一つの決着 その5

 予め決めた作戦に則り、ユミルとミレイユ、その盾のアキラはドラゴンの上に居た。

 アヴェリンとルチアは神々に抱えられ、二手に分かれて戦域へと近付いていく。


 空中で繰り広げられている激戦は、神々にとって有利という訳ではなかった。

 何しろ、ドラゴンには恨み骨髄という、積年の怒りと憎しみがある。


 その果てに討ち取られたドラゴンの数は、既に八割を超えたが、それでも最古の四竜は未だに健在だった。

 随伴の百竜は他の凡百と隔絶した強さを持っていたろうが、それでも四竜には敵わない。


 その四竜が未だ健在である事、そして一竜落とす事に怒りと恨みが増す事、それが神々に対する圧力となって襲い掛かっている。

 数を減らした分だけ、四竜の力が増しているかのような威圧さえを感じられた。


 近付く程に増す、ドラゴンからの殺意をその身に受けると、そのように思ってしまう。

 さしものミレイユも表情が強張るのを抑え切れず、ユミルでさえ普段の飄々とした態度を見せられずにいた。


 アキラの顔は蒼白になっていたが、それでもミレイユの右斜め前に膝立ちとなり、壁役としての責務を投げ出すつもりはないと気を張っていた。

 以前のアキラなら、この時点で震えて戦意喪失していたとしてもおかしくない。

 だが今は、顔色自体は悪くとも、精神的には負けていなかった。何かしらの攻撃があろうと、呑まれる事なく動けるだろう。


 頼もしくなった、と改めて感じ入ってると、神々を包囲しているドラゴンの方が先に気付いた。

 次いで四竜の中で最も近い位置に居たドーワが気付き、攻撃の手を強める。

 ミレイユが何をするつもりか分からずとも、ここが攻勢の肝だと理解したらしい。


「……とはいえ、私は囮でしかないんだがな。共に攻め立てれば勝てると思ったのなら……、神々もまた本気になるだろう」

「今は本気じゃないんですか?」

「本気には違いない。だが、このまま対処できれば凌げる、という余裕を残していた筈だ。私の登場は、その余裕を剥ぎ取る。このままでは勝てないと思うだろうな」

「――優先的に排除しようとするかも、しれませんか?」

「そう、。だが敢えて、私をドラゴンの後に回す可能性も残されている。予定にないから、対処は後回し。勝ち筋をなぞった後に相手しよう、とな」


 でも、とユミルは、憤然と息を吐いて首を振った。


「それじゃ困るのよね。こっちを無視できないと思うけど、万が一、ドラゴンを優先的に処理されたら、不意打ちなんて上手く行くとは思えないし。奴らにはミレイユが居ると、脅威が近付いている、と思わせなきゃ」

「だが、敵の数が多いなら、まず減らそうとするのは常套手段だ。脅威に思わせろと言っても、魔力を使わずには難しいと思うし……大体、今は使いたくないんだが」

「いらないわよ。立ち上がって、威風堂々、その姿を現しなさい。奴らにとっちゃ、具体的な戦闘内容なんて知りようがないんだから。神の三柱を弑して、今度は自分たちを標的にしようとしている、凶悪な相手として映るでしょう。奴らの心情を思うとね……、まず近づけたくないし、真っ先に排除したいと考えると思うのよね」


 ユミルの推測には多分に願望が含まれていたが、同時に納得できる説得力があった。

 本来なら攻め込んで来たのはドラゴンのみ、という認識だったが、後背を突く形で次々と神が弑されていた。

 神魂が飛び去って行ったのは全部で四つ。一つ二つは見逃しても、その全てに気付かなかったとは思えない。


 何者かにやられた、と思った時、浮かぶ顔の候補は多くないだろう。

 そこへミレイユが現れたとしたら、危機感を抱くには十分だ。


 とはいえ、やはりそこでどちらを優先するかは、賭けになるのは間違いなかった。

 どちらを優先しても間違いではないし、そうとなれば、後は性格の問題だろう。


「……損にならない手なら、打っておくべきか。食い付けば良し、付かない時は……」

「その時は、アタシの方からチクチク撃ち込んでやるわ。その程度で、アンタの不調を見抜けるとは思えないし」

「そう願おう。――それじゃあ、頼むぞ」


 ドラゴンの背を一撫でして、背棘から手を離して立ち上がる。風の抵抗が増して、身体を後ろに持って行かれそうになるが、重心を落として踏ん張る。

 帽子のつばを摘みながら前方を睨み、タサギルティスを遠くに見た、その時だった。


 まるで合図したかのように、両者の視線がかち合う。

 タサギルティスは表情を引き攣つらせたかと思うと、歯を食いしばって顔を引き締め直した。

 そうして、身体ごと向きを変えて弓に矢をつがえる。


 他のドラゴンからの猛攻など、まるで無視した危険な行動だった。

 何しろ、そうしている間も、今や好機とドラゴンがブレスを放っている。

 だが、それよりも何よりも、今はミレイユという脅威を、積極的排除する事に決めたようだ。


 タサギルティスは視線をそのままに、顔だけ横を向いて何かを叫んでいる。

 ミレイユには聞こえないが、程よく離れたブルーリアに、警戒を呼び掛けているのかもしれない。

 距離の都合でタサギルティスの方が先に気付いたが、同様に注意を向けてくれるのは有り難い。

 それこそ、正に望んだ展開だった。


 タサギルティスは、横を向きながらも矢を放つ。

 一つ放ったかと思えば、矢筒へ手を伸ばし、一秒と満たず立て続けに矢を射った。

 まさしく神速の矢番え動作で、その矢速も常人とは比べ物にならないものだ。


 銃弾より速いと錯覚させる程だったが、ミレイユは微動だにしなかった。

 アキラが盾として、十分に働いてくれると信じているからだ。ミレイユはただ、威風が見えるように立っているだけで良い。


 一つは斬り落とし、二つは手の甲で弾き、最後の一つは身体で受け止めた。

 どれも通常の一矢からは考えられない軌道を描いて飛んで来たが、アキラは己の技量と刻印で、完全に防ぎ切ってしまう。


「ぐっ! ……チィッ!?」


 だが、その代償は決して軽くない。

 一つの矢で五層の『年輪』が削られて、一度の効果がそれで消えた。

 ラウアイクス戦での消耗も回復していない今、受けられる回数は後一度か二度が精々だろう。


 身体で受け止める戦法は、敵から魔力を吸収できる状況において意味がある。

 肉を切らせて骨を断つ、というほど綺麗な戦法ではないが、とにかく攻撃し続ける事で防御の最大回数も伸びるのだ。


 一方的に攻撃を受けるだけでは、アキラの魔力総量からいって、長く保たない事は最初から分かり切っていた。

 だが、アキラの役目は既に終わっている。

 敵が注意を向けたなら、攻撃があって当然だ。


 そして攻撃を仕掛けた瞬間こそが、最大の隙でもあった。

 アヴェリン達は大きく迂回し、既にミレイユ達とは逆方向へ到達していた筈だ。

 そして、絶好の機会を見出したなら、彼女らは決してそれを無駄にしない。


「――来た」


 ミレイユの呟きと同時、タサギルティスが矢筒から矢を取り出し、矢番え動作を見せた。

 その瞬間、直上に生まれた孔からアヴェリンが飛び出し、弓なりのように身体を反らした体勢から、思い切りメイスを振り下ろす。


 直撃するその直前、凄まじい反応速度でそれに気づくと、タサギルティスは咄嗟に弓で受け止めた。しかし、既に十分勢いの乗った一撃は、簡単に捌けるものではない。


 致命傷を避ける事を意識した受け方、そして空中の只中であり、何かにぶつかる心配がなかった事、それが彼の油断を招いた。


 衝撃を逃すつもりで、わざと吹き飛ばされて行ったのだろうが、次の瞬間には孔の中へ呑まれている。

 何が起きた、と思う暇もなかっただろう。

 衝撃音がミレイユの耳に届く頃には、既にタサギルティスの姿は完全に消えている。


「さて……、残る方だが」

「大丈夫でしょ。ルチアだって上手くやるわよ」


 顎を引くように小さく頷いた瞬間と、ルチアが空中で両手杖を突き付け、魔術を解き放つのは同時だった。

 ブルーリアも相応に注意を張っていたのだろうが、タサギルティスへの不意打ちは衝撃だったらしい。


 自分の注意を疎かにしたところへ、ルチアの魔術だ。

 それも攻撃の為の魔術ではなく、拘束の為の魔術を使われたのでは、その無効化も簡単ではない。


 ルチアが行使したのは、『極寒の檻』と呼ばれる上級魔術だ。

 その名の通り、氷によって閉じ込める事を目的とする。


 マグマを浴びせても溶ける事のない氷は、物理的、魔術的手段で破壊しようとしても、簡単にはいかない。

 綺麗に整った正方形の密封系で、対象を完全に閉じ込めてしまう。


 受けた本人には、直接的に氷と接触しないので、高い魔術抵抗を持っていても拘束自体からは逃れられない。

 直接接触しないといっても中は狭く、自由に腕を振り回せる程ではないから、下手な魔術の使用は自分を傷付けてしまう恐れもあった。


 ただ、より強い魔力を持っていたり、何らかの対抗手段を持っているなら、その限りではない。

 特に神ともなれば、ルチアの魔力を持ってしても、長時間の拘束は不可能だろう。


 だから、ルチアは二重三重と、同じ魔術で重ね掛けしていく。

 最初は二メートル四方だったものが、倍々に増えていき、そうすると質量も増す。

 すっかり閉じ込めに成功したルチアは、『極寒の檻』の上に降り立って、ホッと息を吐いた。


 とはいえ、『極寒の檻』に浮遊能力などない。

 ルチアが着地した事を切っ掛けとしたかのように、重力に引かれ落下を始めた。

 その落下から逃れるように蹴り上がると同時に、氷に薄っすらと罅が入る。

 既に二層分の氷檻を突破したのは流石と言えるが、最後の層を突破するより前に、直下に生まれた孔へ吸い込まれて消えて行った。


「やったな……」


 ミレイユが力んだ肩から力を抜くと、ルチアが僅かな滞空時間から落下に切り替わるタイミングで、再び開いた孔へ入って行く。

 すっぽりと収まるように消えて行ったかと思うと、次の瞬間には、ミレイユの背後にルチアが降って帰って来た。

 それと一拍と遅れずアヴェリンも帰って来たのを見て、ミレイユは二人の背を叩いて労う。


「二人共、よくやってくれた」

「これぐらい、何程のこともありません。ですが、あまりに呆気なく感じたのも気になります」

「こっちは罅が入った時、肝を冷やしましたけど。……それに、安心するには早すぎますよ」


 インギェムも自分の役目を実に上手く果たしてくれたが、タサギルティス達が孔の向こうで、どう対処したかまでは分からない。

 瘴気の泥の直上へ落とす手筈となっていて、孔から抜け落ちた途端、瘴気を浴びる事を想定している。

 だが、それでも上手く乗り切る可能性が、まだ残されていた。


 抜け落ちた直後、身体を上手く静止させる事も出来たかもしれない。

 相当危険な毒だとしても、あの二柱にまで有効かどうかまで分からないのだ。

 しかし――。


「あぁ、大丈夫そうね。見事、やってくれたみたいよ」

「……そのようだ」


 ユミルが言った通り、遠い瘴気の沼から、光球が飛び去って行くのが見えた。

 その数は二つ、これまでに見た神魂と姿形も変わりなく、だからあれが二柱の死亡と判断できた。


「呆気ない幕引きだったが……、勝利だな」

「困難であれば良い、ってものでもないでしょ。勝利の価値は、その時の人が決めるものよ。――それに、これで全て解決ってワケでもない」

「そうだな。……まだ、大仕事が残ってる」


 ミレイユは瘴気を見据え、目を厳しく細めながら呟いた。

 黒く粘つく瘴気の沼は、既に神域の半分を飲み込もうとしている。


 予想よりも侵食速度は勢いが強く、更に速度を上げているように見えた。

 迫る瘴気は、残り時間が少ないのだと、如実に告げているかのようだった。

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