第619話 神との邂逅

  ◇◆◇◆◇



 そこは白い空間だった。

 天井も床も白く、それらの境界すら知覚できない、影すら存在しない白い空間。

 そこに立つ『彼』の目の前に、白い少女が舞い降りた。


「はーろーぅ」

「誰だ?」


 その少女は髪も肌も白く、目だけがまるで紅玉のように赤い、美しい少女だった。

 だというのに、その少女の姿を正しく認識できない。

 表情を構成するパーツごとなら認識できるのだが、それらを統合して認識できない。


「誰だ、お前は……」

「わたしかぃ? わたしゃ神様だよ」


 威厳を感じさせない軽い口調で、少女が答える。

 美しい声だと認識できるのに、『彼』にはその声がどんな響きを持っていたのか、思い出せなかった。ただ意味だけが脳裏に残される。


「なぜ、記憶できない……」

「それはわたしが認識阻害を掛けているからですよ。素顔のわたしは、いろいろと危険ですので」


 この現象が、目の前の白い少女の影響だとわかり、『彼』はとりあえず納得することにした。


「ここは、死後の世界か?」

「正確にはその手前でしょうかね。まああなたは完膚なきまで、完全に死んでますが」

「なら、俺は再び魂の円環の中に戻るということか」

「そうなりますね」


 軽く肩をすくめる白い少女に、『彼』は納得した。

 最後に残る記憶では、確実に自分は死んでいたのだから。


「転生……か。いいさ、次の生でも、俺は決してこの怒りを忘れない」

「それは無理でしょうね、クファルさん」

「なに?」


 少女に名前を呼ばれ、『彼』は初めて、自分の名前を思い出した。


「そうだ、クファル……それが俺の名前。なのに、なんだ……思い、出せない」


 思考は霧がかかったかのように拡散していき、それを意志の力で無理やり収束させる。

 それすらも、時と共に難しくなっていく。


「なぜ、無理だというんだ? 俺の怒りは魂に根差したものだ。刻み込まれたものだ。生まれ変わったとしても、決して消えはしない」

「それは不可能ですよ。だってあなたの魂はこれから『浄化』されるのですから」

「浄化、だって――?」

「ええ。あなたの仕業ですよ。世界樹の集魂機構ヴィゾフニール・システムを再起動していたでしょう?」


 折れた世界樹の、死者の魂を集める機能。世界樹の中に取り込み、浄化し、そして再び生命として世界に戻っていく。

 しかしそれは、いつの間にか失われていた。

 だがそのおかげで、人は死者を復活させる魔法を使用することができていたのだ。

 魂が世界樹に取り込まれないからこそ、死した体に引き戻すことができる。しかし世界樹が魂の収集を再開したことで、魂は身体に戻すことができなくなった。

 その役割を負っていた宝珠を、自分が再生したのだから。

 故に彼は蘇生できず魂は世界樹に回収され、そこで浄化を受けることになる。徹底的に。


「馬鹿な、俺の怒りが消されるだと! そんなことが許されるとでも――」

「許されようと、無かろうと、それが唯一の真実ですよ。あなたは消える。怒りも、記憶も、執着も。根こそぎ浄化され、無垢に戻されるんです」

「い、いやだ――いやだ! 俺は俺のまま生まれ変わるんだ!?」


 霧のように拡散する身体。それを強引に引き戻して頭を抱え振り仰ぐ。

 そんなクファルを見て、少女――破戒神ユーリは悲しげに首を振った。


「本来なら、前回の転生時にあなたの記憶は消されるべきでした。そうすれば、ここまで被害が広がることもなかったでしょう」

「ふざけるな! 貴様も、俺を否定するのか!? 俺を、俺の人生を!!」

「それを台無しにする行為を行ったのは、あなた自身でしょう? 世界樹に手を出すべきではなかった。」

「いやだ! ふざけるな! ちくしょう……ちくしょう!!」


 破戒神に詰め寄ろうとするが、一歩たりとも足を動かすことができない。

 ただ拡散していこうとする身体を、必死に繋ぎ止めるのが精いっぱいだった。

 足が動かないならと手を伸ばしてつかみかかろうとするが、伸ばした指先から霧散していき、慌てて引き戻す。

 しかしそれを妨げるようにまとわりつく霧が、一条だけ存在した。


「は、離せ! 俺に触れるな!?」

「覚えはありませんか? その霧、リジスさんですよ」

「り、リジス……は、はは……復讐に来たのか、俺を……消すために!」

「いいえ、彼女はあなたと一緒にいたいだけです。健気じゃないですか」

「一緒に……だが、俺はまだやっていない! やらねばならないことを、成し遂げていない……」


 クファルは消えないように、身体を小さく丸めていないと一気に消えそうな恐怖に襲われていた。

 リジスの想いはありがたく思う。絶望に突き落としたというのに、自分を受け入れ一緒にいてくれるというのなら、それはこの上なくありがたいことだ。

 もし生まれ変わる前に彼女と出会っていたら、召喚術に身を任せ、世を恨むこともなかったかもしれない。


 しかしそれは遅い、遅すぎた。

 もはや後には戻れない。レイドを倒し、半魔人たちの優位を確立せねば、死んでも死にきれない。

 だがその執念も、破戒神によって突き放されてしまう。


「あなたの魂は浄化され、こねくり回され、他者のそれと混じり合い、切り分けられ、そして新しい生命として生まれ変わります」

「いやだ、ダメだ! 俺は俺のまま、レイドを……あいつに復讐して――」

「もはやそれは、叶わぬ望みです。それに彼は死んでいませんし、再び出会うこともないでしょうね」

「なぜだ、なぜ奴だけが生き延びる! なぜ奴だけが優遇される!?」

「優遇? 彼だって必死に生きているんですよ。あなたとは考え方が違っただけです」


 レイドとて、幸福な少年時代を送ったというわけではない。この世界に転生してからも、彼の――彼女の人生は苦難の連続だった。

 何度も死の危険にめぐり逢い、それを紙一重で乗り越え、ここまで生きてきた。

 だがその努力を、クファルは認めることはできない。それは、他者を恨み、妬むことで生きてきた彼の敗北を認めることに繋がるからだ。


「いやだ! そんな、消えたくない、俺が消えるのは嫌だ、怒りが消えるのは嫌だ……」

「みんな、そういうんですよ。自分が消えることに恐怖を感じる。でも安心してください。消えてしまえば、そんな恐怖も忘れてしまいます」

「あ、あああ、あああああぁぁぁぁぁぁぁ……」


 ついにしゃがみ込み、慟哭するだけになってしまう。

 クファルの身体は霧が広がるかのように拡散し、そしてどこかへ消えていく。

 やがて慟哭は嗚咽となり、それすらもか細く消えていった。


「さようなら、クファルさん。いえ、そうだった『何か』。もうあなたとして再会することは、二度とないでしょう」


 小さく、破戒神がつまらなさそうに呟く。

 そして彼女が姿を消した時、そこには何も残ってはいなかったのだった。



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