪な戦士のやり口のようにも思えたものだ。
実際、見た目ほどの年齢ではないのかもしれない。
ルチアやユミルが、その外見と実年齢が合わないように、この男も百年を超える年齢であっても驚かない。
だが、何にしても――。
「何とか、勝てた……」
「だな……」
アキラが溜め息にも似た感じで息を吐き、そして二人と同じようにその場に崩れ落ちようとして、はたと止まる。
――いつだって、勝利を確信した時だとしても、動きを止めるな。敵の死を前にしても、警戒を解くことは有り得ない。
アヴェリンはいつも厳しいし、理不尽な事も言うが、嘘と間違いだけは言わない。出来もしない事を口にしても、それは現段階のアキラが出来ない話であって、決して虐めの類で口にした事は無かった。
その教訓がアキラの崩れ落ちそうな膝を思い留めた。
まだ戦闘は終わっていない、というつもりで柄を握り締め、もう一度周囲を見渡そうとしたところで、アキラに掛けられる声がある。
「なかなか容赦ないよな。可愛い顔して、案外簡単に首を落とすんだもんなぁ」
「――なっ!?」
声のした方を咄嗟に振り向こうとして、腹部が急激な熱を帯びた。そうかと思えば冷たい気もして、そして直後に痛みが走り悪寒も背筋を昇っていく。
自分の腹を見下ろして見れば、そこには見覚えのあるサーベルが生えていた。
信じられない思いで、エルゲルンの死体を見る。
そこには血溜まりを残した痕のみがあって、落ちた首も身体も消えていた。
サーベルが引き抜かれ、アキラは今度こそ膝から力が抜けて崩れ落ちる。青い顔で見上げた先には、呆れた顔をしたエルゲルンが立っていた。
「なぁんど同じ目に遭えば気が済むのかねぇ。自分がやられた時の保険くらい掛けとくもんだろ? 特に幻術士は自らの死すら演出するし利用する。目で見えるモン一切信じるな、ってのが一般的なのに、首を落としたくらいで勝った気でいるとはねぇ……」
「けど、確かに……!」
アキラの手にはその時の感触が残っている。
肉を裂き、骨を切り落とす感触は、今なお手の中に残っている。それさえ嘘だと、幻術だとは思えなかった。
「見たものを、見たもの以上に感じるってのが人間だからな。もう勝ち切ったと確信してたろ? 反撃もない、気絶してる、無防備で、痙攣した姿。……どこまで真実だと思った?」
「ぐ、うぅ……!?」
どこまでと言われても、その全てが真実だと思って疑っていなかった。
今の姿を見る限り、七生やアキラが作った裂傷は確かにある。ならばきっと服の下にも凱人が殴り付けた痕があるのだろうが、幻術を仕掛けられたとするなら、その後としか思えないのに、その機会があったとは思えない。
「幻術士ってのは弱いってのが通説だよな? 小手技で足元掬って勝ちを拾う、そう見られがちだが、だからこそ幾つも手札を持ってるし隠してるのさ」
そう言って、自慢気に腕を広げれば、それに重なるように二重にも三重にも後を追って腕が広がる。まるでエルゲルンの後ろに人がいて、一拍遅れて腕を広げたかのように見えた。
ダンスショーでも良く見られる手法で、正面から見れば一人の人間に何本も腕が生えているかのように錯覚するアレだ。
だが、エルゲルンが見せているのはマジックショーでもなければ、単なる錯覚を利用したものでもない。その背後から、ひょっこりと顔を覗かせたもう一人のエルゲルンが、愉快そうに顔を歪ませ身体も横に出してきた。
「俺が幻術士だって分かってて、それで鏡に関係する魔術しか使えないと思った理由って何なんだ? 俺がそんなこと一言でも言ったか? ……ほらな、見るものを見たい様に見るのも、また人間ってやつだよな」
アキラは己の失態を悟って歯噛みした。
敵の一言一句、反論のしようもなく正論だった。鏡像を利用し、それ以上のものを見せないのだから、それしか手段がないと思っていた。
だが、伏せ札は伏せているから価値がある。
起死回生の状態で使うというなら、相手に悟らせずに使うのだろうし、それを最期まで教える事もないのだろう。何も分からぬまま、何が起こったか理解せぬまま死んでしまうに違いない。
だが、だったらエルゲルンは、何故こうも手の内を晒すような真似をするのだろう。
まるでいたぶるように、勝利を確信しての舌舐めずりというには、言っている事とやっている事と違っている気がした。
アキラが憎々しく思いながらエルゲルンを睨み付けると、嘲笑を浮かべて手を叩く。
「そう、それ! それが見たかった! 負けを確信し、死を前にして最期に出来るのは睨み付けるだけだよな! 俺はそれが大好きなのさ。精々後悔しながら死んでくれ」
そう言って、再び手を広げて大笑した。
七生と凱人も同様に、憤怒を力に変えて立ち上がろうとしていたが、元より気力だけで立っていた身、震えるばかりで身体が言う事を聞いてくれていない。
アキラもどうにか一矢報いられないか、と歯を食いしばった時、エルゲルンはサーベルを振り上げる。先程のアキラの動きをなぞるように、両手でサーベルを握った。
「まぁ、結構楽しめたぜ。期待はしてなかっただけに、特にな」
そのまま武器を振り落として来たその瞬間、遠くから炎の矢が飛んで来て、エルゲルンの腕を撃ち抜く。だがその手からサーベルは落ちていかないし、スーツが焦げたくらいで火傷の一つも負っていない。
エルゲルンは意外そうな顔をしていたものの、まるで痛痒を感じさせない表情で、不機嫌そうに目を細めた。
それと同時に、周りを囲っていた防壁が消え去る。その代わり、消えた壁と入れ替わるように隊士達が立っていた。それぞれが手をかざし、その手には制御が完了したと分かる光が纏っている。
「――放て!!」
紫都のまだ幼さを感じる号令が下されると同時、炎のみならず、雷や氷など、様々な属性の矢がエルゲルンへと殺到した。
その直ぐ傍にいるアキラは気が気でなかったが、その狙いは正確で一本も外れる事なく命中していく。轟音が目の前で起こる中、アキラの身体を何かが包む。
抵抗しようと藻掻いたが、全く意味もなく背後へと連れ去られた。
そして一瞬あとに、それが支援班に寄る念動力で救助されたのだと悟る。
傷の治療を終えた隊士らが戦線に復帰したのだ。
エルゲルンは間違いなく油断していた。アキラ達の勝機を覆し、自らが勝利したと、実際その首に刃を当てる寸前だった。
そこへ不意打ちとして放たれた理術の雨は、さぞかし効果的だったろう。
敵の目前で戦っていたアキラは勿論、七生や凱人、結希乃も救出されて理術の矢を放つ、人垣の間を抜けて後方に送られている。
「時間稼ぎ合戦は、僕らの勝ちだ……!」
苦し紛れの発言のように思えたが、それは事実でもあった。
どのような戦術にも相性がある。そして幻術を使うというなら、そこへ近寄る事なく一方的に理術を撃ち込まれたら何も出来ないだろうし、虚像を生み出すというなら、それごと理術の弾雨で撃ち抜いてしまえばいいのだ。
アキラは傷の治療を受けながら勝ちを確信し、そして直後、大規模な爆発で吹き飛ばされた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます