第52話 朝の日常
すでに何日も過ごした部屋で――その夜、俺は目を覚ます。
ここはコルティナの家にある俺の部屋だ。
フィニアはまだ幼い俺と一緒に寝る事を主張したが、さすがに美少女に成長した彼女とベッドに入ったら……眠れそうにない。
そこで俺は強硬に一人部屋を主張した。
フィニアもコルティナも、そろそろ一人部屋に憧れる年頃かと納得してくれたため、比較的あっさりと許可してくれたのだった。
そもそも隠し事の多い俺にとって、プライバシーは大事な問題だ。
それに俺だって過去は男だった訳で、色々な欲求というものは存在する。
具体的に言うと、酒、女、賭博である。
幸い前世の俺は賭博には興味が無く、女にモテなかったので、そう言った出費は少なかった。
今世に生まれ変わって早七年。賭博と女はともかくとして、俺の唯一とも言える楽しみであった酒が恋しくなってきた頃合いである。
そこで俺は、こっそり暗躍する事にしたのである。
ここまでの旅で荷物の中に酒瓶を一つ紛れ込ませ、それをこの部屋に持ち込んだのだ。
「くっくっく、今頃ライエルの奴、慌ててるだろうな」
子供である俺が、酒を買えるはずもない。
つまり俺が持ち込んだのは、ライエルがマリアに内緒で隠し持っていた秘蔵の蒸留酒だ。
マリアに子供の前で深酒はよくないという事で、晩酌は軽めのワインだけにされていた。
そんなアイツが将来の楽しみに取っておいた逸品を強奪して来てやったのだ。
封を開いて、木製のカップに注ぐ。
このカップは旅の最中に使っていた物で、俺が部屋に持ち込んでいても怪しまれる物じゃない。
カップから湧き上がる、鼻に抜けるような強い香気。
微かにヒノキ樽の匂いが混じっているのも、いい雰囲気だ。
「……あんにゃろ、いい趣味してやがるじゃないか」
澄んだ琥珀の色合いといい、強い香りといい、実に良い酒である。それは、飲まずともわかるほどに。
生前ライバル視していただけに、ライエルと酒を飲み交わす事は少なかったが、この趣味の良さだけは認めねばなるまい。
ガドルスとは結構飲んでたんだけどな。
存分にその香りを楽しんだ後、俺は口元にカップを運ぶ。
距離が近くなった事でより強くその香りを感じ…………
……気が付けば、朝だった。
「ハッ、俺は何を――!」
跳ね起きて、同時に頭痛に悶え転がる。
頭の奥に響くようなこの頭痛。前世では何度も経験したことがあった。
「ま、まさか……二日酔い? たった一口しか飲んでないのに!?」
虚弱極まる俺の体質は、酒に対しても凄まじい弱さを発揮したようだった。
まさかたった一口で潰れるとは思わなかった。
窓の外は既に日が昇っており、朝の爽やかな冷気が窓の隙間から染み込んできている。
「まず……早く隠さないと」
酒瓶はもちろんの事、カップの大半を零してしまっていた。
おかげで室内は、濃厚な酒の匂いで満ちている。
俺は痛む頭を抱えながら、窓を開けて換気する。そのタイミングで部屋のドアがノックされた。
「ニコル様、朝ですよ。そろそろ起きてくださいまし」
「あ、フィニア。うん、起きてる。今着替えてる所だから、開けないで」
「そうですか? お手伝いしますけど」
「だ、ダメダメ! えっと、その……とにかく、大丈夫だから!」
慌てて入室を妨げようとする俺に、フィニアは何かを察したように、声を上げる。
「さては……オネショなさいました?」
「失敬な!」
確かにこの女の身体では、尿意の我慢が前世ほど効かない。
これは人体の構造的に仕方ないとも言える。排泄専門の器官を持つ男は、女性より我慢できるからだ。
それに幼い身体は、油断するとすぐ……その、まぁ……あれだ。うん。過去に何度か、粗相をした事は認めよう。
だが、今回に関しては断じて違う。
問題になっているのは酒の香気で、尿の臭気ではない。
知られていけない事は同じなのだが、俺のプライドの為、これだけは宣言しておこう。
「いいですけど。コルティナ様も既に朝食を摂っておられますし、ニコル様もお急ぎください。それと、洗濯物は後でこっそりと出しておいてください」
「わかった。でもオネショとは違うから!」
トントンと軽快な足音を立てて立ち去るフィニア。
それにしてもコルティナは宵っ張りの癖に朝は早いな、いつ寝てるんだ?
とりあえず、窓を開けておけば酒の匂いはすぐに抜けるだろう。
多少不用心ではあるが、ここがコルティナの家である事は街の住人にも知られている。この家に忍び込もうという人間は少ないだろう。
そこで俺は勢いよく服を脱いで着替えを始めた。
ゆったりしたパジャマなので着脱はかなり楽にできる。しかしフィニアやコルティナが買い与える服は複雑なものが多いので、少々好みに合わない。
俺は身体にピッタリフィットするシャツを着て、ショートジャケットを羽織る。
下はショートパンツにオーバーニーソックスという露出の少ない物を選んだ。
かなり活動的な格好だが、お嬢様然とした俺の外見からはミスマッチ感が出て、意外と似合うと俺は思っている。
そのまま一階の食堂に向かうと、既に朝食の用意を終えたフィニアが待ち構えていた。
既に食事を終えたコルティナも、食後のコーヒーを愉しんでいた。
現れた俺を見て、フィニアは小さくため息を吐く。
頑なにスカートを好まない俺の服のチョイスに悲しみを禁じ得ないようである。
対してコルティナは俺の太股の辺りをじろじろ眺めて、
テーブルにはこんがりと焼いたトーストに、ハムエッグとホットミルク。
この味覚の変化から、酒に弱くなっている事くらい気付けばよかった。
俺はテーブルに着いて食事を始めると、背後に回ったフィニアが髪の手入れをしてくれる。
食事中に行儀が悪いと思われるかもしれないが、自分でセットできないので、これは仕方ない。
しかもこの後、ミシェルちゃんとレティーナの三人で、街を案内してもらう事になっている。時間が無い。
レティーナだけ呼び捨てなのは、あれだ。第一印象という奴である。
「もうそんな時間?」
いそいそと手入れを始めたフィニアを見て、俺は時間が切羽詰まっているのかと思った。
時間を知らせる『時計』という魔導具も存在するが、この家では居間とコルティナの部屋にしか存在しない。
それなりに高価な品なのである。
「いえ、ニコル様の髪を見ていると、つい。手触りが心地いいので」
「……食事時はやめない?」
「申し訳ありません。私の癒しですので」
「あ、そう……」
すべすべ、ぷにぷに、さらさら。そう言った手触りに弱いのは、フィニアも変わらない。
コルティナなどは、隙あらば俺を膝に乗せようとするくらいなのだ。
後ろ頭に当たる柔らかい感触が心地いいので、俺もつい、されるがままになってしまう。
トーストを半分と、ハムエッグ半分。
これだけ口にしたところで俺の胃袋は限界になった。
「けぷ。ごちそうさま」
「おそまつさまです。髪の方も終わりましたよ」
俺の髪は背中の半ばまでまっすぐに伸びたロングヘアである。
本来なら切ってしまいたい所なのだが、伸ばさないとマリアとフィニアが悲しそうな顔をする。
サイドのもみあげの部分を後ろに流して、首の後ろでまとめる形でセットされていた。
食事しながらでもここまできっちりセットするところが、さすがフィニアである。
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