第519話 異形
一息にこちらへと間合いを詰めてくるカイン。その速度は、学生レベルで収まるものではなかった。
完全に達人級の速度。いや、その踏み出しすら、俺に認識できなかった。
「くっ!?」
俺は大振りな一閃を横っ飛びに躱して、再び間合いを取る。
だが、一介の学生がこれほどの技量を持つなど、そんなことがあり得るのか?
カインは優秀な成績を収めているとはいえ、実戦経験も浅い学生であることは間違いない。
だというのに、前世からの経験を持ちこしている俺すら凌駕する踏み込みなど、到底信じられない。
これには何か、原因があるはず……そう思考する暇すら与えず、カインは再び斬り込んでくる。
「くっそ!」
「ひははははは! 死ね、しねぇえええぇぇぇぇぇ!」
すでに正気を失ったかのごとき狂相。口元から涎を撒き散らしながら、力任せに剣を振り回してくる。
俺はその攻撃を受け止め、流し、往なしながら、耐え凌ぐ。
そうして数合打ち合ううちに、奇妙な違和感を覚えるようになっていた。
カインの動きには、人としてあるべき『溜め』が存在しない。
踏み込む際に一度後ろに重心をかけ、反動をつけるように……斬り込む際に腕に力を入れ、結果としてわずかに剣を引くように。
そういった行動を起こすための溜めがない。だから奴の行動を、察知することができなかった。
ライエルなどが時折見せる、タイミングを悟らせないためにやっている動きに似ていた。
だがそれを、学生風情が行えるものではない。
否、絶対にありえない。ライエルは日々の鍛錬と、生死を分かつ実戦を潜り抜けることでようやく手に入れたといっていた。
カインがそれほどの実戦を潜り抜けてきたとは到底思えない。
なら、これはなんだ? まるで人とは思えない動きに、戸惑いを隠せないでいた。
「チョロチョロと、逃げ回るしか能がないのか!」
「うるせーよ」
回避に専念する俺に業を煮やし、カインの振りがさらに大きくなる。
その隙を突いて、俺は奴の右脇にカタナの一撃を見舞ってやった。
――ゴツリ、とまるで岩を叩いたかのような手応えが返ってくる。
「な、に!?」
「効かないなぁ! まったく、非力だよ、平民ってやつは!」
「平民とか関係ないだろ、なんだお前は!」
今の手応えは明らかに人のそれじゃない。かといって防具を着込んでいる風には見えない。
カインは、制服の上にボロ布を纏って変装した姿だ。その下に防具を着込んでいたなら、さすがにわかる。
「これが新しいクスリの効果さ! 痛みを感じず、高揚感に包まれ、疲労すら寄せ付けない。さらに筋力の向上と防御力の強化、傷も自動回復するように改良した!」
「ご丁寧にどうも! くそ、面倒な――」
防御力の強化と自動回復と聞いて、俺は地下牢に閉じ込められていたトロールの存在を思い出す。
新しい薬に、トロールの能力も混ざる様に調合しなおしたのか。フィニアたちを襲った中毒者が人以外の姿に変異したのは、実験中の薬を試したからだろう。
だが、それならそれで、やりようはある。
俺本来の戦い方に戻せばいいだけだ。幸いこの倉庫には糸を掛ける場所がいくらでもある。
俺はカタナでカインを牽制しつつ間合いを保ち、糸を飛ばして天井を経由し、奴の首に巻き付ける。
そして一足飛びに後ろへと跳ねることで、奴との間合いが広がり、同時に首を強く締め上げた。
そのまま身体を反転させ、背中に背負うようにして糸を引っ張り、カインを吊るし上げていく。
「が、がぐぐぐぅぐぁぁぁぁぁ!?」
全身の体重が頚椎に集中し、呼吸もままならず、奴は息絶えるはず……だった。
しかし奴は足が浮いたことによって暴れはするものの、窒息する気配は全く見せなかった。
背中越しの糸から、その様子が伝わってくる。
「な、お前……もう――!?」
これほど強く締められ、吊るされても痛痒を感じない身体。それはもう、人間といっていいモノじゃない。
おそらく、ファンガスの胞子とトロールの血液を薬に調合し、新薬を作ろうと実験を繰り返した結果出来上がった未完成の薬を、俺との戦いのために服用したのだ。
『奴』の言う『クスリ』は完成していた。はそれも半端に。
『奴』はファンガスとトロールの身体に、人の思考を併せ持った、ある意味ハイブリッドな存在になり果てたともいえる。
先の剣撃で傷を負わなかったのは、表皮がすでにトロール化していたからか?
ならばこの行動も納得がいく。
『奴』はすでに半分モンスターと化し、整合性のある思考ができなくなっている。
だから俺の仲間たちに手を出し、ミシェルちゃんを攫って、挙句の果てに俺を殺そうとしている。
その後のことなど考えていない。ライエルやマリアを敵に回す恐ろしさも、理解できなくなっているのだろう。
ならばそれはそれで、殺しても後腐れがなくなったともいえる……が、いかんせん、俺との相性はすこぶる悪くなった。
トロールのように硬い表皮に、ファンガスの呼吸を必要としない身体。おそらく関節の意味もあまりないだろう。
『奴』を吊るし、締め上げることは無意味。斬撃も効果は薄い。奴を殺すにはファンガス同様、バラバラに刻むしかない。
しかし先の一撃の感触から、俺にその破壊力が不足していると感じていた。
「
元々がか弱い俺の身体を
糸を使った身体強化を合わせて、ようやく奴にダメージを与えられるかといったところだろう。
厄介なのは、『奴』がハンパに人の記憶を残していることである。
単純なモンスター相手なら、力押しでもどうにかなる。
しかし、『奴』は曲がりなりにも高等部の成績優秀者。薬を調合する知識も有れば、剣を振る技量も残っている。
先ほども力任せだった剣撃が、回数を経ることに洗練されていっていた。このままでは手に負えなくなる可能性も高い。
その一瞬の迷いの隙を突かれたのか、俺の糸がわずかに緩む。
吊るされ、無様に暴れるだけだった『奴』は、その隙を見逃さず、糸を振り払おうとあがく。
重力に従い、床に落下する『奴』。しかし、俺は糸を緩めてしまったとはいえ、手放すような真似はしていない。
肩越しに振り返ると、『奴』は首を吊るされたまま、地に足をつけていた。
いや違う。その首がずるりと伸びて人の形を逸脱していた。
さらに四つん這いに着地し、関節もそれに適合するように変化している。
「完全に……暴走してやがる」
薬の効果が完全に制御不能に陥り、あるべき人の形を逸脱し始めていた。
まるで首の長い蜘蛛のような異形となり果てている。
四つん這いで着地した『奴』は、そのまま獲物に食らいつくかのように、俺にとびかかってきた。
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