第504話 怪盗ニコル
深夜になって、俺はこっそり部屋を抜け出した。
とはいえ、デンには事情を話しておかないと心配するだろうから、彼にだけは挨拶だけしておいた。
闇に紛れるような、おなじみの濃紺の服とマント。
顔を隠すように
元々治安のあまり良くない街なので、夜の人通りはラウムやストラールとは比べ物にならないくらい少ない。
今夜の目的地は衛士の詰め所である。いうまでもなく、目的は回収された小瓶。
デンの話では中身を一息に飲みほしたということだが、それでも一滴残らずとまでは行くまい。
それに中身にこびりついて乾燥したものでもいい。連中の言う『クスリ』とやらの正体に迫りたい。
門の近くにある詰め所までやって来て、窓から中を窺う。
詰め所というのは大抵門の近くにある。それはトラブルを起こすのは往々にして外からやってきた連中が多いからだ。
もちろん広い街の場合、何か所かに分散して配置されているが、フィニアたちが絡まれた路地裏から一番近いのは、この詰め所である。
「それに、はやく回収しないと変なところに回されたりするからな」
あの『クスリ』の正体はわからないが、そういったものは中身を鑑定するため、専用の部署に回されたりする。
その場合、そっちに忍び込まないといけなくなるので、侵入の手間が増えてしまう。
それに下手をすれば、カインの手が回って処分される可能性もあった。
できるなら、今のうちに回収しておきたい。その思いが今夜の行動に踏み切らせた原因だった。
窓から覗いたところ、詰め所には三人の衛士がいた。
夜間とはいえトラブルの絶えないこの街では、常に衛士が詰め所に控え、問題に備えている。
もっともその士気は低く、だらけた雰囲気が漂っているところが、ラウムなどとは大きく違う。
しばらくすると二人が仮眠室に入り、一人が椅子に座ったまま、水で薄めた酒を呷っていた。
「さて、あいつをどうにかすればいいんだが、どうするか?」
二人は仮眠室なので、当面は問題にならない。問題はさぼって酒を飲んでいる、あの衛士だ。
見たところ、金庫のようなものはないのだが、
できれば気付かれずに無力化したいところではあるが……そこまで考えて、俺はある手段を思いついた。
少しばかり悪い笑みを浮かべて、ベルトポーチからある道具を取り出す。
「これ、これ」
取り出したのは、粉末状の粉。
これは傷用のポーションを作った際に余った、ガマの花粉である。
これに魔力を流し、薬効を水に溶かしこむことで、ポーションを作ることができた。
しかし換気を怠った俺は、その途中で魔力中毒を起こして気絶した経験があった。その時のことを思い出したのだ。
眩暈を起こすまでは無味無臭で、危険なことすら気付かなかった。その実験を室内に向けて行えば、奴も中毒を起こして意識を失うはずである。
早速小さな包みに残っていたガマの花粉に魔力を多めに流し込み、その粉末を窓から室内に吹き込んでいく。
俺の周辺にも花粉は舞い散るが、俺には
しばらくすると、衛士の顔がカクリと落ち、頭を振って立て直すといった仕草が見えた。
「やべぇ、ちょっと悪酔いしちまったかな……気分が……」
そんなことを言いながら、フラフラとしだした。あの仕草には見覚えがある。中毒の初期症状だ。
無味無臭であるがゆえに、自覚症状がほとんど無い。
この花粉、魔力に過剰反応させれば、非常に危険な薬になるのではなかろうか?
そんなことを考えているうちに、衛士は崩れ落ちるようにテーブルに突っ伏してしまった。
そこから起きる気配がないので、俺は窓から室内に侵入する。
もちろん靴の泥を落としておくことは忘れない。足跡からこちらを特定してくる可能性もある。
男が目を覚まさないことを確認すると、俺はさっそく家探しを開始した。
といっても、詰め所なのでそれほど調べるモノが多いわけではない。
書類や小物を入れるためのチェストが一つに、書棚と小さな鍵付きの
もし小瓶をしまい込むとすれば、その葛篭だろうと判断し、さっそく鍵を外しにかかる。
葛篭は蔓を編み込んで作った粗末なもので、貴重品をしまうようなものではない。
もちろん小瓶は俺にとっては貴重なものだが、何も知らない衛士にとっては、ゴミみたいなものだ。
一応証拠品としてしまい込むなら、この程度の箱が適当と思われても仕方ない。
「ま、おかげでこっちも、仕事が楽でいいけどな」
ポーチから取り出した針金や鉤棒を使って、鍵穴を弄ること数分。瞬く間に鍵は外され、中の物を確認することができた。
絡んできた男が来ていたと思しき衣服や、折れた剣などがしまい込まれている。
その葛篭の隅に、小さなガラスの小瓶を発見した。
「これかな?」
念のため手袋をしてから小瓶を取り上げる。
今まで散々衛士たちが触れただろうから、あまり意味はないかもしれないが、念のためだ。
俺はその小瓶の代わりに、ポーション用の小瓶を葛篭の中に放り込んでおいた。
これは学院でポーションを作る際に使ったものだが、そこらで市販されている瓶でもあるので、これから足は付かないはずだ。
家探しの痕跡を消し、葛篭に鍵をかけなおしてから、俺は後始末にかかった。
窓を大きく開け放ち、換気を良くしてから、気絶した衛士にマフラーを数秒かぶせる。
これで男の周辺から毒素は消え去り、しばらくすれば目を覚ますはずだった。
この危険な薬が危険と認識されないのは、中毒になっても命の危険が無く、簡単に回復できるから、というのもあるのだろう。
仮眠室の二人が異常に気付いて、こちらに出てこられても困るので、俺はそそくさと窓から外に出る。
堂々と正面から出たら、さすがに怪しすぎるからだ。今の俺は顔をマフラーで隠した不審者なのだから。
窓の外の足跡を消し、窓を閉め――ようとして諦めた。ここを閉めたら、また中の衛士が中毒になるかもしれないからである。
まあ、内部に痕跡は残していないし、無くなったものも表向きはないのだから、窓が開いていたくらいで怪しまれることはないだろう。
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