第446話 東門での蹂躙
◇◆◇◆◇
イーガンは東門に向かって急ぎ足で歩いていた。
目立ってはいけない。フードの角を人に見られてしまえば、半魔人が暴動を起こしている今、タダで済むとは思えない。
目深にかぶったフードを左手で押さえ、右手は旅道具を詰めた荷物を抱えている。
両手が塞がっていたからか、イーガンは唐突に現れた男の手を避けることができなかった。
横合いから伸びてきたその腕は、万力のような握力でイーガンの首を掴みそのまま持ち上げて街路の壁へと叩きつける。
「ガハッ!?」
壁に叩きつけられながらも、イーガンは相手の顔を確認する。
そして、絶望のために体を硬直させた。
そこにいたのは、聖剣の勇者ライエルその人だったからだ。
「ら、ライエル……」
それだけではない。彼の後ろには底冷えするような目で笑みを浮かべるマリアの姿もあった。
ライエルの手は容赦なくフードにかけられ、剥ぎ取る。露わになった小さな角を目にして、ライエルは低い声で唸った。
「当たり、だな」
「まだちゃんと確認してないわよ。あなた、クファルって名前を知っているかしら?」
「な、なぜ、ここに……?」
「それを聞いてくるってことは、間違いなさそうだ」
唐突に現れたライエルに思わず漏れたひと言。反射的に出た言葉だからこそ、自身の立場を明確に表していた。
「い、いいや、こんな場所に六英雄がいるなんて思わなかったから、つい」
「こんなところ? 確かに滅多に足は向けないが、ここはマリアの故郷だ。まったく来ないわけじゃないぞ」
「そうね。フィーナが生まれた時も報告に来たことはあるし」
フィーナが生まれた時、マリアはこの街に顔を出している。
友でもあった教皇に、最低限の筋を通す意味合いもあったからだ。
教皇であるアシェラと、マリアの仲は悪くない。その友情は、彼女がベリトを離れた後も続いている。
だからこそ教皇は、ニコルが生まれた時、顔を出さなかったマリアを今も責めていた。
「そ、それは……そうだ、暴動が起きて、このままじゃ俺の身が危ないと思って……」
「そのわりには旅支度が素早いわね? 保存食までしっかりと用意しているようだし」
旅支度で最もかさばるものは、食料と水だ。こればかりは、削るわけにもいかない。
街中であるベリトでは保存食を用意するという風習はほとんどない。迷宮に入る冒険者なら、それなりに備蓄はあるだろうが、それでも長期間旅をするほどの保存食は持ち歩かない。
大陸の中央、そして宗教の中心であるこの街には、あらゆる物資が流れ込んでくる。
街中にいるだけで大抵の物は手に入るのだから、旅支度をする者は基本、商人か冒険者くらいである。
「それに暴動が起きて、まだそれほど時間が経ってない。いくら何でも、動き出すのが早すぎたな」
この街では半魔人の存在は疎まれている。街の出入りですら悶着を起こすほどに。
それゆえに、この街に住む半魔人は街から出ようとは、あまり考えられないでいた。
門を通ろうとしたら門番に身包みを剥がれる可能性もあるからだ。身包みを剥がれ、街から放り出されれば、さすがに生きてはいけない。
「くそっ!」
ライエルの態度に、たとえ間違っていたとしても自分を逃がす意思がないと、イーガンは悟る。
奴は門を通る半魔人を、片っ端から捕らえ、尋問する気なのだ、と。
もっとも、このタイミングで顔を隠した半魔人が、急ぎ足で、単独で、旅支度を万全に整えたうえで街を出ようとする、という条件に当てはまるのは極小数であることは間違いない。
いうまでもなく、この東門ではイーガン一人だ。
ベリト周辺は治安が保たれているとはいえ、モンスターが出ない地域ではない。単独で街を出るなど、危険極まりない行為である。
だとしても、無茶な言い分であることは変わりない。それを押し通すほどに、ライエルは怒っていた。そして自分を逃がす気がないことも理解する。
それを悟り、イーガンはその場から逃げ出そうと身悶えした。
しかしがっしりと首を押さえられ、抜け出すことができない。
「無駄な足掻きをするな……そうだな、クファルの居場所を吐けば、楽に死なせてやるぞ?」
勇者と呼ばれる者として、ふさわしくないほど邪悪な笑顔を浮かべるライエル。
心胆を寒からしめるその笑顔に、力で抜け出すことは不可能だと察し、腰元に手をやった。
そこには二重にした水袋が下げられており、中にはクファルから渡された毒が詰められていた。
それをライエルの顔面に投げつけ、拘束から逃れる。
「くっ……」
毒に汚染されたのか手を放し、一瞬ふらつくライエル。
しかし直後にはマリアの
その一瞬で、イーガンが拘束を抜け出すには充分だった。
イーガンは背後を見もせず、即座に逃げ出す。だがライエルも伊達に修羅場を潜り抜けてはいない。
瞬時に体勢を立て直し、後を追って剣を一閃する。
イーガンとライエルでは、その瞬発力に雲泥の差があった。瞬く間に距離を詰められ、横薙ぎに足を斬り飛ばされ、地面へと転がる。
「あ、あああぁぁぁぁぁっぁぁぁあああぁぁぁぁっ!? 俺、俺の足が! ない、足があぁぁぁぁ!?」
地面に転がり一拍置いてから襲ってきた激痛に、イーガンは必死に自身の膝を抱え込もうとする。
しかし膝上で綺麗に斬り飛ばされた足を抱え込むことができず、両腕を血に濡らすだけだけに終わった。
「あらあら大変。あなた、死なせてはダメでしょ。これは放置したら致命傷よ?」
その傷跡はマリアによって一瞬で癒された。しかし足を再生させるような魔法ではない。依然として、イーガンの足は失われたままである。
「逃げられたら困るから、この程度で許してね。あ、そうそう。あなた、変な真似ができないように、腕もお願いね」
「承知」
黒い笑みを浮かべたまま、とんでもないことをいうマリアに、無表情で答えるライエル。
その意味を理解し、絶望を浮かべた直後には、両腕が斬り飛ばされていた。
「あ、はは、ははははは、ひゃあはははっははははっはははははははは!」
もはや自分に逃げ道はない。いや、生き延びる術すらない。
この先にあるのは死を上回る苦痛と、情報を搾り取られた残り滓の自分。
それを悟って、イーガンは正気を手放したのだった。
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