第55話 権威主義

「お前もするがいい。そうすれば謝罪したとして、今回だけは見逃してやろう」


 その傲慢な口振りに、俺は怒るより先に呆れ果てた。

 この学院に入る上で、身分という物は捨てて考えねばならない。

 それなのにこの傲慢さで、よく入学を許可されたモノだとしか言えない。ミシェルちゃんなどは、いきなりの言いがかりに硬直してしまっている。

 しかし、その言葉に最も早く反応したのは、俺ではなくレティーナだった。


「アナタこそ、今のうちに謝った方がよろしいんじゃなくて?」

「なんだと!」

「どこのどなたか存じませんが、後悔する事になりますわよ?」

「この僕を知らないというのか。良いだろう、教えてやる。ボクはストラ領、サルワ辺境伯が長子、ドノバン・ストラ=サルワだ!」


 鼻息荒く堂々と宣言したドノバン。

 その名前を聞き、騒動の様子を窺っていた野次馬たちがざわざわとさわめく。

 ストラ領というのはラウム北部に存在する広大な領土で、そこの辺境伯という事は、格で言えば侯爵にも匹敵する。

 公爵位がほぼ王の親族によって占められるこのラウムでは、血縁の無い者ではほぼ最高位にあると言っていいだろう。


 その育ちならば、傲慢に育つのも納得だ。

 しかし、それはこちらも同じである。ドノバンの名乗りを鼻で笑ったのは、レティーナだった。

 辺境伯は侯爵相当といっても、あくまで『相当』なのだ。真の侯爵の後継者であるレティーナには一歩及ばない。

 俺も彼女がそう名乗ると思っていた。のだが……


「このお方をどなたと心得てますの? 六英雄が一人ライエル様とマリア様のご息女、ニコル様よ!」

「ちょっと待て、そこはレティーナが名乗るシーンじゃないの!?」

「え? なんでわたしが?」


 俺のツッコミに、心底不思議そうな顔をして見せるレティーナ。

 いや、おかしいだろう? 普通話の流れからすると、自分の家名を名乗って相手を威圧するシーンじゃないか。

 それにライエルもマリアも、今は平民である。こういう権威主義者には効果は薄い……


「な、なんだって……!?」


 ……はずもなかった。

 むしろ救世の英雄である二人の娘とあって、効果二倍である。

 しかも中身はレイドだから、英雄成分濃縮されてるよな、俺。


「まぁ、いいわ。そのニコル様を突っ転がしたんだから、どうなるかわかってるわよね?」

「レティーナも初めて会った時はわたしを引き摺り回したよね?」

「わたしは過去は振り返らない主義ですの!」


 呆れたとしか言いようのない口振りだが、この開き直りの良さも彼女の味だと最近わかってきた。

 基本的には気はいいのだ、彼女は。

 今回の事だって、俺をかばうために憤っているのだから。


「そのために俺の権威を使うってのはどうかと思うけど……」

「なにかおっしゃいまして?」

「いえ、なにも。それにわたしは何も気にしてないし、ドノバンくんも許してくれるなら、もう行っていいかな?」

「え、あ……ハ、ハイ」


 まぁ、しょせん辺境伯と言ってもラウム国内の貴族の一人に過ぎない。

 対してこちらは世界を救った英雄の娘で、その威光は世界全土に響き渡っている。

 ライエルもマリアも、単独で軍に匹敵するほどの戦力を持っている上、その親交ある友人もマクスウェルにコルティナ、ガドルスと、バケモノ揃いだ。

 彼等がその気になれば、国ごとひっくり返す事も可能である。一貴族がどうにかできる相手ではない。


 権威に頼るドノバンは、その事実をよく知っている。

 相手が自分より格上である以上、親の威光は通じない。ここでごねれば……家門の取り潰しすらあり得るのだから。


「も、申し訳ありませんでした。お怪我は――」

「ううん、ないよ。大丈夫だから気にしないで」


 あからさまにこびへつらい始めたドノバンに、俺は平坦な口調で答える。

 レティーナほどの面の皮はさすがになかったようである。いや、これは彼女が特殊過ぎるというべきだろう。

 しかし、様子を見ていた野次馬共は、そうは取らなかったようだ。


「おい、あの子……自分を突き倒した傲慢貴族の息子を笑って許したぞ?」

「なんて寛大なんだ。しかもあの美しい銀髪に色違いの瞳。将来有望極まりない」

「お前、いくらなんでもあんな子供に手を出すつもりじゃ……」

「いくらなんでも親が怖すぎるわ!」


 うむ。俺も男と付き合うつもりは、欠片もないな。

 これ以上ここに居ると、余計トラブルが拡大しそうなので、俺は固まったままのミシェルちゃんとレティーナの腕を引き、足早にその場を後にする事にした。

 だがその逃亡も、あっさりと失敗に終わる。

 これだけ派手な騒ぎを起こして、教員の目に留まらないはずがなかった。

 教員……それはつまり、コルティナも含まれる言葉である。


「こーら、何騒ぎを起こしてるのかな、君達は」

「あ、コルティナ」

「コルティナ様! これは、えっと……」

「ひぅ」


 俺はコルティナに襟首を掴み上げられ、猫のようにぶら下げられてしまった。

 突然の登場に、レティーナが口籠り、ミシェルちゃんは再び硬直する。

 レティーナも家格をネタに相手を脅した自覚はあるのか、バツが悪そうにしていた。


「ちょっと聞き捨てならない騒動があったから、様子を見に来てみれば……」

「いえ、あの。これは……」

「レティーナちゃんはすこーしキツめのお説教が必要かな?」

「あうぅぅ……ごめんなさい」


 憧れの六英雄自らお説教を食らって、彼女もさすがに堪えているようだ。

 いくらなんでも、子供にこれ以上のプレッシャーはよくない。


「これは、わたしがよそ見してたのをかばってくれただけだから――」

「ウムウム。ニコルちゃんは優しいねぇ。でもダメなものはダメって教えるのも教員の仕事でね。そっちの君も」


 コルティナにじろりと睨み付けられ、ドノバンはミシェルちゃんのように硬直した。

 さしもの彼も、彼女には言い返せないようだ。

 ましてやコルティナの二つ名は『死神』。口先一つで軍勢を操り、最も多くの死者を作り出した、世間から見れば一種の悪魔である。


「今回は厳重注意で済ますけど、今後は気を付けるようにね?」

「は、はい……」


 そうやって場を収め、立ち去っていくコルティナ。どうも俺は、最初の一歩でつまづく性質があるようだ。

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