第317話 街路の戦い

 障害物を作ったとしても、それを乗り越える少数の個体は、やはり存在する。

 そのゴブリンたちは、障害物を乗り越え、街の南部へと歩を進めていた。

 

 彼に続いたゴブリンは三体。皆、どうという理由があってバリケードを乗り越えたわけではない。

 ただ彼らは、ロードの支配が少しばかり他より薄かっただけと言えよう。

 その少しだけ残されたな理性が、『壁があるなら奥に何かを隠しているはず』という思考に至らせた。


 そして案の定、彼らは発見したのだ。柔らかそうな肉――すなわち子供を。


 三日ほど前から、市民は南部に避難させられていた。

 ゴブリンの襲来と言っても、騎士団が駐留し、高い外壁に守られた首都では、その危機感は薄い。

 ましてや実際にその脅威を目にしたわけではないのだから、実感しろと言う方が無理な話だ。

 そして狭いエリアに押し込められた子供は、時にその好奇心を押さえきれなくなる。


 大人よりも遥かに危機意識は薄く、危険と言われても好奇心が勝った結果、『偵察』という名の暴挙に出た。


「ほら、こっちに壁が作られてる」

「ねぇ、かえろうよー」

「この向こうにゴブリンがいるんだって。見れるかな?」


 気楽な少年の言葉に、付き合わされた少女が涙目で訴えかける。

 そんな声を無視し、少年はバリケードによじ登ろうとしていた。


「ねぇってば!」

「うるさいな、帰りたかったらお前だけ帰ればいいだろ」

「だって、一人じゃ怖いし……」

「だったらそこでおとなしくしてろよ。俺たちは『偵察』に来たんだからな」


 ゴトゴトと壁をよじ登り始めた少年の背後に、ゴブリンが姿を現したのは、その時だった。

 別の街路から侵入したゴブリンは、丁度少年たちの逃げ場を塞ぐような形で現れた。


「グギャギャ?」

「え……ひぁ!?」

「なに……きゃああああぁぁぁぁぁぁぁ!」


 ゴブリンの姿を見て、硬直する少年と悲鳴を上げる少女。それが逆にゴブリンの嗜虐心を刺激する。

 久方ぶりの美味そうな餌を前に、これ見よがしに舌なめずりをして見せる。

 その醜怪な表情と、ちらりと覗いた乱杭歯が少年たちの恐怖をさらに煽った。


「く、くるな、くるなよぉ!」


 口では威勢が良い事を言っているが、その声は情けないほどに震えている。

 少年の腰は抜け、恐怖で立てなくなっていた。少女も、最初の一声以外声を上げることもできずに震えている。

 ジリジリと近付くゴブリンに、恐怖が限界を超え、少年の股間から生暖かい液体が漏れ始める。


「やだ……やだ、いやだあぁぁぁぁぁ!!」


 逃げ場はない。歯向かうこともできない。そんな恐怖に絶望の悲鳴を上げる少年。

 ゆっくりと振り上げられる、ゴブリンの腕。

 少女はそれを、虚ろな目で見ているしかできなかった。

 しかしそこへ駈け込んで来る、一人の少年の姿があった。


「でえぇぇぇぇぇぇい!」


 金属製の大盾を正面に構え、そのまま勢いよく腕を振り上げたゴブリンに体当たりする少年。

 ゴブリンの方は体格差のおかげで大きく吹っ飛び、民家の壁に叩きつけられていた。


「お前ら、無事か!?」

「えっ?」

「悲鳴が聞こえたから駆けつけてみれば……なんでこんな場所にいるんだ」


 いきなり変化した状況に付いていけず、間の抜けた声だけを返す少女。

 少年の方は悲鳴を上げた後は頭をかばい、強く目をつぶっていたので、何が起きたのかすら理解していなかった。


「無事だったら早く逃げろ。そっちから戻れる!」


 一声叫び、ゴブリンに向き直る少年。その額には小さな角が見て取れた。

 それは半魔人の証でもある。そして胸元には冒険者を示すカード。赤色に縁どられたそれは、駆け出し冒険者の証でもあった。

 せっかくの助けだが、少年の腰は抜けており、少女も震える足で立っているのがやっとの状態。

 それを見て取り、少年――クラウドはここでゴブリンを倒すことを決意する。


「クソ、立てないか……だったら、ここで倒すだけだ!」


 彼はファングウルフとも戦ったことがある。ゴブリン一匹程度ならば、どうということはない。

 問題は……数だ。

 たった一人で四匹のゴブリン。背後には無力な子供二人。

 誰一人後ろに逸らすことなく、すべての攻撃を自分一人で受け持たねばならない。

 そして自分を援護してくれる人間は一人もいない。


 状況を理解し、改めてクラウドに襲い掛かるゴブリンたち。

 その攻撃を愛用の大盾で受け止め、弾き返す。

 背後に抜けようとするゴブリンは、手にした長剣で牽制し、自分に意識を向けさせる。

 そうやって注意を引いていれば、反撃の機会は失わざるを得ない。


 クラウドは数の暴力という猛威に晒されていた。

 今までの冒険はニコルが策をもちい、優位な戦況を作り出していた。

 ライエルとの戦闘では強者一人を相手にする鍛錬が多かった。

 こうした一人で多数を自分に引き付けるという戦いは、実は経験が浅い。


 乱戦の最中、改めてニコルの先手を取る能力のありがたさを噛みしめる。

 それでもこの場は引くわけにはいかない。

 後ろには自分よりも幼い子供がいるのだ。孤児院の子供ではないが、そこで育ったクラウドは、年下は守るべしという教えがしっかりと根付いている。


 だが覚悟だけでは、手数の差を補うことは難しい。

 盾をかいくぐったゴブリンの爪が、次第にクラウドの皮膚を抉り取っていく。

 その傷の一つ一つは大したものではないが、出血はそれだけで疲労を誘う。

 いつまでも耐えきれるものではないと理解しつつ背後を覗き見ると、少女が少年に肩を貸し、逃げ出そうとしているところだった。

 しかし少女の足も震えて力が入らないため、もつれるようにして倒れている。

 あれでは逃げ出すのに、もうしばらく時間がかかりそうだ。


「それまでは、なんとしてでも――!」


 自分の決意を口にし、奮い立つクラウド。

 しかしその時、ゴブリンの一匹がまるで魔法のように宙を舞ったのだった。

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