第605話 商人の度胸

  ◇◆◇◆◇



 それはマチスにとって、初めての仕事だった。

 女性でありながらホールトン商会の跡取りでもある彼女は、交易の経験も必要になる。

 とはいえ、彼女はかつて誘拐された経験があり、しかも瀕死の重傷を受けた経験があった。

 それを子煩悩な父が一人で放り出すはずもない。結果として護衛としてできるだけ腕利きの冒険者をつけているのだけは、一般的ではなかった。


「ベリトまであと少しですわね」

「ええ、でもレティーナ様がこの仕事を受けてくれるとは、思ってもみませんでした」


 王都ラウムにおいて、可能な限り腕利きの冒険者をという条件で、手が空いていたのが彼女だけだったのである。

 もちろん一人だけではなく、他にも複数の男女が護衛として雇われてはいるが、レティーナの実力と名声は、一つ抜けていた。

 そんな彼女との旅は、大したトラブルもなく順調に進み、目の前に巨大な世界樹が聳え立つフォルネリウス聖樹国独特の風景が広がっていた。


「冒険者はもう引退するつもりでしたが、元クラスメートの頼みとあれば、断れませんもの」

「おかげで安心して旅ができました。ありがとうございます」


 護衛の数はレティーナと他男女三名ずつの冒険者。

 下は二階位から上は三階位まで。三階位はレティーナと同級だが、三階位は冒険者の中でも一階位に並んで数の多い階級であるため、その中でも多少は実力に上下がある。

 レティーナはそんな三階位の中でも、限りなく四階位に近い実力を持っていた。


「お父様はケイル様にも依頼したかったようですけど」

「アレはお調子者ですから、階級ほどの力は……どうなんでしょう?」


 実際にケイルと接触のあったレティーナは、彼の性格を知るだけに首を傾げている。

 だが五階位と言えば、一流の冒険者の証でもある。その実績だけでも、マチスの父がケイルを頼ったとしても、責められはすまい。


「まぁ、剣の実力は確かみたいですけど」

「そうなんですか?」


 かつてクラウドと訓練した時を思い出すレティーナ。あの堅牢なクラウドの守りを突破した攻撃力は、確かに一目置けるレベルだ。


「マチスさん、馬車の中に!」


 レティーナとマチスがケイルの話題で盛り上がっていた時、冒険者の一人が声を上げた。

 その冒険者は女性で、六人の中で斥候役を受け持つ冒険者だ。彼女の警戒を促す言葉は、軽く扱うわけにはいかない。


「地面が揺れています。何か巨大な……」


 その瞬間、世界樹の頂点を覆う雲が爆ぜた。

 途中で折れているとはいえ、五千メートルを遥かに超える。その頂上は雲よりも高いため、晴れていない日は頂上付近は地上から窺えない。

 この日も雲が厚く、頂上付近は地上から見えなかったのだが、その雲がまるで世界樹から弾かれたかのように消え失せた。

 その衝撃の余波が、馬車にまで吹き付けてくる。


「きゃっ!」

「な、何事ですの!?」


 レティーナは馬車の上で立ち上がり、即応態勢を取る。

 とはいえ、世界樹を覆う厚い雲を根こそぎ弾き飛ばすような相手は、対処できそうにないと思っていた。

 それでも依頼者を守らねばならないという思いが、戦闘態勢を取らせていた。


「雲が……それに、なにか? あれは――!」


 続いて雲の外縁部が渦を巻いたように回りだしていく。それは頂上付近であまりにも強力な風が渦巻いている証拠だ。

 同時に地上から巨大な蛇のような『何か』が舞い上がり、まるで支えるかのように世界樹に巻き付いていった。

 直径が何キロメートルもある世界樹に巻き付けるのだから、その蛇の巨大さが遠目でもよくわかる。

 そしてとどめは、黒いドラゴンが世界樹の上部に取り付き、まるで押すかのように必死に翼をはためかせている。

 その光景に、一瞬レティーナが邪竜の復活を想像したとしても、無理はない。


「邪竜……にしては、少し小さいかしら?」


 実際に邪竜を見たことがないレティーナにとって、その判別は付くはずもない。

 しかし邪竜ならば、世界樹に取り付くなどという悠長な真似はせず、麓のベリトの街を焼き払っているはずだ。


「邪竜、じゃない? それに蛇……? でも空を飛んで?」

「コルキスではないのですか? それにあちらのドラゴン……あの大きさ、山蛇なんて目じゃありませんね」


 かつて山蛇と呼ばれる災害級モンスターを目にしたレティーナは、それだけで巻き付く蛇がどれほどの脅威か、理解した。

 いや、その山蛇ほども超える巨体。その猛威はどれほどの物か、想像もつかない。

 疑問の声を漏らすレティーナに、マチスは確認の質問を問い掛ける。

 もちろんレティーナに答えられるはずがない。


「ドラゴンが二体に、あの雲の動き……ただ事じゃありませんわね。どうします?」

「え、どうしますって?」

「このままここで眺めていても、らちがあきませんわ。ベリトに向かうか、退却するか、ここは決断の時ですわよ」

「それは……そう、ですね」


 レティーナにうながされ、マチスはおとがいに指を当てた。

 安全を取るなら、ここはベリトに向かうことを諦め、撤退すべきだろう。堅実な商人ならば、そう判断するはずだ。

 しかし、あれほどのモンスターに襲われたとしたら、ベリトでは救援を求めるもので溢れているに違いない。

 そうだとすれば、積み荷の中にある食糧類が役に立つ。

 最悪なのは、退くことも進むこともためらった末に、何の役にも立たずにこの場にとどまり、無駄に巻き込まれてしまうこと。

 そう判断したマチスは、決断する。


「進みましょう。もし災害なら、積み荷が役に立つこともあるはずです。戻れば安全でしょうけど、それだとここまでの旅が無駄足になってしまいますし」

「命が大事とは思いませんの?」

「私は商人なんです。ベリトは今、混乱の最中にあります。だとすればそこに商機があるかもしれません。ここは強気で行くべきと判断しました」

「……わかりましたわ。護衛としては引くべきと思いますけど」

「いざというときは、マクスウェル様にご助力を。それも考慮に入れてますので」

「呆れましたわね。あなたってば、すっかり商人の思考に染まってますわ」

「成長したんですよ。私も」


 そう言ってレティーナに笑顔を向けたマチスだったが、その笑顔は不自然なくらい引きつっていた。

 彼女とて、あの大蛇に近付くのは怖い。それでも商魂と、そして助けを求める人に応えたいという想いが、そう判断させたのである。



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