第518話 不穏な黒幕

 バリバリと派手な音を立てて引き剥がされる金属板。

 元々は雨が染み込むのを防ぐために貼り付けられたモノなので、それほど厚いものではない。

 思ったより簡単に引き剥がされ、そのまま脇へと放り投げる。

 ガラガラと騒々しい音が響き渡るが、階下ではそれ以上に騒々しい戦闘音が響き渡っていた。

 何かが割れる音も混じっているところを見ると、どうやら出来上がったばかりの薬も巻き込んで暴れているらしい。

 これはデンに『いい仕事をした』と褒めてやらねばなるまい。


 鉄板の下からはボロボロになった木板の屋根が姿を現す。

 いくら鉄板で覆っていたとはいえ、長年雨ざらしにされた結果、かなり脆くなっていた。

 強化付与エンチャントされた俺の一撃に耐えられるものではなく、あっさりと天井に穴が開く。


 俺は穴を急いで広げ、そのまま中に飛び込んでミシェルちゃんのそばに舞い降りた。

 舞い降りてきた俺の姿に、三人は驚きを隠せなかったようだ。クラウドが助けと頼む人物が、俺のような少女なのだから、それも当然だろう。

 しかし今はそれどころじゃない。縛られていたロープをカタナで斬り飛ばし、ミシェルちゃんとクラウド、それともう一人の頬傷の男の身を自由にする。

 彼女は彼らの作った薬を飲まされたせいで意識がない。ぐったりとした彼女の口にマクスウェルからもらった解毒薬を含ませるが、飲み下そうとしなかった。


「それは?」

「解毒薬。このままだとミシェルちゃんがファンガス化しちゃうから」

「ファンガスだって!?」


 男たちは材料については知らされていなかったようで、俺の告げた事実に驚愕していた。


「あまり量を摂取すると、ファンガス化が進んでモンスターになるんだよ。彼女たちに解毒薬を飲ませるのは、念のため」

「お、俺たちは……?」

「薬、飲んだ?」

「ときおり」

「なら、飲んだ方がいいね。上級の解毒薬になるけど」

「そんな金、ねぇよ!?」

「知らんし」


 彼らは敵ではないが、味方とも言い難い。そんな相手に貴重な上級解毒薬を分けるわけにはいかない。

 ミシェルちゃんだけではなく、クラウドの分も必要なのだから。

 それに今は、もう一人囚われていた男もいる。おそらく彼も被害者なのだろうから、早く解毒しておく必要があった。


「そういわずに……」

「今も無事なら、まだ許容範囲内なんでしょ。もっとも、放置するとどうなるかわからないけど」

「だから――」

「そこまで面倒見る気はない。自業自得」

「ぐっ」


 俺の断言に、男たちも言葉を飲み込んだ。

 ミシェルちゃんに手を出した段階で、生かしておくだけでもありがたいと思ってほしい。


「わ、悪かった。だから、た、頼むよ……」


 どう言い訳するか数秒悩んだのち、男たちは素直に謝罪することを選んだようだ。

 絶望に歪んだ顔に、今にも泣きそうな表情を浮かべ、ただ懇願してくる。

 これは本当に後悔した人間特有の表情だ。

 まあ、彼らがいたおかげでミシェルちゃんの貞操も無事だったわけだし、これ以上追い詰めるのは良くないかもしれない。


「一応、マクスウェルには口添えしておく。だが期待はするな。正規の倍の料金を吹っ掛けられるくらいは覚悟しておけ」

「本当か! 助かる」


 上級の解毒薬ともなると、ギルドや薬品店でもあまり置いていない。

 彼らのような人間が売ってくれと押しかけてきたところで、門前払いされるのがオチだ。

 それがマクスウェルという伝手を得られるのだから、感謝して欲しいものだ。


「くそ、それにしても……飲まないな」


 ミシェルちゃんは意識を失っており、口に含ませた解毒薬を嚥下できず、そのままこぼしていた。

 あまり無駄に使うとクラウドの分も無くなってしまうため、これ以上の無駄遣いはできない。


「しかたない、ここは口移しで――」


 そこまで言ったところで、俺は背後から凄まじい殺気を感じ取り、ミシェルちゃんを抱えたまま横っ飛びになって、もつれ合うようにして回避行動を取った。

 その俺の足元を凄まじい勢いで棒が飛び過ぎていく。

 ただの木の棒のようだったが、あの勢いで背中に直撃されると、余裕で戦闘不能になっていただろう。


「妙に派手に殴りこんでくるバカがいると思ってこっちを警戒してみれば、案の定か」

「カインか。相も変わらず慎重な奴め」


 続いて飛んできたのは粘着質な声。聞き慣れたくもなかったが、ここ数か月で否応なく耳にし続けてきたカインの声だった。

 奴は腰の鞘から剣を抜き放ち、こちらにゆっくりと歩いてくる。


「階段はないはずだったんだけど?」


 この二階への往来はクレーンを使うか、吹き抜けに設置された滑り棒を掴んで滑り落ちるしかない。


「ふん、そんなこともわからないか? 六英雄の娘といえど、しょせんは平民というところか。二階にいた部下たちはクレーンで降りてきただろう? そのクレーンはまだ一階に降ろされたままだ」

「ああ、そういうことか」


 クレーンが下りたままなら、そのクレーンを吊るすロープも一階まで下りたままだ。

 不安定なロープを登るのはかなり困難だが、動作する音は発生しない。それに学院の高等部で教育を受けている奴なら、楽に登れるだろう。

 正面を陽動と読み切った以上、俺という侵入者の存在を警戒し、音の鳴るクレーンの使用を避けたというところなのだろうが。


「案外察しはいい方か? まあいい。功を焦ったな、ニコル。下に向かった連中にはクスリを持たせてある。痛みを麻痺させ、筋力を向上させる効果を強化したものだ。連中の腕力は一般人を上回るぞ。しかも俺が自ら改良した新型だ、筋力の増幅率は今までの比じゃない」

「あいにく、うちのデンも普通じゃなくてね」

「甘いな。オーガとも対等に殴り合える連中を相手に、どこまで耐えられるものかな?」


 その例えを聞いて、俺は笑い出すのを我慢するのに精一杯になった。

 そのオーガのさらに進化した姿がデンである。せいぜいオーガレベルの連中ならば、心配する必要もあるまい。

 もっとも教えてやる理由もないので、これは黙っておく。となると、当面の問題は目の前のカインである。


「お前ら、後ろに下がれ。ミシェルちゃんとクラウドを護るんだ」

「え、でも――」

「こいつは半端な相手じゃないのは、お前らも知ってるんだろう? いうことを聞いとけ」


 目の前に立つカインは、相変わらず気持ちの悪い雰囲気を纏っている。先ほど投げつけてきた棒きれの威力は、半端な物じゃなかった。

 それが正体不明の悪寒と化して、俺の危機感を煽っていた。

 敵意を剥き出しにして対峙している今だからこそ、わかる。こいつは……


「人間をやめやがったな?」

「超えたといってもらいたいな。しかし、後ろの連中を下げたのは賢明だ。そいつらは後で念入りに『処理』しておく」

「させねーよ。俺がここにいるからな」

「俺? そうか、そっちが地か。その方がむしろ好感が持てるな」

「ほっとけ。それに、お前はもう終わりだ。事の次第はすでにマクスウェルに伝えてある。大人しく立ち去るなら、少なくとも貴族らしく死ねるぞ?」

「それは困ったな。しかたない、お前を壊して、国外へ逃げるとするか」


 この野郎、もはや隠す気すらないじゃないか。

 だがその反応に、妙な違和感を覚える。国外に逃げても六英雄から逃げられるはずがないのに。

 ミシェルちゃんに手を出したことと言い、こいつの直近の行動は支離滅裂というか、後先を考えていない気がする。

 目先の事態の対応にだけ注力し、それだけを考えている。


 しかし、その疑問が氷解する前に、カインは俺に斬りかかってきたのだった。

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