第106話 真意

 時間にして十分程度だろうか。

 俺は散々床を転げまわった後、ようやく苦痛が引いてきた。

 そばには破戒神はすでに居ない。幼女が床でビクンビクンとのたうち回ってるというのに、平気な顔でそれを見ていると不審者と思われてしまうから、当然だろう。

 その危惧を回避するため離れたのだろうが、相変わらず逃げ足は素早い。


「ふ、ふぇっぷち!」


 そして俺も思い出した。破戒神の事を言っていられない。俺だって全裸で更衣室で話し込んでいたのだから。

 体中を走る激痛のおかげで脂汗を大量に流したおかげで、身体がすっかり冷え込んでしまっている。


「もう一回風呂に入るか……」


 こんな状態で上がったら、完全に湯冷めしてしまう。

 せっかくここは大浴場で、今裸なのだ。もう一度湯に浸っても、罰は当たるまい。

 だが全身が筋肉痛状態になっていて、立ち上がる事も苦労する。

 カクカク震える膝を抑え込み、よたよたとした足取りで浴場に向かった。


 ガラリと引き戸を開けて大浴場に足を運ぶ。そこで俺はふと、違和感を覚えた。

 先程のやり取り、少しおかしい所はなかっただろうか?


「破戒神……別に獣人って訳じゃないのに、どうして獣人用の浴場に居たんだ?」


 破戒神の外見は十をいくつか超えた程度の少女の姿。白い肌に白銀の髪、深紅の瞳。

 首輪を着けてはいたが、獣の要素はどこにも見受けられない。

 この獣人用浴場で顔を合わせるには不自然すぎる。


「なんだ、つまり……ああ言っていながら、待ち伏せてたんじゃないか」


 神から聞き出した話を要約すると、前世の俺も、今の俺も、あの神の血を引いているという事と、洞窟内にカーバンクルの目撃情報があるという話だけだ。

 つまり、俺にそれを聞かせたかったということは……


「俺にカーバンクルを確保させたいって事なのかな?」


 ブツブツと呟きながら洗い場を通り過ぎ、かけ湯をしてから湯船に身を沈めた。

 周囲にはコルティナ達の姿も、ミシェルちゃん達の姿も見えない。

 俺一人放置されている状態だが、これは彼女を責める事はできない。


 コルティナはフィニアと一緒に蒸気風呂を愉しんでいた最中だし、一緒に居たミシェルちゃん達は露天風呂の岩を登ったりしてはしゃいでいる。

 一応あの神様は俺の命の恩人なわけで、それを知るコルティナにしても話があると誘われては、さすがに断れない。

 悪意ある存在ならば、前回の時に何か仕掛けているはずなので、そういう面ではコルティナもあの神を信頼していた。


「あー、ニコルちゃん、帰って来てるー!」

「なにしれっと一人で湯に浸かってますの? ミシェルの世話は大変ですのよ?」

「なによぉ、レティーナも一緒に岩登りしてたじゃない」

「二人共、ここは岩を登る場所じゃないからね?」


 まぁ、子供の前に登りやすそうな岩があれば、そりゃ登ってしまうだろう。特に彼女たち二人は、普通の子供よりも活発だ。

 だがそれは、色んな意味で危ない。

 滑ったり転げ落ちたりすれば怪我をするし、岩場の向こうは男湯である。子供なので乗り越えたとしても問題はないだろうが。

 それに、彼女達が登るという事は、俺はそれを下から見上げるという事になる。

 まだ子供とは言え、さすがに……問題があるよな?


「お話、何だったの?」


 虚ろな笑みを浮かべて注意する俺に、ミシェルちゃんは興味津々という風情で話しかけてきた。

 彼女にとっても、あの神様は命の恩人である。その人物が親友の俺と内密な話があるといえば、気になって仕方ないのも無理はない。

 そう言えば俺も彼女に渡すものがある。


「あ、そうそう。それだ。あの神様、これをミシェルちゃんにって」


 俺は預かったままの、筋力増強の魔法が付与された腕輪を彼女に渡す。

 手首から肘の手前まで覆うタイプの、精緻な装飾の入ったバングルタイプのブレスレットだ。手首にしっかりとフィットするので、弓を引く邪魔になる事は無いだろう。


「これは?」

「キーワードを唱えると筋力増強の魔法が掛かる腕輪だって。十倍以上に増えるらしいよ?」

「ほんと? すっごい! キーワードって何?」

「メギンギョルズ」

「めぎ――」

「待ったぁ!?」


 俺から起動用のキーワードを聞き出すや否や、即座に腕に装着しキーワードを唱えようとする。

 まだ説明が終わっていないというのに、気が早すぎるだろ!


「デメリットもあるんだよ。筋力は前借りで引っ張ってくるらしくて、解除した時にすっごい激痛が走るの。おかげでわたしもこの有様」


 俺は湯の中から、プルプルと震える腕を持ち上げて見せた。

 正直言うと、ここまでやってくるのも苦労したくらい、まだ全身が怠い。

 この能力を戦闘中に使うのは、かなりキワドイ扱いになりそうだ。効果が切れたら継続して戦う事は不可能だろう。


「効果時間は三分で、そのあと十分くらいすごい激痛が走るの。それから後は筋肉痛でまともに動けなくなっちゃう」

「そして今、あなたがその状態に陥っているという事は……試しましたのね?」

「ウッ!?」


 レティーナは魔術の英才教育を受けてきただけあって、その洞察力というか頭の回転は悪くない。

 だがこういう時に発揮するのは遠慮願いたい。


「ニコル、あなた大人しそうな見かけによらず、そそっかしいですわね?」

「これはあの白いのが説明を端折ったせいだから」


 もうあれを『神』なんて呼んでやるものか、『白いの』で充分だ。


「じゃあさ、じゃあさ! 今度はニコルちゃんをマッサージしてあげる!」

「はぇ?」


 突如、意味不明な事をミシェルちゃんが言い出した。いや、言っている意味は理解しているのだが……内容を受け入れる事ができなかったのだ。


「さっきマッサージの方法は教えてもらったし! だいじょーぶ、ちゃんと気持ちよくできるから!」


 ミシェルちゃんは俺の手を取り、容赦なく湯船から引き上げる。

 そのまままるで荷物のように抱え上げ、マッサージ台へを運んでいった。

 彼女、もう筋力だけなら大人並みじゃないか?


「さぁ、やっるぞー!」

「覚悟なさいませー!」


 ワキワキと指をくねらせ、俺に迫るミシェルちゃん。レティーナも面白がって横から同じポーズで迫ってくる。

 それはともかく、マッサージをちょっと指導した程度で会得できるはずもない。おそらく彼女は間違ったアレヤコレヤをやってくるだろう。まず間違いなく。

 だが俺に逃げ場はなかった。


 その後、獣人用大浴場から、俺の切ない悲鳴が轟いた事は、言うまでもない。

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