第296話 帰還

  ◇◆◇◆◇



 コルティナは首尾よくファングウルフの牙を入手し、満足顔だった。

 そもそもガドルスが一緒にいるのだ、ファングウルフ程度ならば恐れるまでもない敵である。

 後はマクスウェルが迎えに来るまで、魔法陣を刻みながら待っていればいい。


 お守りタリスマンが完成する明け方近くになって、ようやくマクスウェルは迎えに来た。

 ガドルスを連れているのだから、もっと早く来てもおかしくないと思っていたのに、これは彼女にも想定外だった。


「ちょっと、遅いわよ?」

「スマン、スマン。ちょっと野暮用ができてのぅ」

「ガドルスもいるんだから、もっと早く回収できるとわかるでしょうに」

「いやぁ、こっちもこっちで忙しかったのじゃよ?」

「なによ、まさかニコルちゃんの身に何かあったのじゃないでしょうね?」

「いや、それはないから安心せい。五体満足で無事返してやるわい」


 相も変わらず憎まれ口を叩くコルティナに、暖簾に腕押しと言わんばかりの態度で受け流すマクスウェル。

 そんな二人を溜息混じりに眺めながら、ガドルスは呆れ声を出した。


「いや、一番の被害者はワシだろう? なぜコルティナのわがままに付き合わされる羽目になったのか」

「古来より、女はわがままとしたものじゃよ。お主はまだまだ悟りが足りんの」

「萎びたエルフと一緒にするでない。さっさと帰してくれんかな?」


 ある意味最大の被害者であるガドルスは、宿を放り出してここまで連れてこられている。

 一応使用人もいるため、冒険者を支援する宿の運営には支障は出てないようだが、それでも責任者不在というのは、色々な面でまずい。


「うむ、そうじゃな。ではさっさとコルティナを送ってからお主も帰してやるわい」

「ワシが先じゃないのか?」

「お主はここに放り出しても平気じゃが、コルティナはそうはいかんでな。レディファーストじゃ」

「そう言われては返す言葉もないか」


 冒険者時代から、女性陣の発言力は強かったので、この反応も慣れたものだ。

 コルティナの安全を盾に取られてはガドルスもことさら反発することはできなかった。 


「それじゃ、先に帰らせてもらうわね。ガドルスもありがとう。このお礼はいずれそのうち」

「期待せずに待っておるわい」


 こうしてコルティナはマクスウェルの屋敷へと戻ることになった。

 屋敷に戻ると、マクスウェルはトンボ返りにガドルスを送りに戻る。


「それではワシはガドルスを送ってくるから、お主は帰っておいてくれるかの」

「ええ、マクスウェルもありがとうね」

「にしても、お主が『お揃い』が欲しいと言い出すとはな。入れ込んだものじゃ」

「そりゃ、親友の娘だもの。可愛いに決まってるじゃない」


 胸を張ってそう宣言するコルティナは、かつての暗さを感じさせない。

 そこで彼女はちらりと周囲を見回す。


「フィニアの掃除、まだ終わっていないの?」

「うむ、少しばかり荒らし過ぎてしまったわい。彼女も責任をもって送っておくから、お主は先に帰るがよいぞ」

「なんだか、さっさと帰したがってるように聞こえるんだけど?」

「そ、そんなことはないぞ」


 露骨に視線を逸らせたマクスウェルを怪しむが、久しぶりの夜営で疲労していることは違いない。

 自宅でゆっくり眠れるというのは、彼女にとってもあらがい難い誘惑だった。


「まあいいわ。フィニアちゃんに手を出しちゃだめだからね?」

「ワシをなんじゃと思っておるのじゃ……」

「ガドルスいわく萎びたエルフだけど、まだ色気は残ってるんでしょ? 疑うのも当然じゃない」

「まだまだ現役であることは否定せんがの。まあよいわ。ほれ、帰った帰った」

「あっ、ちょっと! 無理に追い出すんじゃないわよ! フィニアちゃん、助けてー」

「さすがにマクスウェル様には歯向かえませんよ。私もすぐ戻りますから、先にお戻りください」

「おのれ、フィニアちゃんまで篭絡したか」

「だから人聞きの悪いことを言うなと言うに!」


 こうしてマクスウェルの屋敷を追い出されたコルティナは、やや不服ながらも家路に着くことになったのだった。

 時は明け方、人通りもまばらに目につき始める時間帯。この時間ならば犯罪に巻き込まれる危険も少ない。

 ニコルとお揃いのお守りタリスマンを手に入れ、コルティナは足取り軽く自宅への道を急いでいた。


「ふふん、これがニコルちゃんが組んだ術式かぁ。確かにちょっと雑なところがあるけど、よくできてるじゃない」


 目の前にお守りタリスマンをぶらぶらとぶら下げ、その出来を確認する。

 お揃いである以上、そこに刻む魔法陣も同じでなければならない。

 マクスウェルからその陣を入手し、コルティナは自分でそれを掘り込んでいた。


「あ、そうだ。あと一本牙が余ってることだし、マリアにもプレゼントしてあげよ」


 ファングウルフ一体から牙は二本獲れるので、もう一本予備がある。それを親友に贈ろうと思い立ち、驚く親友の顔を思い浮かべてコルティナはほくそ笑んでいた。

 そんな帰路で彼女が足を止めたのは、不審人物を発見したからだった。


 長いマフラーを首に巻いた黒ずくめの男が、自宅の玄関前で立ち尽くしていた。

 黒いロングコートの上からでもわかるほど、細い体躯。背はそれほど高くないが、ぼさぼさの髪は彼女も見覚えがある。

 いや、ありすぎた。


「……うそ」


 言葉を失い、お守りタリスマンをその場に取り落とす。

 その後ろ姿は……彼女が二十年前まで、散々見続けてきた背中だった。

 彼女の無茶な指示に皮肉を返しながらも忠実に従い、決して打たれ強いとは言えない身体で、懸命に仲間を守り続けた男の姿だ。

 時には無謀とも取れる勇気を示し、彼女を守って命を落とした心優しい暗殺者。


 カツンと、お守りタリスマンが地面を叩く音に、男は彼女に気付いた。

 振り返るその容貌は、まさにコルティナが期待したままの姿をしていた。


「レイド――!!」


 コルティナの我慢も、そこまでだった。

 矢も楯もたまらず、駆け出していく。その足元はまるで雲を踏むかのようにふわりとしていた。


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