第517話 侵入の手回し

 デンと別れた俺は、再び糸を飛ばして屋上へと登る。

 屋根は木造で斜めに組まれた木材の上に薄い金属板を張り付けたような構造で、頑丈ではあるが粗雑な作りだった。

 だが板一枚の構造と違い、金属の板が張り付けられているおかげで、俺の足音が倉庫の中に響く可能性は限りなく少ない。

 脚と木造の基礎部分の間にある金属が、クッションの役割を果たしてくれるからだ。

 屋根に金属板を貼っているのは、雨などによる木材の腐蝕を防ぐためだろう。


「とはいえ、このままでは屋根に穴を開けることは難しいな。フィニアがいれば沈黙サイレンスの魔法で音を消してもらえたのに」


 屋根に穴を開けるには、まず金属の板をはがさねばならない。

 そんな派手な行動を取れば、もちろん盛大に音が鳴る。これはさすがに見張りにも気付かれるだろう。


「いや、気付かれてもいいのか? 中の連中に先に知らせておけば、むしろ協力してくれるかもしれない」


 デンは時間をおいて正面から突入してくる。

 その騒動に乗じて、ミシェルちゃんたちを救出しないといけない。そのためには、それまでに救出の段取りを整えておく必要がある。

 この状況で救出するには、中の見張りの協力を仰ぐのが最も簡単だ。


 俺は時間ぎりぎりまで壁の周囲を這い回り、中の様子を確認して回った。

 倉庫の二階はいくつかの小部屋パーティションに区切られており、その一つで十人ほどの男が例の薬を作っていた。

 これを一階に降ろして保管しておき、その後人目を忍んで寮の隠し部屋に運び込んでいるのだろう。

 カインはすでに一階に降りているため、二階には見張り三人だけだ。行動するなら今のうちだろう。


「ならば、善は急げだ」


 先ほど開けた覗き穴に糸を伸ばし、倉庫内に糸を侵入させる。

 俺も再び壁に張り付き、覗き穴から中を覗き込んだ。いかに糸を自在に操作できる能力があるとはいえ、内部の状況がわからないのでは操りようがない。

 ミシェルちゃんたちが囚われている小部屋は、見張りの三人以外の人間がいない。

 三人全員が先ほど離反する風なことを口にしていたので、おおっぴらに交渉しても問題ないだろう。


 ミシェルちゃんとクラウドは床に転がされ、柱に繋がれた状態のため、部屋にはベッドすらない。

 しかし見張りの男たちが座る椅子くらいは運び込まれており、三人はそれぞれの席に着いて、落ち着かない風に足を震わせている。

 床にはミシェルちゃんたちに使ったらしい、空の小瓶が転がっていた。

 俺はその小瓶に糸を巻き付け、口元の空気の振動を糸先に伝える。

 こうすることで俺の声は小瓶へと伝わり、小瓶が拡声器のような役割を果たして声を増幅してくれる。


「そこの連中、聞こえるか?」

「な、なんだ! 誰だ!?」


 薄暗い倉庫内では、俺の糸を見つけることは難しい。連中にとっては、暗がりから女の声だけが聞こえてくるように思えたはずだ。

 まるで幽霊から話しかけられたような心地をしていることだろう。

 だが今は、その恐怖心こそが役に立つ。


「話は聞かせてもらった。彼女たちを救出するのに協力すれば、お前たちに便宜を図ってやろう」

「誰だ、どこから話しかけている!」

「それは今、重要なことではない。選べ、今お前たちは生か死の境目に立っているぞ?」


 正体不明なのをかさに着て、俺は上から目線な交渉を持ち掛けた。

 こういう状況で下手に出れば、舐めてかかられて話がこじれる可能性がある。

 一気に主導権を握り、話をまとめてしまった方がいい。


 現に男たちは、俺の言葉を聞いて、お互いに目配せをしていた。

 どうするのか、判断に迷っているのだろう。俺の姿が見えないだけに、カインの仕込みの可能性に思い当たったのかもしれない。

 奴が彼らに不審を抱いていたら、そういうこともするかもしれない。

 どうすれば信じてもらえるか、わずかに逡巡したのち、俺は自分の名を晒すことにした。


「ニコル、という名を聞いたことは?」

「あ、ある! このガキ……いや、このクラウドって奴が『ニコルが助けに来る』って言ってたぜ」

「それが私。協力してくれるかな? しないなら始末するけど」


 女とわかると侮って来るかもしれないと思い、口調だけいつもの調子に戻し、姿は見せずに脅迫する。

 男たちは声だけ聞こえてくる正体不明の存在に恐怖を覚えたのか、揃って一筋の冷や汗を流して硬直している。

 ダメ押しに俺は一本の糸を男の一人の首に巻き付け、一瞬だけ締め上げ、解き放つ。


「うぉっ!?」


 首筋の感触に慌てて手をやった時には、すでに糸は離れている。

 これで俺が、いつでも男を絞め殺せることは知ったはずだ。


「どうする?」


 再度問いかける俺の声に、男たちは勢いよく二度、三度と首を縦に振る。

 その様子を見て、俺はようやく連中に計画を話し出したのだった。




 男たちに事情を説明した後、屋根の上から正面の様子を観察する。

 デンは悠々とした足取りで倉庫の入り口までやってきた。無論その様子は、見張りに立っていた連中に発見される。


「おい、そこのお前、なにしにきた!」


 デンは男の声にはまったく答えることなく、さらに扉へと近付いていく。

 見張りの男はそれを見咎め、実力行使で止めようとした。


「近づくなって言ってるだろ、聞こえないのか?」


 執事服を着たデンの胸ぐらをつかみ上げようと、伸ばされる腕。

 その腕を弾き飛ばし、逆に胸ぐらを掴み、男を軽々と持ち上げるデン。腐っても……というのは言葉が悪いが、元オーガの膂力を存分に発揮し、まるで丸めた紙切れでも投げるかのような無造作さで、男を扉に投げつけた。

 見張りの男は甲高い悲鳴を上げながらすさまじい勢いで扉に衝突し、ぶち破って倉庫の中へと消えていく。

 その騒音は、屋根から覗く俺の元にまで届いていた。

 つまり、倉庫中に響き渡ったと見て間違いない。


「聞こえたな?」

「あぁ」


 糸を使ってミシェルちゃんたちを見張る男に確認を取る。

 どうやら二階の奥にいる彼らの元にも、しっかりと騒音が届いていたらしい。


「どうやら調薬係の連中が対応に向かったようだ。二階は他に人はいない」

「そうか、なら派手に音を立てても大丈夫だな」


 俺は強化付与エンチャントを全身にかけ、勢いよく屋根の金属部を引き剥がしにかかったのだった。

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