本編

第4話 人生再開


 暗い、暗い闇の中から……俺はゆっくりと目を覚ました。

 覚ました……はずだった。


 開いた眼は、全く像を結ぶ事無く、世界がぼやけて歪んていた。

 それだけじゃない。手足もまるで言う事を聞かず、力が入らない。

 いや、手足だけじゃない。首も……身体全体が、まるで動かなかった。


 それもそのはず、考えてみれば意識を失う前の状況はひどいモノだった。

 孤児院の神父がなぜか魔神召喚に踏み出し、数人の子供を生贄に召喚が成功してしまったのだ。

 だが俺たちという邪魔が入った事で、神父は目的を果たすことなく、俺に倒された。

 それはそれで良かったのだが、召喚者を失い自由になった魔神を放置する訳には行かなかった。

 その時俺の背後には、腰を抜かした子供たちがいたし、近接戦闘の心得のないコルティナも一緒にいたのだから。


 戦わない訳には行かなかった。

 とっさにコルティナに逃げるように命じ、俺は単独で魔神との戦闘に入った。

 彼女も状況を即座に把握し、必ず助けを呼んでくるからと言ってその場を離れた。

 非力な彼女では、子供を抱えて逃げる事も難しかっただろう。生き延びた子供は、まだ十人程度もいたのだから。


 かろうじて魔神を討伐する事ができたが、俺は左手と右足が砕け、胸から腹にかけて大きく引き裂かれた。

 あの有様で――まだ息があっただけ儲け物である。


 自称神の言葉によると、俺は再びこの世界に舞い戻ってきたはずなのだが……声も出なければ、手足も動かない。


 ――何が起きたんだ!?

「ふぎゃああぁぁぁぁぁ!?」


 その声すら言葉にならず、子猫の鳴声のような珍妙な悲鳴しか上げられなかった。

 やがて俺の顔を温かい何かで拭うような感触があり、口元に柔らかい何かが押し付けられる。

 俺は本能的にそれにむしゃぶりつき、そこからにじむ甘い何かを嚥下した。

 そして腹が満ちると同時に、再び眠りの中に沈んでいったのだった。





 何が起きているのかは、それから数日経ってようやく把握できた。

 俺は――赤ん坊として生まれ変わってしまったのだ。

 あの神が言っていた裏道。つまり蘇生させることは禁忌に触れるが、新生児として生まれ変わるなら有りという事だったのだろうか。


 しかも視力が安定して気付いたのだが……


「おはよう、ニコル。今日は早起きなのね」


 目を覚ました俺に目聡く気付き、口元にはだけた胸を近付けてくる清楚な美女――マリア。

 そう、かつて聖女と呼ばれた俺の仲間である。

 そして彼女がニコルと呼びかけているのは……俺だ。

 つまり俺は、かつての仲間の子供として生まれ変わってしまったのだ。


転生リーインカーネーションの魔法は最高位に位置する神聖術だ。

 だがこの魔法、掛けた本人も術の成功しか確認できず、しかもどこに転生するかも分からないという、どうにも微妙な効果を持った魔法だった。

 つまり、俺がかつての仲間のレイドである事は、マリアすら理解できていないという事になる。


 だからこそ、無防備に俺に乳房を押し付けてくる。もし彼女が俺をレイドだと知っていたら、まずありえない行動である。

 下手したら張り手の一つも飛んできてただろう。彼女の貞操観念は中々に厳しかった。


 かつてライエルと覗きを敢行した時飛んできた神罰バニッシュという攻撃魔術は、本気で死ぬかと思った物だ。

 しかもコルティナが俺達の逃走ルートを的確に押さえたため、あっさりと捕縛されてしまった経験がある。

 若気の至り、という奴だ。


「ふぎゅううぅぅぅ」


 俺は呻き声を上げて、食事を拒否した。

 まだ首を動かすほどには筋肉が付いていないのだ。

 それに、いくら俺でもかつての仲間の胸に吸い付くほど、分厚い面の皮は持っていない。

 何より、バレた時が怖い。


「うぎゅう。ふあぁぁぁぅ」

「あら、お腹はいいのかしら? ニコルは小食なのね。少し心配だわ」


 俺は自身が赤ん坊に転生してからこの方、碌に食事を取っていない。

 いや、マリアは正直非常に美しい女性ではあるのだが、俺と言う自我が目覚めてしまったのだから仕方ない。

 これが全く見ず知らずの女性だったら、素知らぬ振りをして吸い付いていたかもしれない。


 だが俺なのだ。

 

 かつて死線を共に潜り抜けた、仲間なのだ。

 ついでに言うと、彼女の夫はあのライエルなのだ。

 共に戦う仲間でもあり、ライバルでもあり、そして俺が到る事ができなかった『英雄の姿』を体現した男。

 その妻の胸に、どの顔してむしゃぶりつく事ができようか。


 そんな訳で、俺は自発的にハンガーストライキ状態に入っていったのだった。





 母親の乳を吸わないと言う事で、俺の育児にマリアは四苦八苦する事になった。

 悪いとは思うが、こればかりは妥協できない。

 結局、牛の乳を適度に温めた物を飲ませる事で、かろうじて生を繋ぐ事ができたのだ。


 今日も綿に含ませた乳を口に含んで食事を取っていると、ライエルが起き出してきた。


「おはよう、マリア。それにニコルも」


 そう言って俺を抱いたマリアを抱き寄せ、朝っぱらから情熱的な口付けを交わす。

 そして俺の頬に――気色の悪い事に――同じように口付けた。


「ふあああぁぁぁぁうぅぅぅ!」

「あら、怒っちゃった? ニコルはパパが嫌いなのかしら?」

「な、なんだと!?」


 抵抗の意思を示した俺に、マリアは悪気無く、残酷な真実を告げる。


 事実、俺はライエルの事が好きではなかった。

 俺だって勇者と言う立場に憧れが無かった訳ではない。むしろ人よりも遥かに強い憧憬を持っていたと言っていい。


 強く、たくましく、英雄の代表格たる剣士。その強さに憧れたからこそ、俺は強さを求めた。

 だが、俺にはその素質は無かったのだ。それでもあきらめる事ができなかった。

 だからこそ、剣に頼らぬ戦い方を模索し、創意と工夫をもって自身の戦い方を構築したのだ。


 そんな俺にとって、俺の理想的英雄像を体現したライエルは、非常に微妙な感情を掻き立てる男だった。

 誰よりも頼りになり、誰よりも憧れ、誰よりも嫌悪感を持つ相手だ。

 そんな相手から頬に口付けを受けるなんて、背筋が粟立つような感覚を覚えるのだ。


 衝撃を受けたライエルは、悄然とした表情のまま、素振り用の剣を持って庭に出ていった。

 窓から、そこで日課の型を流しているのが見える。

 その動きは力強く、流麗で、そして鋭かった。


 俺が夢にまで見た、勇者の姿がそこにあった。

 生前、力が無く、持久力に欠けた俺にはできなかった戦い方だ。


 だがそこで俺は電流を浴びたように体を震えさせた。


 そうだ、この身体はライエルとマリアの子供。

 つまり、ライエルの強靭さと、マリアの魔力を受け継いでいるかもしれないのだ。

 今世の俺なら、剣士として大成できるかもしれない。その道標となるべき存在は、目の前にいる。


 かつて目指し、挫折した剣士の道を、俺は目指せるかもしれないのだ。

 いや、マリアの魔力も引いていれば、魔法剣士としての道も拓けるか可能性だってある。


「にゃああうう!」


 俺は手を振り上げ喜びを表現した。

 だがその力はあまりにもか弱く、短い腕は顔の前まで持ってくるのがやっとだった。


「ニコルってば、お父さんの剣を見るのが好きなのかしら? 実は甘えたいんじゃないの?」


 そんな俺の態度を誤解し、頬をプニプニ突ついてくるマリア。

 そう言えばこいつは、こういう勘違いをする奴だったな。

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