第613話 最後の切り札
クファルがベリトに何かを仕掛けてきたのは、理解した。
だからといって、今すぐベリトに駆けつけるというわけにはいかない。
目の前には邪竜が存在し、背後にはガドルスに守られたライエルとコルティナがいる。
今俺が消えれば、コルティナたちの命は確実に消え去るだろう。
「ならば、ここでお前を倒すしかない、というわけか」
「できるものならやってみろ!」
叫ぶクファルに俺は糸を飛ばすが、その間に邪竜が割って入る。
無論、糸が当たったところで、今のクファルには何の痛痒も与えなかっただろうが、攻撃されたという事実に邪竜が反応したというところか。
その一点だけでも、邪竜がクファルの支配下にあることが理解できた。
ともあれ、糸では邪竜にダメージを与えることはできない。ならば物理的な硬さを持つカタナで斬り付けるしかないのだが、頑丈なだけのこのカタナでは、いささか役者が不足している。
できることは邪竜の目を潰し、クファルを牽制して足止めしている間に、ガドルスにライエルを連れて戻ってもらい、ベリトに連絡を飛ばすというくらいか?
「ガドルス、ライエルの容体は!?」
「無事だ。幸いここには、エリクサーの欠片があったからな!」
そう言って彼が掲げたのは、ネックレスになった小さな蔦の容器。
それはフィニアが作り上げた、六英雄を見分けるための秘薬を収める容器だった。
匂いで互いを識別するための物だったが、思わぬところで役に立ったらしい。
そんな俺たちのやり取りに痺れを切らせたのか、邪竜は俺より先に行動に出た。
頭を少し逸らし、大きく息を吸い込む仕草。明らかにブレスを吐く予備動作だ。
俺は横っ飛びに回避しつつ、背後に向かって警戒の言葉を飛ばす。
「ガドルス、ブレスだ!」
「おう!」
ドワーフが持つには大きすぎるのではないかと思えるくらいの大盾を、地面に叩きつけるようにして立てるガドルス。
俺もブレスを避けるべく、大きく跳躍していた。
体内に操糸を及ぼした俺の身体能力は、一般的なそれを大きく上回る。
体重の軽さも相まって、俺の身軽さはもはや人外の領域に存在した。
それでも足のすぐ裏を炎で炙られたような感覚が走る。
どうやら本当に間一髪のタイミングだったようだ。
「ガドルス、無事か!?」
「な、なんとかな……」
大盾によって炎を掻き分け、ガドルスと背後のコルティナたちは無事だった。
しかし周辺の大地は焼き払われ、土が溶けて赤熱している場所すら見て取れる。
あの様子では何度も防ぐのは難しいだろう。そう判断して俺はさらに位置を変えていく。
その俺を追うように邪竜は首を巡らせ、今度はさらに大きく息を吸い込んだ。
「くそ、徹底的に距離を取るつもりか!?」
さらに大きく跳躍し、ブレスの射線から退避する。その直後に再び邪竜のブレスが駆け抜けていった。
ドンと、衝撃すら
地面が木っ端のようにめくれ上がり宙を舞う。
先ほどの熱量だけのブレスと違い、明確に全力で放ったものだ。
空中で体勢を崩した俺は着地に失敗し、俺は地面を二転三転してようやく止まり、背後を振り返る。
そこには、想像を絶する光景が広がっていた。
大地はめくれ上がり、一直線に幅数メートルを超える窪みが山に向けて走っている。
そしてそれらの破壊を撒き散らしたブレスは、山を大きく抉り、その形を変えるほどになっていた。
先ほどのブレスとも、二十五年前のブレスとも桁の違う破壊力。これが邪竜の真骨頂なのだろう。
先ほどのブレスは明らかに牽制。そして二十五年前のブレスは、自らの巣ということである程度加減したものだったに違いない。
これこそが、本当の邪竜の力。三か国を滅ぼした破壊の権化の姿だ。
「勝てる……わけが……」
絶望感が俺を支配し始める。
今までは、少しでもどうにかなるんじゃないかという、淡い希望が残されていた。
しかしこの一撃は、そんなものを容赦なく粉砕してのけた。
どうやったら地形を変えるほどの破壊力を、ほんの数秒で放つような化け物と戦えるというんだ。
山は三分の一がすでに抉られて、あと数発も受ければ跡形もなくなってしまうだろう。
そうなると、山向こうの開拓村も、安全ではいられまい。
考えてみれば、奴の巣は山腹を溶かして洞窟にしたものだった。地形を変えるほどの破壊力は、あって当然だ。
二十五年前はコルティナが戦場を設定し、邪竜に全力を出せなくしていた。
ガドルスとマリアが、俺たちを守ってくれていた。
マクスウェルとライエルが、奴の防御を貫いてくれていた。
だからこそ勝利できた。俺がやったことと言えば、ちょっとばかり罠を仕掛けただけである。
「クハハハハハ! 素晴らしい、見たか、レイド? これが世界を破壊する力だ!!」
その時、耳障りな哄笑が俺の耳に届いた。
明らかに馬鹿にした言葉。それが俺の反骨心に、僅かばかりの火を灯した。
確かに俺は、昔から敗北してばかりの弱者だった。
それでも六英雄と呼ばれるほどまで成長できたのは、この反骨心あってのことだ。
だが目の前の現実をどう受け止める? あれこそ真の世界最強。本当の意味での化け物。
それを非力な俺がどう倒す?
いや、非力というのは間違いだろうか? 俺は生まれ変わり、様々な力を手にしてきた。
純粋な腕力なら、ライエルの姿を借りることで、ライエル自身を超えるほどの力を発揮できていた。
ならこの化け物相手に……化け物?
「そ、うか……まだ、手はあるな」
「は? 手があるだと? このコルキス相手にどんな手があるというんだ? お前みたいな非力なゴミに、なにができるというんだ!」
こちらを徹底的に嘲る、クファルの声。だが今の俺には、それにかまっている余裕はない。
思い出せ。正体がバレた時のマリアの魔法。二十五年前に目にした光景。白い神――破戒神ユーリの言葉と授けられた力。それを育てた、マクスウェルの教え。
幸か不幸か、状況はすでに整っている。
「やってみるか――ガドルス、コルティナとライエルを連れて、ここを離れてくれ」
「いや、しかし……」
「いやよ! 私は最後まであなたといるって――」
「聞いてくれ、コルティナ。お前がここにいると、俺が全力を出せないんだ。お前たちまで巻き込んでしまう。巻き込まないように加減していたら……邪竜には勝てない」
「……え?」
俺の言葉にコルティナは一瞬、我を忘れた様な顔をしていた。その隙をついて、ガドルスが彼女を抱えて、この場を離れていく。
その間も、邪竜は俺たちを攻撃することなく、見送っていた。
これはクファルが、俺の『打つ手』を見たいためだろう。
「行くぞ。
「ふん、どんな手か知らないが、やれるものならやってみるがいい。正面からそれを撃ち砕いて、再び絶望に突き落としてくれる。お前を贄に捧げて呼び出す魔神は、どれほど強力な物かなぁ?」
なるほど、わざわざ俺の一手を待ってくれているのは、俺を絶望に落とすためか。
そして俺を贄に捧げて、さらに魔神を呼び出すと。
さっきまでは『殺せ』と連呼していたのに、少しは正気が戻ってきたんじゃないか?
最大の魔力、最大の効果時間、対象は自分。ありったけの魔力を込め、全力で制御し、いまだ成功したことのない魔法を練り上げる。
マリアは俺の正体を知った時、『あらゆる呪いを解除する』魔法を俺に掛けていた。
そして、変化の
それを解除された今なら、この魔法が使えるはずだ。
「
干渉系魔法の最高位。そこに位置する俺の持てる最大の手札。それを今、ここで解放したのだった。
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