第104話 四度目の邂逅

 その声は隣の台から聞こえてきた。

 カーテンで仕切られた向こう側。こちらからは見えない隣のマッサージ台。そこに二人分の気配がある。


 やや甲高い、それでいて透き通るような美しい少女の声。

 ガラスでできた鈴を鳴らすような、そんな透明感のある声が、蕩けきった喘ぎを上げていた。


「あー、そこそこ。いっすねぇ……ちょっとはしたない声が出ちゃいますよぉ。あ、もうちょい右お願いします。んっくぅぅぅ」


 いや、蕩けきったというか、だらけきった声だった。

 聞き覚えのある声に、俺は思わず仕切りのカーテンを開け放つ。本来ならマナー違反な行為だが、今回ばかりは容赦してもらいたい。

 隣のマッサージ台には、美しい白銀の髪を纏め上げ、あどけなくも妖艶な肢体を寝そべらせて、どこかで見た事のある少女がマッサージを受けていた。

 彼女の背に手をやる按摩師のオバサンは、困ったような表情をしていた。


「お前……なんでここにいる!?」

「んぁ? あ、おお、レイ――ニコルさんじゃないですか」


 そこにいたのは、俺を転生させ、ミシェルちゃんに神器を与え、ギフトの使い方にアドバイスをくれた……神様だった。

 状況を察したのか、俺をレイドと呼ぶのはかろうじて止めてくれる。


「あ、かみさま!」

「あーあー、えと、ミシェルちゃんでしたっけ? お元気でし――んおぉぉ、ちょっとそこは痛いです! 優しく、優しくぅ!?」

「お嬢ちゃん、これが凄く……凝ってませんねぇ? マッサージ、必要です?」

「必要ですよ、すっごく! 最近気疲れして精神的に疲労が溜まってるんです」


 オバサンの声に足をパタパタさせて抗議の声を上げる、神。そこに威厳は欠片も存在しない。

 いや、そもそもこの神に威厳を感じた事なんて、一度も無いんだが。


「いや、だから……」

「ちょっと待ってください、ニコルさん。それに答えるのはここじゃマズいんで、後にしましょう」

「あ……おう」


 ここには初対面のコルティナやレティーナがいる。それにミシェルちゃんも、詳細を知っている訳じゃない。

 聞かれては不味い話も存在するだろう。


「えっと、神様……って、ひょっとしてミシェルちゃんにその弓をくれた人?」


 こちらも横になったままのコルティナが、ミシェルちゃんの肩にぶら下がった大弓のケースを指差す。

 そこには、この神から授かった白銀の大弓、サードアイが収まっている。


「んー、そーですよぉ。まぁ、それくらいならいつでも作れますしぃ」

「いや、これって簡単に作れるものじゃないですよ……あ、そうだ。その節はお世話になりました! 私、今ニコルの保護者をやってます、コルティナと申します。この子を助けていただき、ありがとうございました」

「いえいえぇ。彼女に関しては、わたしも少しばかり思うところおおぉぉぉぉ!? ちょっと骨! 今パキッていったパキッて!」

「お客さん、身体硬いですねぇ。肉はほとんどついてないのに」

「超巨大なおせっかいですよ。わたしはひ弱なので、もう少し優しくお願いします、優しく。ここ超大事!」

「はいはい」


 賑やかに騒ぐ『神様』に苦笑しながらマッサージを続けるオバサン。なんというか、この人も動じない人だな。

 結局込み入った話はそこでできなかったので、当たり障りのない世間話程度をしてマッサージの時間をやる過ごしたのだった。





 マッサージを終えてそれぞれが温泉を楽しむ事になった。

 ミシェルちゃんとレティーナは奥の扉の向こうにある露天風呂を目指し、そこできゃいきゃい騒いでいる。

 身分があまりにも違う二人だが、当人はそれを意識していない。実に無邪気なやり取りが微笑ましく見える。

 やがて成長し、大人になっても、できるならば親友でいてもらいたい。


 フィニアとコルティナはマッサージ台の反対側に設えられた、小さな小屋――蒸気風呂に挑戦している。

 いわゆるサウナであり、身体を芯から温め、血行を良くし、肌の新陳代謝を促進させるのだとか?

 あの二人はそんなもの必要ないくらい、若々しいと俺は思うのだが。

 それを口にすると、俺の頬を指でつつきながら『こんなすべすべプニプニを持ってる人に言われたくない!』と𠮟られてしまった。理不尽極まりない。




 そんな訳で俺は今、神を名乗る存在と二人っきりである。


「で、どうしてこんなところに?」

「それはこっちのセリフですよ。久し振りに湯治にきたらニコルさんが顔を出すんですから、驚きました」

「本当に他意は無いんだな?」

「その言葉使いは感心しませんねぇ。女の子はもっと可愛く! 優しく! わたしはそう教育されましたよ?」

「それは今問題じゃない」


 脱衣所まで一旦退避し、そこで神は入り口近くにある保冷庫の魔道具に銅貨を入れて、小瓶に入ったミルクを購入する。

 そしておもむろに腰に手を当て、一気に呷った……全裸で。


「少しは隠せよ」

「ここには女の子しかいませんから、気にしませーん」

「俺は元男なんだが?」

「ふふーん、エロい事がやれるもんならやってみるといいです」

「くっ!」


 確かに肝心の相棒が無くなっては、嫌がらせもできない。むしろ全裸でいると、喜ばれる事の方が多くなっている。

 それはそれとして、俺は神に一つ聞いておきたい事があった。


「ところで……なぜ首輪なんてしてるんだ?」

「ん? メガネだと曇るじゃないですか」

「目が悪いのか?」

「力を封じているアイテムなんですよ。この首輪もそうです」

「へぇ……」


 神が地上に降臨するともなれば、色々と面倒もあるのだろう。

 だがせめて、胸と股間くらいは隠せといいたい。


「そういえば、このエルフの村。近くに洞窟があるんですよね」

「ああ、それは学院で聞いた事がある。昔はそこを実習旅行の目的地に使っていたとか」

「そうそう。その洞窟で源泉を掘り抜いたのが、この温泉街の始まりです。それで、ですね……そこに最近、珍しいモンスターが出没するようなんですよ」

「珍しい?」

「カーバンクルって言う、竜族の一種なんですけどね。額の宝石が凄く価値が高くて」


 神は重々しく、ある幻獣の名を口にしたのだった。

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