第566話 フィーナの冒険 6

 ラウム森王国の首都ラウムの一角。そこにあるマクスウェルの屋敷に、冒険者ギルドの使者が駆け込んでいった。

 しかし敷地に足を踏み入れた瞬間、足元から網が飛び出して、使者を宙吊りにする。


「うわあぁぁぁぁぁ!?」

「なんじゃ、騒々しい」


 悲鳴を上げた使者の声に、屋敷からマクスウェルが顔を出した。

 その背後には、婚約者のレティーナと護衛のマテウスの姿もあった。


「ギ、ギルドから緊急の言伝です! ですから、降ろしてください」

「フム、罠を一つ解除し忘れておったようじゃな。最近不審者が増えたでのぅ」

「お気持ちは察しますが、私も仕事ですので……」


 マクスウェルは現在、公爵となったレティーナと婚約している。

 そのせいで彼の権力はうなぎ登りに上昇し、しかもレティーナの民間人からの人気も重ねられ、今では王家ですら無視できない発言力を持っていた。

 それは同時に、敵が増えたことにも通じる。そこでマクスウェルは屋敷の防備をさらに強めていたのだが、昼は来客もあるので罠の大半は解除されていた。

 その一つが忘れられた結果、こういう事態が起こったらしい。

 マクスウェルは網の間から差し出された封書を受け取り、その場で開いて中を読む。

 使者は『降ろしてくれないのか』と絶望的な視線を彼に向けていたが、マクスウェルは気にも留めていない。連絡の内容を確認しないことには、彼が本当にギルドの使者なのか判断が付かないからである。


「ふむ……む? うぬ!? こりゃいかん! マテウス、レティーナ嬢! 北の開拓村に行くぞ」

「き、北の村ですか? たしかニコルさんの故郷ですわね」

「今からっスかぁ? もう昼過ぎてますよ、時間的に遊びに行くには少し遅いんじゃ?」

「フィーナが何者かに拉致されたらしいのじゃ。一刻の猶予もならん!」

「フィーナってニコルさんの妹の?」


 レティーナはフィーナが生まれる時に、その祝い品を作るのを手伝ったことがある。

 それに何度か姿を見ているので、一人っ子の彼女としては、自分の妹のような感覚も持っていた。


「あの嬢ちゃんには、カーバンクルが護衛についてたんじゃないのかよ?」

「その上で拉致されたのじゃ。どれほど危機的な状況か、推して知るべしじゃろう」


 深刻なマクスウェルの様子に、マテウスとレティーナは事態の深刻さを悟る。

 いつも飄々とした彼の、これほど張り詰めた表情は見たことがなかった。

 だからこそ、彼女たちは最善を尽くそうと思う。


「わかりましたわ。人手が必要でしょう? 時間が無いので屋敷の私兵団は無理ですが、護衛を数人は連れて行けます。すぐに呼びますので、少々お待ちくださいまし」

「俺もアーガスとバウマンを連れてくる。今なら衛士詰め所にいる時間だろ?」

「すまんの。誘拐なら大事おおごとにはできんが人手は欲しいかもしれん。ぜひ頼む」


 マクスウェルの言葉を受け、二人は勢い込んで駆け出していく。

 マテウスはレティーナの護衛を兼ねて彼女を屋敷まで送り、その後で衛士詰め所を経由して帰ってくるつもりなのだろう。

 それを見てマクスウェルは、大人数転移のために魔法陣を描きに庭に戻ったのだった。



  ◇◆◇◆◇



「陛下、緊急の報告があります」


 元護衛であるプリシラ・ラグランとの結婚以降、連日のように茶会が開かれていた。

 これは国内の大貴族たちとの関係を修復、もしくは補強するためのパーティがほとんどだったので、彼としても楽しむという状況ではなかった。

 そんな気の休まらない茶会もようやく終わり、妻と昼下がりのひと時を楽しもうという時になって、突然伝令が私室の外から声をかけてきた。


「何ごとだ、こんなタイミングで」

「はい。ライエル様より急報にございます。事情が事情ですので、直接お伝えしたいのですが……」


 ただならぬ伝令の様子に、エリオットはプリシラと一瞬視線を合わせる。

 プリシラも元々は護衛に従事していたため、緊急の要件による事情というのも理解がある。


「構わん。入室して直接話せ」


 新婚の国王ということもあって、伝令も遠慮して扉越しに話をしていた。

 しかしそれでは話の内容が周囲に駄々洩れになってしまう。

 その気遣いを理解しているエリオットは、あえて入室を許すと伝令に伝えていた。


「は、失礼します!」


 室内に入ってきたのは、プリシラの父であるラグラン伯爵だった。


「先ほどライエル様より連絡があり、御息女のフィーナ様が何者かに拉致された旨、こちらに伝えられました」

「なに!?」

「ライエル様よりは何か協力を求められたわけではありませんが……御仁は敵の多いお方ゆえ、敵を絞り切れておられぬご様子」

「ふむ、こちらの事情を配慮していただいたか。とはいえ、ニコル嬢の妹御となれば、放置もできんな」


 エリオットとしても、幼い彼女のもとに押し掛けた一件は、迷惑をかけたという自覚がある。

 しかもその一件で巻き込まれた誘拐事件でレイドに命を助けられ、さらにはプリシラとの仲が進展しているので、きっかけとなったニコルには感謝の念すらある。

 とはいえ、一少女の誘拐事件に、国が乗り出すのも外聞に関わる。


「外聞に関わる……が、これはライエル殿に恩を売るいい機会ではあるな」

「そうですな。正規軍を出すわけにはいきませんが、私の私兵などなら、出せますでしょう」

「それは助かる。問題は指揮官か」

「私が出るわけにはいきませんな。もちろん陛下も」

「でしたら陛下、私が」

「プリシラ?」


 唐突に口を出してきたプリシラに、エリオットは困惑の視線を向ける。

 本日の茶会は終わったとはいえ、明日以降にも予定は詰まっている。

 それにはプリシラも出席する予定だった。それを放り出してまでフィーナ救出の指揮を執るというのは、エリオットにも頭を悩ますところだった。

 確かに彼女なら自由に動ける余地はある。しかし茶会をすっぽかすとなると、悪印象を持たれる可能性もあった。


「では、プリシラには今日よりしばらく、病に臥してもらいましょうか」

「ラグラン、それは……」

「なに、もとより出来の良い娘ではございませぬゆえ。連日の激務に体調を崩したと言えば、不審にも思われますまい。私兵の方も、事情を察しても問題なさそうな者を十名ほど選出します」

「なるほど、かなり無茶を通すことになるが、ライエル殿との縁を繋ぐと思えば損にはならんか」

「は、むしろ国にとっては得策かと」


 深々と一礼するラグラン伯爵に、ニヤリと悪い笑顔を浮かべるエリオット。

 彼はそれ以上の話は必要ないとばかりに、手を振って退出を促す。

 プリシラがしばらくこの地を離れるのならば、今のうちに『できること』をしておかねばならない。

 これもまた、王族の大事な責務なのだから。



  ◇◆◇◆◇



 夕刻の勤めを終えたアシェラは、汗を流すために沐浴していた。

 そこへ血相を変えた枢機卿の一人が飛び込んできた。


「ボーエン枢機卿、いけません! アシェラ様は入浴中です!」

「わかっておる! それでもこの話は直接お伝えせねばならんのだ!」

「私がお伝えしてきますゆえ、この場でお待ちください!」

「一介の側女風情に伝えられる話ではないわ!」


 もちろん枢機卿が浴場まで入ることはできず、側女の女性に止められていた。

 しかしそれでも退かない辺り、いつもと様子が違う。


「ポーラ。構いません、入ってもらいなさい」

「しかしアシェラ様!」

「構いません。ボーエン坊やなら、おしめを替えてあげたくらい昔からの仲ですよ? 今さら裸の一つや二つ」

「アシェラ様……もう少し慎みをお持ちくださいませんと」

「こんなおばちゃんの裸に興奮するとは思えませんけど?」


 お婆ちゃんと言わない辺りが、微妙に彼女の自尊心の現れである。


「一度鏡をご覧くださいまし。どう見ても適齢期前の小娘でしょうに」

「い、意外と言いますね、あなたも……」


 地味に辛辣な側女の言葉に肩を落とすが、それすら構わぬとばかりにボーエン枢機卿が乗り込んできた。

 五十年以上も前におしめを替えた彼も、もはや初老の男性になっている。

 しかしアシェラはまったく気にした素振りを見せず、沐浴を続けていた。


「アシェラ様、先ほどギルドから連絡があり、フィーナ様が何者かに拉致されたと――」

「なんですって!?」


 報告が終わるのも待たず、アシェラはその場でいきり立ち振り返った。全裸で仁王立ち。これにはさすがにボーエン枢機卿も視線を下げる。

 しかしアシェラはそれすら気に留めず、全裸のまま、浴場から飛び出していく。


「私が洗礼を授けた娘に手を出すなんて、なんてバカ者がいるのかしら! ちょっとそこの人、神殿騎士団から精鋭部隊を編成しなさい。三十分以内に!」

「ちょ、猊下! 三十分は無理で――ってかなんで裸!?」


 無茶苦茶な要求を突き付けられた通りすがりの司祭はしかし、忠実に教皇の命を果たし手隙の神殿騎士をかき集め、突貫でフィーナ救出部隊を編成した。

 そして時間を同じくして、ラウム森王国、北部三か国連合、フォルネウス聖樹国から兵を送り込まれた辺境の村は、一時混乱の渦に巻き込まれるのだった。


  ◇◆◇◆◇

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