第520話 変貌

 敵に背を向けていた俺が、その攻撃を躱すのは難しい。

 一瞬の隙を突かれ、背後からの急襲を許し、とっさに糸を手放し、前方へと跳躍するのが精いっぱいだった。

 かろうじて直撃は避けることができたが、したたかに背中を痛打され、大きく吹き飛ばされることになる。

 二度ほど床をバウンドし、壁に叩き付けられてようやく停止する。


「かはっ!?」


 衝撃で肺が圧迫され、大きく息を吐きだして目の前が暗くなる。

 ガクリと首が落ち、散らばりそうになる意識を強引にかき集めた。

 無理やりにでも意識を繋がなければならない。戦闘中に気絶することはもちろん危険だが、元カインだった『奴』は、俺を吹き飛ばした後、意識を失って身動き取れないミシェルちゃんたちに視線を向けたからだ。

 護衛を任せた三人は腰の剣を抜いて構えてはいるが、いきなり変貌を遂げた『ボス』の姿に硬直し、棒立ちとなっている。

 あの有様では、襲い掛かられたら一瞬で首を刎ねられるだろう。


「そっちに、行くんじゃねぇ――!」


 注意を引き戻すべく、フラフラした足取りで立ち上がり、カタナを振ってアピールする。

 抵抗する術のないミシェルちゃんたちの元に向かわれては、それこそ一撃で命を落としてしまう。

 是が非にでも、奴の注意を俺の元に引き付け続ける必要がある。


 だからといって、俺に決定打は存在しない。

 植物系のモンスターと融合し、呼吸すらしなくなった『奴』に、糸は相性が悪い。

 カタナも、トロールの硬い外皮に阻まれ、決定打にはならない。

 なにより、多少の傷は自動回復してしまう。

 それに『奴』は命の危険に直面して、さらに進化しているようで……いや、これは侵蝕が進んだというべきか?

 吊るされた首が伸び、手足は長く太く変化して足関節も逆向きになっていた。

 そのシルエットはすでに人間といっていい物ではない。


 それを直視した三人の見張りは、腰を抜かして床にへたり込んでいた。

 それどころか床に水溜りすら作っている。もはや完全に心が折れていた。

 もはや護衛の役目を果たせるような状況ではない。


 ミシェルちゃんたちの方に向かわないよう、『奴』の注意をこちらに完全に張り付けるべく、無謀ともいえる突撃を敢行する。

 糸による身体強化と、体内への操糸の干渉も行い、持てる全力で『奴』の足を斬り飛ばそうとする。

 しかしカタナは直撃したにもかかわらず、足の半ばまで食い込んだところで止まってしまった。

 それは同時に、俺の動きが止まったことを意味している。


 薄暗い照明が、一瞬翳る。俺の頭上に『奴』の腕が振り上げられた証だ。

 そして影は歪な爪の形を俺の顔に落とす。爪も人を引き裂きやすいように、変化しているようだった。


「くっ――」


 直撃すれば、確実に頭部が砕かれる。それもザクロのように粉々に。

 それを察し、カタナから手を放して背後に飛び退る。

 だが一瞬だけ間に合わず、爪先が俺の胸を斬り裂いた。バタバタと血が撒き散らされ、片膝をつく。


「っそう……無駄にでかくなけりゃ、避け切れたってのに」


 骨には達していない。重要血管も外している。が、出血量が多いため、このままだと危険だ。

 早々に処置しないと、気を失う危険もある。


「武器も失い、出血も多い、か。こりゃ本格的にまずくなってきたな」

「グルルルルルォォォォォォォォ……」


 元カインだった『奴』は、もはや人の言葉すら喋れなくなっていた。

 おそらく首が伸びたことにより、声帯が変化したせいだ。

 半端にモンスター化し、それに適応してしまったが故に、異常進化してしまっている。

 あれはもう人間でもなければ、ファンガスでもトロールでもない。


 肘や膝の関節からは角のようなものが飛び出し、すでに人の形を成していない。

 より攻撃的に、より凶悪に変化している。

 斬り付けた肘の傷も、すでに治っていた。盛り上がる肉に押され、カタナが床に落ちている。


「さて、どうするか……」


 『奴』がどんな薬をどう調合したのか、俺にはわからない。

 だが、戦力を求めていたからには、碌な薬ではないだろう。元より平民をゴミのように考えていたやつだ。

 兵士を使い捨てるために、違法な薬をてんこ盛りに混ぜ込んだに違いない。

 その結果が、目の前にある。


 強化を全力で施した先の一撃は、ライエルすら超える威力を持っていたはずだ。

 それすら腕の半ばまでしか斬り裂けなかった。

 外皮の硬さだけではない。内部まで『肉ではない何か』に変化している。現に、斬った後の出血はなかった。


 次に考えた手は、レイドの姿に戻って強化付与エンチャントなどを施すこと。あの肉体ならば、ニコルのそれよりも遥かに強靭だ。

 強化の度合いはさらに増すことは間違いない。さいわいコルティナと長く会っていないため、変化ポリモルフの使用不可時間は過ぎている。

 巻物スクロールの予備も、腰のポーチに入っていた。


「それでも……勝てるとは思えねぇな」


 レイドの姿に戻ったとして、確かに威力は増すだろう。

 しかし『奴』の身体も、斬撃を受けてさらに進化している。斬撃を受け止めるために、攻防一体の角まで関節に生やしたくらいだ。


「奴は、姿を変えてより進化した。なら俺もそれを打ち破れる強者を」


 そんなもの、考えるまでもない。

 俺の目指す英雄の姿を体現した男がいるのだから。

 しかしそれは――


「かまうものか。俺が俺を超えるために……俺であることを、捨ててやる!」


 スクロールを取り出し、変化ポリモルフの魔法を起動する。

 ミシミシと軋む痛みは、もはや慣れたものだ。


「お、おおお……うおおおおぉぉぉぉぉおおおおお!!」


 いつもよりも高い身長に変化する。

 いつもよりも肉厚な身体に変化する。

 皮膚の下にはみっしりと、しかし動きを妨げない程度の筋肉が詰まっている。しかも最上質の筋肉が。

 それを支える骨も頑丈にして強固。多少の衝撃では揺るぎもしない肉体。

 例えギフトは変わらなくとも、明らかに戦士として格上の存在へと変化した。


 俺の目指した英雄――ライエルの姿だ。


 変化ポリモルフの魔法は、よく知る対象の姿に変化する。

 幸いといっていいのかどうか、俺はライエルの身体はよく見ている。

 前世では大衆浴場に一緒に入ったこともあるし、今世では不本意ながら風呂に入れられたこともある。赤ん坊の時に。

 だから奴の肉体については、変な意味ではなくよく知っていた。

 それが今回、役に立ったというわけだ。


「待たせたな、化け物。変身できるのが自分だけだと思うなよ?」


 温和なライエルの顔に、凶悪な笑みを浮かべ、俺は『奴』に手招きして見せたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る