第604話 魔神vs超越者

 セバスチャンたちの逃亡を許した魔神も、ただしてやられただけでは終わらない。

 即座に視界を確保した後は怒りの雄叫びを上げ、猛然と彼らの追走に移っていた。

 もちろん基礎能力が違うセバスチャンたちが、魔神との『鬼ごっこ』に勝てるはずもない。

 だが彼らには、幸運にも馬車という存在があった。

 しかもその馬車は過剰に装飾が施され、それらは人が捕まる取っ掛かりにもなる。

 森の街道を走る馬車に追いつくと即座にそれにしがみつき、馬車も待っていたかのように速度を上げていく。

 二頭立てだったのが功を奏したのか、馬車の勢いは凄まじく、人の足とは比べ物にならない速度で逃走する。


 しかし魔神の身体能力も、普通ではない。

 あっさりと馬車に追いすがると、それを破壊すべく剣を振り上げた。

 そんな魔神の顔面に、飛んできた馬車のドア部分がぶち当たり、攻撃の機会は失われた。


「ヒャハハハ! 軽量化ってやつだぜぇ!」

「貴様、修理費は請求するからな!?」

「セコイことは言いっこなしでさぁ!」


 それからもセバスチャンたちは、様々なものを投げ捨てていった。

 そもそもストラ領からメトセラ領への長旅だ。馬車に積んである荷物は意外と多い。

 水や食料はだいぶ目減りしていたが、料理に使う油などは残っていた。

 それを足元にぶちまけて転倒を誘ったり、火をつけて燃やそうとしてみたり、毛布を投げつけて視界を奪おうとしてみたりと、様々な妨害工作を試みる。

 特に貴族用の羽毛がたっぷりと使われた寝具は、魔神の視界を奪うのに役に立った。


 だがそれも時間稼ぎに過ぎない。やがて投げつけるものも尽き、その間合いは詰まってくる。

 しかし時間稼ぎは、それだけで充分だった。

 やがて関所が視界に入り――そして彼らは絶望した。


 関所からは煙が立ち上り、その門は無残に破壊され、周辺には死者がそこかしこにぶちまけられていた。

 完全に壊滅している。それを理解して、セバスチャンたちの足は緩む。

 最後の希望である、正規兵との共闘も夢と消えたのだから、無理もない話だった。


 セバスチャンたちには知る由もないことだったが、魔神は北部より襲来している。

 その途中にある関所が、彼らよりも先に襲撃されているのは、当然の帰結だった。

 故に、関所が壊滅していることは不思議なことではない。だが今の彼らにとっては、そんな理屈はどうでもよかった。

 望みが絶たれた。その事実が、彼らを絶望へと突き落とす。


 その彼らへ追いすがる魔神。

 虚ろな視線でそれを見るセバスチャンたち。


 そんな二者の間に、割り込む人影がいた。

 金髪碧眼の、十二、三くらいの少年の姿。それはあまりにも、この場にそぐわない人物だった。

 ぴしりと執事服を着こんだ姿は、貴族の屋敷などでは絵画のようにハマるだろう。

 しかし荒廃した戦場には違和感しか覚えない姿。唯一この場にそぐうとすれば、それはその腕だ。そこだけは、まるで威嚇するかのように武骨な手甲で覆われていた。

 その少年は無造作に、しかし堂に入った仕草で手甲に覆われた拳を突き出す。


 ドンという、小さな姿からは想像もつかない打撃音。

 それをかろうじて受け止める魔神。しかし魔神は軽く五メートルは後方へと弾き飛ばされていた。

 その事実に、少年が強敵であることを悟る。


「やれやれ。北部を守るようにハスタール様から仰せつかったのですが、少し遅かったようですね」

「グルルルゥ……」


 警戒の唸りを上げる魔神に一歩も引かず、少年は一歩魔神へと踏み出す。


「ニコル様の家令、オーガヒーローのデン。いざ、参る」





 セバスチャンたちは、目の前の光景を呆然と見守るしかできなかった。

 それほどデンと魔神の戦いは、熾烈を極めていた。

 剣と拳が交錯し、大剣と手甲が火花を散らす。その動きは一般人であるセバスチャンやドノバンの目に留まらぬほど、はやく、鋭い。


 大地を踏みしめる音が、拳を叩きつける音が、剣を振り下ろす音が、雷のように周囲に轟く。

 それはすでに人が放つような音ではない。まるで災害がその場に現出したかのような轟音の嵐。


 一刻も早く、この場を離れなければならない。

 それはドノバンもセバスチャンも理解していたが、それを行うことはできなかった。

 目の前の戦いはいまだ続いている。それはつまり、魔神とデンの戦いが拮抗している証拠でもある。

 自分たちが動けば、デンはそれを守るために動くだろう。その結果がどうなるか、想像ができないからだ。

 自分たちが重荷になっていることは、彼らにも理解できている。だからこそ、この場から動くことができなかった。


 戦いの技量は双方互角。しかし次第にデンに不利な流れになっていく。

 その理由はただ一つ、得物の射程の違いだ。

 デンは超接近戦に適応した手甲、魔神はデンの身の丈すら超える大剣。

 戦いは常に、魔神の先手で始まっていた。

 戦いにおいて、間合いが広いことは、それだけで有利になる。


 接近するために魔神の攻撃を受け、懐に入って攻撃し、そして突き放される際にまた攻撃を受ける。

 通常ならば、懐に入って一撃で決まればデンの勝利になるのだが、この魔神はデンの攻撃にすら耐える。

 結果、突き放されるときに再び攻撃を受け、被弾はデンの方が大きくなっていた。


 普通のオーガならば、ここまで魔神と戦えたりしない。

 それは以前までのオーガロードであったとしても、例外ではない。しかしデンは、さらなる進化を遂げていた。

 ハスタール神は偏屈で気難しく、同時に人を育てるとなると徹底的にやる性格がある。

 彼は地脈の一つである彼の住む山にデンが来てから、目を瞠る速度で進化していくことに着目した。

 そこでさらなる進化を遂げるよう、デンの食事にレイドから巻き上げた邪竜の素材をごく少量混ぜ始めていた。


 もちろん、デンとて邪竜の一部をその身に取り込んで、ただで済むはずがない。

 しかしハスタール神には、世界樹の樹液という切り札があった。

 身体が変質していく苦痛に耐える体力。その体力を樹液が容赦なく回復させていく。

 結果的に、デンはオーガロードすら超える伝説の存在、オーガヒーローに至ることができていた。


 しかしそれでも、魔神の力にはわずかに届かない。

 その事実に吐き捨てたい気持ちになりつつも、彼はいた。

 そしてついに、その時が来る。


 強敵を目の前にした魔神は、デン以外視界に入っていなかった。

 その魔神の背後から、唐突にミスリルの糸が飛んで魔神の動きを拘束した。

 さすがの魔神も、強靭なミスリルの糸を斬り払うことはできない。

 それどころか不意を完全に突かれたため、バランスを崩して転倒してしまった。


 この千載一遇の好機を見逃すほど、デンは間抜けではなかった。

 奇跡的に魔神の頭部が自分の腰よりも低い位置にある。

 その延髄に向けて、渾身の手刀を振り下ろす。

 手甲によって固められた腕は一振りの刃と化して魔神の首を斬り飛ばす。

 デンの腕力と技量があって初めて出し得る威力だった。


「遅い。まったく、その足の遅さはどうにかならないのか」


 魔神の死を確認し、デンは森の中を振り返る。

 そこには体長七メートルにも及ぶ巨大な芋虫が存在していた。

 かつてハスタール神に従属したヒュージクロウラーが、そこにいた。

 ヒュージクロウラーは何も言わず、いや、声が出せないため反論できず、ただ悄然と項垂うなだれるれるのみだった。



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