第612話 緒戦
邪竜と対峙してみたモノの、俺に勝ち目など欠片もない。
実際今も、どうやって倒したものか、その打開策は全く浮かんでこない。
「レイド、今度こそ、今度こそ貴様をォォォ!!」
イフリートの姿のまま、クファルは喚き散らしている。人の姿だったなら、狂相を浮かべ、涎を撒き散らしていたことだろう。
コルティナを狙っていたことはすでに忘却の彼方に去っていったか。
「それはこっちのセリフだ、今度こそ終わりにしてやる!」
俺は叫びながらも糸を放つ。もちろん体内への強化を施した状態で、だ。
邪竜はクファルの命令がないうちは、明確に攻撃行動に出てこない。奴が俺に向かって喚いている間は、空気を読んで待機してくれていた。いや、これが召喚された者の本能というべきか。
おそらく命令が無いと、主観で動くことができないのだろう。
現に攻撃を受けたというのに、反撃の素振りすら見せない。もしくは俺の攻撃は、攻撃とは見做されなかったのか。
奴の巨体と堅牢な鱗、それに分厚い皮膚を貫けるほど、俺の糸は高威力を出せなかった。
もしこの身体がライエルの物だったら……と考えなくもなかったが、そもそも剣と糸では威力の基盤が違う。
長いリーチをしならせることで速さと鋭さを出す糸と比べ、剣は腕力を直接伝える硬さがある。
強く地面を踏みしめ自身の力を余すことなく敵にぶつける剣と違い、糸は勢いで敵の防御を貫けなかった場合、あっさりと跳ね返されてしまう。打撃を押し込む強さが段違いに違うのだ。
かといって半端な剣では、奴の鱗の強度に負けて、逆に破壊されるだろう。。
「結局、手詰まりじゃないか。どうしたもんかね」
軽口を叩いてみるが、俺の頬には冷や汗が流れ落ちている。
強化された俺の糸の先端速度は音速すらも超える。その破壊力は、我ながらちょっとしたものだと自負していた。
しかしそれでも痛痒すら与えられなれなかった。ライエルと違い、糸の攻撃の『軽さ』が裏目に出ている形だ。
「ヒヒヒヒ……効かんよ、レイド! こいつを誰だと思っている!」
「知ってるよ。おそらくこの世界の誰よりもな」
「やかましい! お前は一々口ごたえを……コルキス、さっさとそいつを始末しろ!」
「――――――――――!!」
再び轟く、邪竜の咆哮。その威圧感に呑まれぬよう、俺は必死に歯を食いしばった。
邪竜と相対して、生還したものは数少ない。俺たちはその少数に含まれている。
かろうじて勝利を収めたとはいえ、その恐ろしさは身に染みて理解していた。
「レイド、そこに邪竜を移動させろ!」
攻め
そこには一本の杉の木がポツンと立っており、この草原ではいい目印になっていた。
その意味は俺にはわからないが、口数の少ない彼が指示を出すことの重要性を、俺は知っている。
クファルによって『俺』を標的に指定された邪竜は、コルティナたちには目もくれず、一直線に向かってくる。
それは誘導する側としては非常にありがたい展開だ。
糸によって強化された俺の身体は、体重の軽さも相まって、矢のような速度で木に向かって駆けだした。
その速度は、邪竜ですら追いきれないほど鋭く、余裕をもって木の根元まで辿り着く。
この速度ではブレスは当たらないと判断したのか、邪竜は俺に迫り尻尾を使って薙ぎ払う攻撃に出ようとしていた。
足を止めた俺は瞬く間に追いつかれ、その攻撃を跳躍して躱す。
その時、俺は邪竜の頭上に何か光るものを発見した。
かなりの高度から凄まじい速度で地上に落下してくるそれは――
「うおおおぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおお!?」
「な、なんだ!?」
雄叫びなのか、悲鳴なのかわからない声を上げて落下してくるライエルだった。
重力の力を借りて、物凄い速度で邪竜の頭に追突する瞬間、ライエルは容赦なくその剣を突き立てていた。
「グギャルルルルルゥオオオオオォォォォォォォッ!」
これにはさすがの邪竜もノーダメージとはいかない。不意打ちの痛みと、隙を突かれた屈辱で憤怒に満ちた怒号を上げる。
ライエルの方はそのまま地面に落下し、ピクリとも動かない。
それはそうだ。あの高度からあの速度で落下し、邪竜の頭蓋骨に衝突して無事な方がおかしい。
「これはいったい――」
「マリアの仕業よ。ライエルだけの力じゃ邪竜の分厚い防御は貫けない。だから上空に転移させて、落下速度を乗せて斬り掛からせたんだわ」
「んな、無茶苦茶な!?」
たしかに
それが地上ならば、地平線の関係で数キロメートルが限度だろうが、上空ならばその距離は飛躍的に伸びる。
だからといって、それを思いついて実行させるとは……
「俺がやれといったんだ、マリアを、責めるな」
「ライエル、生きていたか!」
「もうすぐ死にそう」
「が、がんばれ!?」
「ライエルは私が連れ戻すから、レイドは邪竜の注意を引いていて! ガドルス、守りは任せるわよ」
「おう!」
ライエルの決死の攻撃は無駄には終わっておらず、邪竜は頭部から右目にかけて深々と斬り裂かれていた。
その影響で右側の視界が奪われているであろうことは、一目で理解できる。
俺はあえて邪竜の左側に回り込み、ライエルを邪竜の視界から隠した。
同時にコルティナがライエルの回収に走る。
その間、クファルは何をしているのかと視線を向ければ、なにやら苦悶の表情を浮かべ、必死に頭を押さえていた。
「なるほど。邪竜を制御するのは、貴様でも手を焼くか」
「黙れ、貴様を殺した後はラウムを焼き払ってやる!」
そのクファルの言葉に、俺は違和感を覚えずにはいられなかった。
ラウム? 奴が最も憎んでいたのは、世界樹教の総本山であるベリトではなかったか?
邪竜という圧倒的な力を得て、宿敵の俺やライエルを狙いに来るのはわかるが、その次がラウムというのは、少しばかりおかしく感じる。
「なぜラウムなんだ? ベリトじゃないのか?」
「ハ、あの街はもう終わりだよ! 俺が仕掛けた罠に巻き込まれてなぁ!!」
唾の代わりに口から炎を撒き散らしながら、クファルが吠えた。
その言葉に、この混乱はまだまだ先があると、俺は把握したのだった。
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